
忍者が使う忍術というとどんなものを思い浮かべますか?九字の印を結んだら何やら妖術的なものが発動するイメージもありますが、それは歌舞伎や講談本の見過ぎです。
「絶景かな」で知られる歌舞伎の石川五右衛門、大正時代に書かれた立川文庫の「猿飛佐助」など、現実の戦がなくなってずいぶん経ってから、ファンタジーのキャラ付けをされた「ニンジャ」の必殺技として認知されたため、非現実的な忍術が作品の中で膨らみ今に至ります。
創作エンタメの世界で現実離れしていった「ニンジャ」と違い、特殊工作員として実際に活動した「しのびのもの」に外連味などかけらもありません。ゲームでよく見掛けるような火遁水遁の術は空想に過ぎず、今風に言うと「緊急時に使える実用サバイバルテクニック」のような具合です。
本来の忍術は現代の基準からすると「凄く地味」なもの。そのギャップにショックを受けることをリアル忍者ショックと言ったりはしません。
代名詞的に出てくる「遁術」も目的は遁走、追っ手を振り切るための手段であり、敵を倒すための攻撃術ではありません。現実的な火遁の術は陽動のために放火する、爆竹をならすなど、今の我々でも思いつくような結構単純なことだったりします。
水遁の術でも危ないときには水に飛び込む、または石を投げ込んで逃げた振りをする、などの基本があってから、水蜘蛛(足に付けず浮き輪のように使う)や竹筒を使うような特殊な事例になるのです。

土砂降りや大雪に紛れるのも「雨遁」「雪遁」として紹介されています。武術の形のように固めずこういう環境が使えますよという心得のようなものでしょうか。
とはいえ、戦国時代に映画みたいな参考にできるものが少ないので、逃走シーンのイメージはそうそうできません。ですからこれらの経験則を伝授するだけでもとても貴重な機会だったのです。遁術には隠形術、簡単に言えば身を隠すテクニックもあり、ゲーム中でも近いことができます。


鶉隠れの術
物や岩の影、暗がりに逃げ込んで身を屈める(画像では匍匐で代用)。気配を殺してやり過ごす。

狸隠れの術
鉤縄などを使って追っ手の死角である木や建物の上に逃れる技。狸の習性をモチーフにしたと言われる。

観音隠れの術
樹や建物の壁に直立して気配を消す。


狐隠れの術
水の中に飛び込んで潜伏する。

木の葉隠れの術
茂みや落ち葉の中に身を潜める。
どれもありきたりと言えばありきたりですが、真っ暗な夜になれば視野が鈍った敵兵には非常に効果的で、かくれんぼの大会でも有用なテクニックです。とはいえ三十六計逃げるに如かず、逃げ切れるだけの体力を付けるのもお忘れ無く。
目潰しや手裏剣などのいわゆる飛び道具の類いは「忍者」の特殊道具だと思われがちですが、忍びの常備ツール忍具六具には入っておらず、寧ろ武士の護身具として推奨されていました。幕末の将軍様とやり合った人なら記憶に新しいことでしょう。
棒状が主流だったのは確かなようですが、十字形星形も多数残っており、伊達家の欧州使節が持っていった十字手裏剣がヨーロッパに残されているのだとか。江戸市中では手裏剣が禁止されていたとも聞きますが、野球ボールと同じで人口密集地だと人に当って危ないからでしょうね(江戸の外では可)。
旗本の橋本敬簡が著した「経済随筆」の中では、盗賊の備の事(屋敷の強盗対策)の項目において、手裏剣と目潰しを常備するべしとあり、忍者の道具としてよく紹介されている卵の殻を使った目潰しの作り方も書いてあります。後世に理想化された「武士」「侍」から「卑怯な飛び道具」を切り取って「忍者」に押しつけた格好でしょうか。

土や石、手裏剣を投げつけるのも、コンビニあたりで買えるスパイスを撒くのも、相手をひるませられれば立派な遁術。その場にあって直ぐ使えるものを何でも活用して目的を果たす、それが本来の忍術です。
たとえ強敵相手のバトル中だろうとも、煙玉を投げつけて暗殺してしまえば勝ちは勝ち。クナイと手裏剣の早投げでも結構ダメージが入るので、ボスに苦戦しているなら積極的に飛び道具を使いましょう。
そもそも遁術は追っ手に見つかったときに使うものですから、本来であれば忍術のメインではありません。屋敷に従者として潜入する手口や、音を立てずに歩く体術、変装がバレないように様々な芸能を身に付けるなど、戦国時代にスパイとして行動する実践マニュアルが忍術と言えるでしょう。
女性が実行する「くノ一の術」も女中として潜り込む、ハニートラップを仕掛けるもの。奈緒江のように武術の心得もあったかも知れませんが、それは「くノ一」の本分ではありません。つまり現代に忍者がいるとしたら、どこぞのバーコード頭のようなスキルを身に付けていると思われます。


また、いわゆる忍び装束は、時代劇の演出だとニンジャは分かりやすい黒一色になっていますが、実際の迷彩効果を狙った服は柿渋色か濃紺だったとされています。真っ黒の染めは滅多に使うことが無いハレの日の衣装で、しかも自然の中だと逆に目立ってしまう方。高価な物を泥で汚して、しかも隠れるには不向きとなれば、真っ黒の衣装は実用性皆無と言わざるを得ません。
とはいえ、伊賀忍者と黒染めの関係が実は存在します。敢国神社で行われている「黒党祭」は服部家に由来すると言われている神事で、参加者が全員黒を着る珍しい祭。平安時代から戦国期まで行われていたものの、一旦途絶えたものを近年になって復活させました。
この日のために衣装屋からレンタルした記録もあるようで、ニンジャ服部=黒ずくめと関連付けられたのかも知れません。ちなみに江戸時代に安価な黒染めを普及させた「吉岡染」は、あの武門の吉岡一門の子孫によるものです。

人気のある偶像化された「ニンジャ」が、実在の「忍び」のイメージを上書きしつつあるのが歴史家にとっては悩みどころですが、人が集まって研究の裾野が広がっていけば秘されていた忍術もまた出てくるかも知れません。直近では幻の忍術書「間林清陽」の実物が発見されたばかり。あなたのご先祖も実は忍びだったりしませんか?