沖縄戦は1945年(昭和20年)3月26日から始まり、主な戦闘は沖縄本島で行われ、沖縄本島での組織的な戦闘は4月1日に開始、6月23日に終了した。連合国軍の目的は、日本本土攻略のためのマリアナの基地と共同体制をとれる対日本本土爆撃のための航空基地確保と、九州南部および関東平野の侵攻作戦(ダウンフォール作戦)の補給基地の確保であった。日本軍の目的は、大本営(主に日本海軍軍令部)[33] が特別攻撃隊を主力とする航空攻撃により連合国軍に大打撃を与えて、有利な条件で講和を結ぼうという『一撃講和』を目指していたのに対し[34]、現地の第32軍司令部は当時想定されていた本土決戦[注釈 2] に向けた持久戦を意図するという不統一な状況であった[34]。第32軍はサイパンの戦いなどで失敗した水際防御を避け、ペリリューの戦い・硫黄島の戦いで行われた内陸部に誘い込んでの持久戦(縦深防御)を基本方針として戦い
