対馬丸(つしままる)は、日本郵船のT型貨物船の一隻で、総トン数6,754トンの貨物船[4]。旧字体の表記は對馬丸[4]。 太平洋戦争中の1944年8月、疎開船として民間人や児童ら計約1,700名を乗せて那覇から長崎へ向かう途中、8月22日にアメリカ海軍の潜水艦「ボーフィン」からの魚雷攻撃を受け沈没し、大きな犠牲を出した[5]。 日本郵船が貨物船隊の改善のために、1912年(明治45年/大正元年)から整備を開始したT型貨物船のうち、欧州航路向けの第1期船6隻のうちの一隻として、グラスゴーのラッセル造船所で高田丸[注釈 1]とともに建造される[6]。船価は9万4500ポンドを計上した[6]。T型貨物船はプロトタイプや鈴木商店が建造した同型船を合わせて26隻におよび大所帯であるが、プロトタイプの徳島丸(6,055トン)および鳥取丸(6,057トン)を除けば、対馬丸と高田丸のみが総トン数の面で7,
