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ご無沙汰しております。 宮沢賢治「注文の多い料理店 序」の朗読音源をつくっていました。 この「序」は、宮沢賢治の初めての、結果的には唯一の童話集「注文の多い料理店」の冒頭に綴られているものです。 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。 これは賢治さんの、物語を紡ぐ創作の秘密であり、 わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。 賢治さんの、決意表明のマニフェストで
偉い先生方が会議をして、 「この夏は猛暑で異常気象だった」との評価をしたそうです。 知ってました(笑)。 夏は暑いことで有名なので異常とまでは言えないのかな、と個人の感想としては思います。 雪が降ったらびっくりするけど。 もう日本には夏と冬しかないのでは、という声も聞きますが、 9月になったので、もう秋ということにさせてもらいます。 秋が大好きなので、なくなったら困ります。 百人一首79番歌、左京大夫顕輔(あきすけ)の名歌「秋風に」 この朗読音源をつくりました。 朗読は奥様。 背景の音楽は自分のものですが、そうは言いながら暑くてつくる気力がわかないので(笑)、7月ごろにつくったものをリサイクルしました。 涼しげでいいかなと思っています。 youtu.be
第二の故郷秋田の、好きな海。 男鹿半島の入道崎。 oganavi.com インバウンドの狂騒からは、今のところほど遠い静かな海です。 かといって寂しいというわけでもなく、ちょうどいい感じに賑わっています。 背後には懐かしい感じの土産物屋さんと食堂が。 ずっとこの、ちょうどいい感じのままでいてほしい。 ここにスタバがきたら、もうだめかもね、なんて話しながら、そんな事にならないこともわかっています。 冬は雪に閉ざされるので。 20代の頃から通っている海。 バイクだったり車だったり、一人で来たり友達とだったり、娘が生まれてからは親子3人で何度も来ました。 よちよち歩きだった娘が、この先の崖に向かって突進していって、青くなったこともありました。 少し山側に車を走らせて、いつ行っても空いている展望台(八望台)へ。 oganavi.com 広大な風景を独り占めです。 いろんなところに誰かの、秘密の入り
セミがやかましすぎ。 セミの鳴き声は70db程度だそうですが、・・・いやいやもっとあるのでは。 電車が通り過ぎるガード下が100dbって習った気がしますが、それ以上あるような。 ガード下の居酒屋なら何とか会話できますが、うちの庭では話ができませんから。 近所のベテラン小学生たちがうちの庭をしげしげと眺めながら、その大量のセミに感嘆しておりました。 「このうちいいなあ」だって。 ぜひ、全部お持ち帰りください!。お願いします。 先日読んだ藤本タツキさんの「ルックバック」。 あまりの感動に、ありもしないエンドロールが脳内で流れていました。 その時の音を何とか思い出そうと、数日ピアノの前に座っていました。 時間がたち、頭を揺らすたびに記憶が怪しくなってきます。 さらに、相当部分をセミに消されました・・・。 それでも、なんとかサルベージした音で、「うそのサントラ」をつくってみました。 セミと格闘しな
テレビは相変わらず8時0分の「ゼロ打ち」をやって、ドヤ顔をしています。 投票率が低調だなんて言って、嘆いてみせたりしていますが、その原因のひとつが「ゼロ打ち」だってことは、よくわかっているはずなんです。 確信犯ですね。 投票箱が開きさえもしていない、閉じた瞬間に「当確」を出しているんですから、何のために投票してるんだろうって、誰でも思ってしまいますよね。 「ゼロ打ち」は、猛暑の中、這うようにして投票所にむかった60%の有権者を愚弄し、投票しなかった40%の絶望感をさらに深める、有権者に「無力感を刷り込む」ための強力なツールになっています。 昔、(お金をとるケチな)放送局に勤めていた頃、選挙のたびに開票速報の雑用に駆り出されました。 報道に関係ない部署でも、問答無用です。 報道は「偉い」のです。 出口調査とか、開票所で票の束を数えて、わざわざ回線をひいた電話(携帯のない時代です)で局に伝えた
ガルシア=マルケス「百年の孤独」が、とうとう文庫化されました。 自分のなかでは、ソロー「森の生活」と並んで、いつまでたっても通読できない本のツートップ。 「源氏物語」を原文で読むことと合わせて、この人たちにはそろそろけりをつけなくては。 とは言え、眼の具合が悪く、どれだけ時間がかかるかわかりません。 数年前までは、悪いなりにそれでも年間150冊くらいは読めていたのですが、昨年はとうとう0冊に。 幼い頃はじめて絵本を手に取って以来の、はじめての事でした。 「趣味は読書と音楽鑑賞」なんていう、昭和の履歴書かお見合いの釣書みたいな自分にとっては、かなりの痛手。 一時は読書生活というものを、もう諦めていました。 ところが、先日急に思い立って読書のリハビリを始め、約一年半ぶりに本を読んでみました。 選んだ本は、よりによって、と言ったら怒られてしまいますが・・・。 「女帝 小池百合子」 この本、著者の
宮沢賢治の、ちょっと風変わりな詩があります。 「政治家」 1927年(昭和2年)、31歳の時の作品です。 政治家 宮沢賢治 あっちもこっちも ひとさわぎおこして いっぱい呑みたいやつらばかりだ 羊歯の葉と雲 世界はそんなにつめたく暗い けれどもまもなく さういふやつらは ひとりで腐って ひとりで雨に流される あとはしんとした青い羊歯ばかり そしてそれが人間の石炭紀であったと どこかの透明な地質学者が記録するであらう この詩を書くに至った具体的なきっかけや題材は何だろうと思い、1927年あたりの内外の政治状況をみてみたのですが、特別これといったものは無さそうです。 少し前に花巻農学校を退職し、地元花巻で開墾、肥料の相談、楽器の練習、レコードコンサート、童話の読み聞かせなどを始めた頃で、おそらくは中央のできごとではなく、もっと身近な政治家の有様を見ていて書いたものなのではないかと思います。
先日、娘の中学校の卒業式がありました。 前半は卒業証書授与式、後半は生徒達の歌や挨拶という構成。 授与式の最後に来賓の祝辞があったのですが・・・。 「歴史のサイクルから考えると、そろそろ大きな戦争が起きる。大変な時代になるから、しっかりやれ!」みたいな、縁起でもない、およそ祝辞に似つかわしくない主張を延々と聞かされて、会場がドヨーンとなって前半が終了(笑)。 「こんな時代にしたのは、あんた達の責任だろ」って、みんな思っていたんじゃないでしょうか。 後半は、前に全員並んだ生徒たちの感動的な合唱や、 修学旅行や部活の思い出、 悩みの相談に乗ってくれた先生や親への感謝の言葉など、 会場からすすり泣きが聞こえるような温かい雰囲気に包まれました。 前半の、「第三次世界大戦の恐怖」に戦慄するような空気が一掃されてよかった・・・。 あの来賓、もう勘弁してほしいです。 二十人ほどの生徒達の挨拶が終わり、締
先日家族でスーパーに行った時のこと。 夕飯の食材といっしょに、うまい棒みたいな小さいお菓子もいくつかカゴに入れて、レジに持っていきました。 レジのお姉さん、 最初に小さいお菓子だけ小袋につめて、「はい、どーぞ」みたいな感じで娘に渡してくれました・・・。 ・・・って、それ、ちっちゃい子向けのサービスじゃないのか!(笑)。 学年で2番目に小さいから仕方ないかもしれないけど、もう15歳。 もう少し大人の雰囲気を出してほしいものです。 そんな小娘も春から高校生。 今日、公立高校の合格発表がありました。 なんとか、早めの桜が咲きました。 娘の中学からは、その高校を3人受験したのですが、3人揃って合格していたのがなによりでした。 発表の後すぐに、娘から秋田のおばあちゃんに電話しました。 電話に出たおばあちゃんは、合格祝いのお金を送るために郵便局の前で待機していたとのこと。 奥様は先日電話で、「たぶん大
(お金をとる)放送局に勤めていた20代。 自分には不向きな世界でストレスだらけだったけれど、ただ一つの癒しのお仕事、 「おかあさんといっしょ」 子ども達の笑顔に、自分の汚れた心が洗われていくようでした。 あまりそんな機会は無かったのですが、一度だけ、出演者、スタッフ揃っての打ち上げに参加しました。 たまたま「うたのおにいさん」の近くに座りました。 どのくらい直接お話できたのか覚えていないのですが、(大きな声が出ないので宴会では「負けて」しまうのです) おにいさんの語った一言を印象深く記憶しています。 「本当は・・・」 少し照れていました。 「演歌歌手になりたかったんですよ・・・。」 そのギャップに驚きました。 なりたかったというより、一度演歌歌手としてデビューされていたとのことでした。 その後、オーディションを受けて「うたのおにいさん」になったそうです。 私には「おかあさんといっしょ」の「
昨年、旅先でふらっと寄った八代亜紀さんの作品展。 油絵も素敵だったのですが、書道の迫力にも感激しました。 特に会場の奥に展示されていた「舟唄」。 八代亜紀さん以外、他の誰にも書くことのできない「舟唄」。 唄声が聞こえてくるような唯一無二の存在感を放っていました。 写真を撮れなかったので眼に焼き付けて帰ってきました。 帰宅してからは、すっかり八代亜紀さんブームに。 今度、BLUENOTEのステージがあったら絶対行きたい、なんて話していたら病気療養のニュースが。 それから、あっという間に旅立ってしまわれました。 憧れの先輩方の旅立ちの報に触れることが増えてきました。 年齢的には仕方のないことかもしれませんが、寂しいです。 私もハスキーなのでハスキーの大先輩。 亜紀姐さんの数ある名曲・名唱の中で大好きなのは「もう一度逢いたい」。 ハチロクのロッカバラード。 詩・曲・アレンジ、そしてもちろん歌唱。
そういうシリーズは無いのですが(笑)。 長い文を書けないので、ただ「おやつを食べた」という日記です。 自分も含めて、家族はアレルギー体質なので、よく自家製のおやつをつくります。 水に砂糖を入れて火にかけて、カラメル状になったら、パンに塗って乾かす。 雑なレシピです。 ただ、相当美味い。 パンも自家製です。 りんご飴のパン版ですね。 パリっとした面白い食感です。
本の読み聞かせをした記憶は大切な宝物です。 その時は体力的にも精神的にも疲れ果てていたような気がするけれど、 もうディテールなんかとんでしまって、何か温かいものだけが残っています。 絵本は一冊だって処分できません。 幼稚園の園服なんかは卒園したら、すぐ人に譲りました。 もともと譲ってもらったものだし。 でも本だけは無理なようです。 中でも大切なのは 「ちいさな ちいさな おんなのこ」 フィリス・クラシロフスキー 文 / ニノン 絵 / 福本 友美子 訳(福音館書店) 昔あるところに小さな女の子がいました。 猫より犬より薔薇の木よりも小さくて、垣根の向こうも見えないほどの。 でも、少しずつ大きくなって、できなかったことが少しずつできるようになります! 金魚鉢に手が届くし、猫もだっこできるし、新しい大きなベッドだって買ってもらいました! 誰もが経験したことのある、成長することの素朴な喜びを、淡
あちらこちら電話したり書類を送ったりして、 本日、世間的なかたちでは廃業しました。 清々した!。 「監督官庁」というものから少し自由になりました。 建築士免許はあるから、まだ完全な自由ではありません。 首から身分証明書をぶら下げたちっちゃい役人さんが 頭の上に座ってるようで、何だか落ち着かないんですよね。 事務所名も同時に失いました。 デザインの仕事や家づくりの相談や暮らし方の提案なんかはしていくつもりなので、何か適当な名前を考えなくては。 なまはげ総研とかにしようかな。 ・・・何だかわからないな。 社会の中で「所属」しているものは、町内会の隣組だけになりました。 幸い良い人たちに恵まれているので、ここは当分お仲間にいれてもらいます。 いつかは、自分の目指す最終形態ーDrifterになれたらいいな。 肝の据わった奥様と娘に感謝。 youtu.be
スプーンを持つのも、 お絵かきするのも、 ボールを投げるのも、 打つのも、 蹴るのも左。 小さな娘のそんな姿を見て心が躍りました。 私は右投げ右打ち。 (ある調査※によるとメジャーリーガーの63%が右投げ右打ち) 娘は左投げ左打ち。 (同調査では16%が左投げ左打ち) 正真正銘の、憧れの左利き。 矯正するなんてもったいない。 野球選手にはならないだろうけど。 少し困ったのは、小学校に上がって書道を習い始めた頃。 左で書くか右で書くか。 結局、先生の指導に従って本来の姿、 右で筆を持つことになりました。 並大抵の苦労ではなかったようです。 始めた頃は納得がいかなくて、よく泣いていました。 少し前に、その書道で何やら立派な賞をいただきました。 賞そのものについては素人でよくわかりません。 ただ、親バカではあるけれど驚くのは、 利き手ではない右手で書いた作品が、 一万点ほどの中から選んでもらえた
私は、お酒を一滴も飲めません。 昔ビールを2~3杯飲んで救急車で運ばれました。 サイレンの音は微かに聴こえたのですが、 朝、意識が戻った時には病院のベッドの上。 山の中の小さな病院でした。 窓から白い光が差し込み、 樹々の梢からは小鳥のさえずりが。 ディズニーのプリンセスになったみたいでした。 両腕に点滴が刺さっていましたが(笑)。 そんな走馬灯。 そういう具合なので、宴会では「お前しらふだろ」、ということで 会の進行やら会計やら諸々雑用がまわってくる羽目になります。 お酒が入るとやや荒くれる皆様に囲まれていました。 宴会は収拾がつかない状態になりがち。 そのうち、一旦、中締めが必要なタイミングがやって来ます。 そんな時には終始冷静な自分が、 「え~、宴もたけなわですが・・・」 という「宴たけ宣言」を発出して、強制終了させます。 そして、二次会へ。 そして、その繰り返し・・・(泣)。 前置
家について あれこれと七面倒なことを時々言ったりしますが、 本当は何でもいいと思っています。 木造でも、鉄骨造でも、RC造でも 外断熱でも、内断熱でも 屋根は切妻でも、寄棟でも、片流れでも 壁は白でも、黒でも 持ち家でも、賃貸でも なんでも、人それぞれ 全部まとめて、大正解。 日が暮れた頃、 ああ、早く家に帰りたいなあ、 そう思えたら、 恋しい家になったら、 それはもう名作住宅。 夕暮れに 仰ぎみる 輝く青空 日が暮れて たどるは 我が家の細道 狭いながらも 楽しい我が家 愛の灯影の さすところ 恋しい家こそ 私の青空 「私の青空」 My Blue Heaven 訳詞 堀内敬三 1927年に発売された、アメリカのスタンダードナンバー My Blue Heaven。 Blue Heavenを堀内敬三さんは「青空」と訳しました。 ちなみに、大滝詠一さんはこのMy Blue Heaven
今夜は、ふたご座満月。 アメリカの農事暦ではビーバームーンと呼ぶそうですね。 ビーバーを捕まえるワナを仕掛ける時期という説、ビーバーがダムをつくり始める時期という説、様々あるようです。 お天気はどうかな。 月は美しいですね。 この世で最愛のものかもしれない。 地球の衛星でいてくれてありがとう。 百人一首のうたにも月は多く詠われていて、数えてみると12首。 ・・・そんなに多くなかった(笑)。 もっとありそうな気がするけど。 でも素敵なうたが多い。 月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど 大江 千里 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな 西行法師 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ 清原深養父 有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし 壬生 忠岑 「有明の」には、月という言葉は無いけれど、「有明の月」
眼の具合が悪く、すべての作業はお休み。 朝早くからクイーンのアルバムを聴いていました。 ファーストアルバム、QUEENの一曲目「Keep Yourself Alive」からフレディ生前のラストアルバムINNUENDOの「The Show Must Go On」まで順に、途中ライブアルバムやフレディのソロを挟みつつ。 使い物にならない目を閉じて、全身が耳になっていた一日。 32年前、出張先に向かう電車の中で読んだスポーツ新聞でフレディが旅立ったことを知りました。 ウォークマンに入っていたLIVE KILLERSのカセットを聴きながら車中でシクシクしている変な人になっていました。 子どもの頃から大切にしているLIVE KILLERS(1979年発売)のレコード。 初回盤はカラーレコードでした。 フレディーのピンナップはソロアルバムの初回盤に入っていたもの。 こうしてキリっと見つめられると、 「
静岡の真ん中あたりにある海辺のまち。 砂漠に雪が降ったとしても、ここには降りません。 ひと冬に数回、「風花」の舞う日はあります。 そんな日はみんなで表に出て、手をひろげ、 「雪だよね!これ雪だよね!。」なんて言いながら、無理やり「雪」ということにして、はしゃぎます。 それが静岡県民。 小学生の頃、一度だけ夜中に雪が降ったらしい日がありました。 運動場の隅にうっすらと白いものがあったのです。 それだけで1時間目の授業はやめて、雪合戦ということに。 10分で終了しました・・・。 それでも、同級生はみんなあの日のことを懐かしく思い出すようです。 大事件だったのです。 静岡県民は雪に憧れます。 ホワイトクリスマスなんて、夢のまた夢なのです。 迂愚者の日記(2023_1121) 誰も気にしていない(笑)私のクリスマスソング制作の進捗。 普段は何かつくってもほったらかしなのに、今回は何故かしつこく手直
蚊が出なくなったので、久しぶりに庭のパトロール。 4本あったキンメツゲのうち、1本が枯れていました。 そこそこ日も当たるし、水も撒いていたのですが・・・。 枯れた一本だけは窓から見えない位置にあったのでした。 ですから、それにまったく気づきませんでした。 そういえば長いことキンメツゲのこと、考えたこともなかった。 自分調べの、何の根拠もない定理。 半年間視野に入らず、意識にものぼらなかった植物は枯れる(ことがある)。 枯れたキンメツゲも「見られることもないなら、存在してても・・・」みたいな、存在するのをやめたかのような枯れ方でした。 「誰もいない森で倒れる木は音をたてるのか」みたいな、認識論あるいは量子力学的な問いを思いました。 思い出したのは、「星の王子さま」に出てくる、王子さまとキツネとの会話。 そこでは、おそらく最も重要な単語apprivoiser(アプリヴォワゼ)が登場します。 「
ハウスメーカーさんのCMは夢に溢れていますね。 若いパパ、ママと可愛いお姉ちゃんと弟さんが白い朝日を浴びて幸せそうです。 実のところ、家づくりは思ってもみなかった困難に直面したりして、つらいこともあったりします。 ですから、出会いから引き渡しまで、できるだけそんな幸福のイメージのなかで家づくりを経験できるように、手を尽くしてくれるハウスメーカーさんのお仕事は、それをサービス業と捉えても大変価値のあることだと思っています。 わざわざ辛い思いをする必要はありませんからね。 困難を優しくオブラートで包んで、可視化しないというのもプロの大切な仕事かと思います。 私の場合は自分が建築士で、かなりイレギュラーな家づくりをしているので、もちろん自分を守ってくれるそのような優しいオブラートはありません。 そのうえ、体調が良い時でないと書くことはもちろん、思い出すことも苦痛なほど、次々とやってくる不幸と周囲
先日、御殿場の東山旧岸邸に伺ったのですが、同じ敷地内に「とらや工房」がありました。 www.toraya-kobo.jp 内藤廣さんの設計ですね。 なにやら行列ができていました。 皆様の会話によると「おこわ」かなにかの列のようでした。 行列がはけてから、お茶をいただきながらゆっくり見学することができました。 写真で見て想像していたより、こぢんまりとした素敵な建築でした。 実物が想像より小さい建築は名建築が多いような気がします。 それがヒューマンスケールということなのかなと思います。 敷地が本当に素晴らしく、建築もその環境に呼応していました。 内藤さん設計といえば、昨年伺った「安曇野ちひろ美術館」も素敵でした。 chihiro.jp 当日は曇っていたので、公式ホームページから写真をお借りしました。 何故曇っているとダメなのかというと・・・、 この背景!。 ※安曇野ちひろ美術館 公式ホームペー
2023年11月4日 親のためか、子どものためか。 土地探しや設計のポイントをどこに置くかということなんですが、正解はたぶん無くて、「その時々、人それぞれ」かなと思っています。 私の場合、当時は「子どものため」でした。 長文が書けなくなってきたので、そこについてはまたあらためて書いてみたいと思っています。 ただ、そんなことについて書いた以前の文章があったので、思ひ出に残しておきます。 2017年 5月27日 土地選びの知と情 土地を選ぶ時には、金銭的なことも含め、その後の影響が大きいですし、検討する要素が多すぎて悩みますね。 よく勧められるのは、仕事でやるように条件を箇条書きに書き出して、重要度に応じて点数をつけたりして、できるだけ客観的に判断できるようにすることです。 これは言ってみれば「知」の部分。 一方で、どうしても上手く言葉で表現できなかったり、まして数値化などできないものもありま
友達が高校の募集定員の載った新聞記事を持ってきてくれました。 情弱ぶりをよくわかってくれています(笑)。 ありがたいです。 うちには受験生がいたのでした。 娘はマンガやアニメが大好きです。 できるだけ好きな事にはのめりこんでほしいので、勉強のことはあれこれ言わないできました。 大切な15歳の時間を受験勉強だけで埋めてしまうのは寂しいので。 ただ、試験まであと4か月、集中してやりきってしまうのにちょうど良い期間。 一気に加速して手ごたえを感じてほしい。 そこで、話し合って中期の計画をたてました。 もともと自分で工夫して勉強していたようなので、補足する程度でしたが、上手くのりきれそうです。 アニメを観る時間をどう捻出するかも話し合いました。 こんな親は珍しいのかもしれません。 私には、ちょっと受験名人のようなところがありました。 もちろん試験が好きなはずもなく、嫌いです。 ですから、低能力にも
御殿場にある吉田五十八さん設計の東山旧岸邸。 リビングテーブルの天板は鏡のよう。 庭の緑を映し出すように計算して天板を選び、配置したそうです。 逆さ富士のように庭が美しく映し出されます。 紅葉の季節にまた訪れたいと思います。 家の中に素敵な場所があるのって良いですね。 季節や時間帯によって突然現れるマジックアワー。 そんな時間を家の中で体験できるような設計をしたいと思います。 自分の家には計算して、あるいは図らずも生まれたそんなスポットがいくつかあって、日々楽しんでいます。
同じ県内なのに行ったことのなかった、東山旧岸邸(静岡県御殿場市)に先日行ってきました。 吉田五十八(いそや)さん、晩年の集大成です。 東山旧岸邸は、首相を務めた岸信介の自邸として 1969年に建てられ、現在は登録有形文化財に指定されています。 伝統的な数寄屋建築の美と、 現代的な住まいとしての機能の両立を目指したこの邸宅は 建築家・吉田五十八の晩年の作品であり、 氏の建築美学の到達点のひとつといえます。 東山旧岸邸 パンフレットより まず、何より敷地が素晴らしいです。 門からただならぬ雰囲気が漂っています。 建築の半分は、その敷地を含めた環境だなとあらためて思います。 いや、もしかしたら8割くらい環境かもしれません。 それほど敷地の力は大きく、残った2割の部分に建築家は力を尽くし、 そこに本当の力が尽くせたら、このような傑作が生まれるのだと思います。 眼の具合が悪く、一度に長い文を書けなく
うちはテレビがないので、マスメディア的なものはラジオのみです。 夕飯の時など、ラジオをつけているのですが、恐ろしいニュースがはじまると速攻でパチンと消します。 愛川欽也さんの「ハイ、消えた!」(「なるほど!ザ・ワールド」より)並みに速いかもしれません。 全員、小心者です。 音声でも恐ろしいのにテレビの映像なんて絶対無理です。 あれを見ながらご飯を食べられるのかな。 学生時代の友人で、バイト先のレンタルビデオ屋でホラーを見ながら弁当を食べてる奴がいました。 慣れるのかな。 ネットがあるので世界中の情報を知ることができます。 深く理解するためには、信頼できるジャーナリストの本を読んだり、話を聞いたりしています。 ある程度は把握しているつもりです。 それで十分です。 演出された「報道」に晒されていると、いつの間にやらどこか良からぬ所に連れていかれそうです。 それでも、気が滅入ります。 誰かが、「
両親がまだしっかりしていた頃、よく聞いた話があります。 多少「盛る」傾向があるので(笑)、話半分に聞いていたというか、ひょっとしたらデタラメかもしれないのですが・・・。 こんな話でした。 いま私の名乗っている名字は、もともと(音は似ているのですが)全く別のものでした。 いろいろアバウトで、それが日清戦争なのか日露戦争なのかわからないのですが、私達のご先祖様は次男で、その戦争時に兵隊にとられてしまう危険がありました。 長男は跡取りということで、徴兵されなかったんですね。 そこで、次男だったご先祖様は急遽分家し、家長になって兵役を逃れたそうです。 兵役を逃れるために昔の人がした工夫は何かで読んだことがあって、これは当時よくあった例のようです。 ただ私が好きなエピソードは、さらに念を入れて、別の名字を「街で買ってきて」つけたということです。 名字って街で売ってたのか!。 さらに、元のものと「音の
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