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日本語版はこちら This time three years ago, I was literally working a 9-to-5 job. Actually, it was more like a 5-to-3. Five in the morning to three in the afternoon. This was in 2020, after the minor league season was canceled. I had moved back home from spring training in Jupiter, Florida, to my parents’ place in El Segundo. And at first it was sick. I’d wake up, throw on some sweats, and head over to US
To Read in English, click here. 3年前の今頃、僕は文字通り、9時5時の仕事をしていた。 いや、実際は5時3時だった。朝5時から午後3時までの仕事だったんだ。 それは2020年、マイナーリーグのシーズンがキャンセルされたあとのことだ。僕はフロリダのジュピターで行われていた春のキャンプから、エルセグンドの実家に戻っていた。最初は本当に最高だったよ。目が覚めたらボールを投げて汗を流し、友達のアンジェロとチップス(本名はジョン)と一緒に南カリフォルニア大学へ行ってね。キャンパスの近くにクルマをとめて、USCトロージャンズのバッティングケージに忍び込んで。警備員の目を盗んで、Go Go Go! とフェンスを飛び越え、壁の隙間に入り込んでさ。楽しかったよ。 ところがある夜、バッティングの練習から戻ってくると、両親から座るように言われ、彼らはこう切り出した。「いいかい、あ
To Read in English (Published Feb 12, 2020), please click here. 僕は球界で「何でもずけずけ言うやつ」と思われている。言い方を変えれば、僕が球界を混乱させているということだ。でも、「何でもずけずけいうやつ」というのが僕に対する正しい表現なのかわからない。僕はただ真実を語ろうとしているだけだ。事実に基づいたことをいつも言っているつもりで、決してでたらめを言っているわけではない。もし僕が間違っているなら、それは素直に認めるつもりだ。ときには、真実を話すことが誰かを困らせたり、怒らせたりすることは理解している。でも、それで自分を変えるつもりはないし、自分が正しいと思っていることを引っ込めるつもりはない。 真っすぐに生きていくのは大変だ。人は孤独でいる時間が長いし、それはかなりしんどいものだ。しかし僕は孤独に慣れていた。温かい家族のもと
To Read in English (Published Feb 9, 2023), click here. 僕はいつも、アーセナルと不思議な繋がりを持ってきた。実際にクラブと契約を結ぶよりもずっと前からね。それを説明するには、このちょっとした話をするほかない。 僕はテレビゲームにのめり込んだことはなかった。僕らが子供の頃は、いつも外で遊んでいるのが普通だったからね。でもFIFAだけは、例外だった。プレーするのは大体、キャリアモード。監督になってチームを運営する、あれのことさ。 選ぶクラブはいつもアーセナルだった。僕のFIFAのチームだね。 ノルウェーで育った僕は、いつもプレミアリーグを観ていて、アーセナルに好感を抱いていた。ティエリ・アンリやインヴィンシブルズの映像も観たことがある。このクラブはファブレガスやナスリ、エジルといったプレーメイカーを育てていることも知った。実にスマートでテ
To Read in English, click here. 僕にとってNBAでの5シーズン目が、いよいよ始まりました。 今日は、今シーズンからお世話になるブルックリン、そして昨シーズンまで在籍したトロント、この2つの街とチームについて想いを伝えられたらと思います。 まずはマンハッタンからイースト川を渡った位置にある街・ブルックリン。 僕はこの街と何か不思議な縁があると感じています。 というのも、9年前にバスケットボールの本場アメリカにやってきた僕は、節目節目でこの街にいたからです。秋景色になり少し肌寒くなったこの街並みを歩くと、特別な思い出がよみがえってきます。 5シーズンに渡って一度も開幕ロスターが確定していない“崖っぷち”の状態からのスタート - 渡邊雄太 今から4年前。ジョージワシントン大学を卒業した僕は、NBAのドラフトで指名されることを目指して様々なチームを渡り歩き、ワークア
今年もメジャーリーグで、大谷翔平選手が圧倒的な存在感を見せつけファンを魅了している。打って良し、投げて良しの二刀流。僕ら世代が考えていた野球とは、まったくかけ離れた世界にいるといって良い。本当にすごい。 僕にとって、彼は現役時代最後に対峙したバッターでもある。その時投じた8球が、「黒田博樹から大谷翔平への無言のメッセージ」として受け止められているのだと、メディアの報道を通じて最近知った。 大谷選手が「ほぼ全球種を打席で見ることができた。間合いやボールの軌道が勉強になった」と言ってくれていたらしい。何しろ普段から自分に関わる報道は目に入れないようにしていたので、これまで知る機会がなかった。 大変光栄に思うと同時に、「いや、あれは大谷選手自身が僕から引き出してくれたものだったんですよ」と言いたい。意図的に球種の幅を見せよう、なんて余裕はなかった。6年ほど前のことなので細かいことは覚えていないが
To Read in English(Published May 20, 2022),click here. こんなこともあるさ。 時として、こういうのは本当にシンプルなんだ。 僕はバスケットボールを生業にしている。バスケをプレーしていれば、ケガをすることだってある。メンフィスでの(NBAプレーオフ、ウェスタン・カンファレンスセミファイナル)第2戦が行われた夜...ケガをした。起こってしまったことは仕方がないし、不運だった。でも正直なところ、それほど落ち込まなかったんだ。 あのプレーで起こったことについて、さまざまな論争もあるだろうけれど、僕があの出来事で一番記憶に残っていることは何だと思う? 与えられたフリースローさ。 コートに叩きつけられた後、フリースローを打ちたくて仕方がなかった。悲しさ全開ですぐにロッカールームに下がることだけはしたくなかった。せめて、チームのために点を決めるまでは
元プロ野球選手が、学校をつくる。 普通に考えれば、少年野球やリトルリーグに関連した「野球の学校」だと想像されるだろう。でも、僕がつくったのは小学校だ。6年間の義務教育。子どもたちが学び、育ち、挑戦する場所。 きっと、地元・福岡の知り合いたちは、ひっくり返って驚くだろう。 僕だって、野球1本でやってきた自分が、まさか学校経営に携わるようになるとは考えていなかった。若い頃の自分は、1%だってそんな未来は思い描いていなかった。 じゃあ、なんで――? その答えは、やっぱり野球にある。 野球を通して培ってきたあらゆる経験が、僕を自然と教育現場に導いた。 この4月、札幌市に念願の小学校、「田中学園立命館慶祥小学校」が開校した。僕はその理事長。いまは、この道を歩んでいくことに、とてもワクワクしている。 2013年秋。僕はベネズエラにいた。世界で三本の指に入る犯罪の多い国と言われている。 米大リーグ挑戦1
To Read in English,click here. 考えれば考えるほど、プロのベースボールプレーヤーとしての最後のスイングが日本での一振りになるかもしれないなんて、自分らしいと思う。 しかも、何もかもが完璧だった――あの瞬間は一生忘れない。 ヤクルトスワローズと対戦した2021年の日本シリーズ第5戦。妻と2人の息子はスタジアムで観戦していて、ダグアウトのすぐ近くの席にいた。だから、試合中も家族と話していたんだ。自分は先発ではなかったし、代打の出番がくるかどうかも定かではなかった。でも、ヤクルトが8回に3点を取って5-5の同点になった後、9回の先頭打者として監督が僕を呼んだ。 マウンドにいたのはスコット・マクガフ。カウントはツーボール・ノーストライク。来た球はインサイドのファストボール。19年のキャリアで何百万回と見てきた球だった。そして―― まさに会心の一撃だった。 カキーン!
16歳の阿部勇樹へ。 お元気ですか? もしかして、また試合に負けて泣いているところだったりするのかな。君はいつも泣いているよね。自分で振り返ってみても、「なんでそんなに泣くの?」って言いたくなるくらい泣き虫だった。いまはちょっと涙を拭いて、僕の話を聞いてくれるかな。 改めて聞くよ。君の夢はなんだい? 4年前にスタートしたJリーグでプロ選手になることかな? 驚かないで聞いて欲しい。そのJリーグデビューは今年の夏に、突然訪れる。そして、40歳までプレーすることになる。その涙がすべて無駄じゃなかったんだと思える24年間だ。伝えたいことはたくさんあるけど、まずはいまの君へのアドバイスから始めよう。 君にとっては少し前の話になるけど、高校進学をめぐって家族に大反対された「事件」があっただろ? 君はとにかくサッカーをやることしか考えていなかったから、ジェフユナイテッド市原ユースでの活動を中心にやってい
40歳になるシーズンをどこで過ごすのか――。 2014年12月、僕はこれまでになく悩んでいた。 オファーを出してくれたのは、報道で出ていた通りその年まで在籍していたヤンキースとメジャー複数球団。 そして…古巣、広島東洋カープ。 引退も視野に入ってくる年齢で、これだけ多くの球団から評価をしてもらい、報道に出ていたような大きな契約のオファー(TPT編集部注・単年20億円以上)もいただいていた。選択肢を持つことができた自分は、相当な幸せ者だと言っていい。何よりメジャーがまだ僕を必要としてくれている、そのことが素直にうれしかった。 ただ、やはり残された野球人生がそう長くないことを思うと、何を決め手に選べば良いのか、自分でも分からなくなってしまっていた…。 1分1秒と変わってゆく考え。 蕁麻疹が出るほど悩みに悩んでいた。眠れない日々で消耗し、気がついたら年の瀬が迫っている。日本の野球シーズン始動はア
2008(平成20)年8月23日――。 僕はこの日を一生、忘れないと思います。この日、中国・北京ではオリンピック野球競技の試合が行われていました。日本代表チームはアメリカとの3位決定戦に臨んだものの、4対8で敗れてメダル獲得はなりませんでした。その敗因となったのが、逆転のきっかけとなった僕の落球でした。 実はその前日に行われた韓国戦でも、僕は2つのエラーを犯しています。オリンピックの大舞台で、まさかの3つものエラー……。 金メダルの夢が僕のせいで途絶えてしまって、本当に申し訳ございませんでした - G.G.佐藤 日本代表チームを率いる星野仙一監督は、大会前に「金メダル以外はいらない」と宣言していました。しかし、僕のエラーによって、金メダルどころか、銅メダルさえも獲ることができませんでした。最後の試合が終わってホテルに戻った後、チームメイトに合わせる顔がありません。「死にたい」という思いを抱
To Read in English (Published Oct 14, 2019), please click here. 親愛なる17歳のジャンルイジへ。 多くの人生経験を重ねて、間違いも犯してきた41歳の男として、今夜、私はこの手紙を君に宛てて書く。いいニュースも悪いニュースも伝えようと思うけれど、実は、君の“魂”について語ろうと思ってペンを取った。 そう、君の魂だ。まだわからないかもしれないけれど、君はそれを持っているんだ。 まず、悪いニュースから始めよう。君は17歳。夢にまで見たプロのサッカー選手に、いままさになろうとしている。自分は万能で何でも知っていると思い込んでいる。だが実際は、残念ながらまだ何ひとつわかっていない。 数日後、君はパルマの選手としてセリエAデビューのチャンスを得ることになるだろう。だが、まだ怖いもの知らずで無知なだけだ。夜は温かいミルクでも飲んで早く寝るの
To Read in English (Published Jun 18, 2018), please click here. 我が家のカネが底を尽きたと悟った瞬間を覚えている。冷蔵庫の前に立つ母さんの顔を、いまでも鮮明に、だ。 俺は6歳だった。いつも学校の昼休みの時間は、一度家に帰ってランチを食べていた。母さんが用意してくれるのはパンとミルクだけ。毎日、同じメニューだったよ。子どもだったから当時は気にならなかったけど、いま思うと、それしか買えなかったんだと思う。 あの日、俺が家に戻りキッチンに入ると、いつものように紙パックのミルクを持って冷蔵庫の前に立つ母さんがいた。だが、その紙パックに何かを混ぜて、振っていたんだ。最初は何が起こっているのか理解ができなかった。母さんは俺のランチを持ってきて、まるで何事もなかったかのように微笑んだが、すぐに気づいたよ。 彼女はミルクに水を混ぜていたんだ。
【Dear Jeter | 松井秀喜】はこちら English version please click here. 「ヤンキースでワールドチャンピオンになりたい」 この夢を実現するために、日本を飛び出したのが2003年。あれから18年が経ち、気づけばアメリカで生活した月日が、生まれ育った故郷・石川で過ごした歳月を超えようとしています。 夢を現実にすると決意したのは、1999年の秋です。 その年、所属していた読売巨人軍がリーグ優勝を逃し、少し早いシーズンオフに入ったので、ヤンキースのプレーオフをニューヨークで観戦したいと思い、すぐにニューヨークに向かいました。リーグチャンピオンがかかったヤンキースとレッドソックスの試合を観戦する機会を得ることができました。当時のヤンキースはまさに黄金時代。ピンストライプのユニフォームをまとった名選手たち、スタジアムの雰囲気、そして肌で感じる緊張感。すべてに
【Thank you, New York | 松井秀喜】はこちら English version please click here. 日本から海を渡りニューヨーク・ヤンキースでプレーした7年間。 1人の偉大な選手と出会い、そしてともに過ごした日々が私の人生にとって大きな財産となっています。 その選手こそが、デレク・ジーターです。 私が説明するまでもなく、現役時代の彼はピンストライプのユニフォームがとても良く似合い、そのプレーとキャプテンシーでファンを魅了し続けました。まさしくメジャーリーグを代表するスーパースターでしたし、いまなお、その姿は世界中の人々の心に深く刻まれていると思います。 そのジーターが、ザ・プレーヤーズ・トリビューン(TPT)日本版のスタートに際して、『Dear Japan』という記事を公開しました。その中で彼が日本へのメッセージに加えて、私との思い出、そして日本で一緒に
To read in English, please click here. ある日の試合後の記者会見。メディアの人が僕にこんな問いかけをしてきた。 「ガベージタイムで、見事にリバウンドを取りましたが……」 瞬時に僕は語気を強めて反応してしまった。「ガベージタイムなんて、ありません」と。 その場が凍りついたのがわかった。その記者さんに、決して悪気はなかったはずだ。得点差がついてしまい勝敗の行方が決まった後の、残り1分、2分。実際に、なかなか評価されにくいその時間に良いプレーをした、好意的な記事を書くための質問だった。それでも僕はそのたったひとつの言葉を、どうしても看過することができなかった……。 1分、1秒も消化時間というものはない。ひとつでも良いプレーを見せて認めてもらわない限り、次の試合に出場できる保証はどこにもない - 渡邊雄太 “ガベージ・タイム”。 直訳すると、ガベージは『ゴミ、
I remember the exact moment I knew we were broke. I can still picture my mum at the refrigerator and the look on her face. I was six years old, and I came home for lunch during our break at school. My mum had the same thing on the menu every single day: Bread and milk. When you’re a kid, you don’t even think about it. But I guess that’s what we could afford. Then this one day I came home, and I wa
Watch Ichiro in the on-deck circle. The guy never stops moving. Go ahead and look at some video of it. He’ll take a few warmup swings, then all of a sudden he’ll be crouching down, knees bent, rocking from side to side. He’ll stand up to take a couple more swings, and then he’ll be back down in a wide stance, doing this crazy thing where he rolls his shoulders back and forth. The whole routine is
Dear Basketball, From the moment I started rolling my dad’s tube socks And shooting imaginary Game-winning shots In the Great Western Forum I knew one thing was real: I fell in love with you. A love so deep I gave you my all — From my mind & body To my spirit & soul. As a six-year-old boy Deeply in love with you I never saw the end of the tunnel. I only saw myself Running out of one. And so I ran.
England forward Alessia Russo hears a message from her mom, Carol, at the World Cup.
タイラー・オースティンから横浜ベイスターズファンへの手紙:“これまで受けた好意、そして横浜に恩返しする時がきた。最高の恩返しの方法はわかっている”
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