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アニメと仏教に関するsteropeのブックマーク (4)

  • 所詮大乗仏教である『まどマギ』でマミさんに自力救済ルートはない

    あの宇宙の魔法少女は、 阿弥陀如来となったまどかの願である 「全ての魔女を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来の全ての魔女を、この手で」 「希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最期まで笑顔でいて欲しい。それを邪魔するルールなんて、壊して見せる。変えて見せる」 によって救われることが約束されているので、 その阿弥陀様が現れるまでの次元・時間においては、魔法少女は絶望して発狂し続けるのです。 これが他力願です。 せいぜい宇宙の仕組みを知るほむらが 「南無真努迦仏」という名号を魔法少女たちに知らせ、 「これさえ唱えれば極楽往生が約束されるから大丈夫」 と説得することで現世での救い(気休め)が得られます。 ところで来の仏教はこういうものではありません。 初期仏教であればマミさんは自力救済が可能です。 今日は初期仏教のご紹介のためにこちらにあがらせていただきました。 マミ

    所詮大乗仏教である『まどマギ』でマミさんに自力救済ルートはない
  • マミさんを発狂させないためにはどうすればよかったのか(追記あり)

    アニメ10話で魔女の真実を知ったマミさんが半ば発狂するシーン(みんな死ぬしかないじゃない!あなたも、私も!)が有名だけど あれをさせないためにはどうすればよかったのか? 例のシーンに色々説はあるけど、個人的には冷静に発狂していた説を推したい。 「孤独+周りの不仲+自分の空回り+唯一信頼してた後輩の死亡(さやか)+魔女の真実+自分の目的の喪失(魔法少女として魔女の脅威から人を守る)」が全部重なったから最終的に「自分を含めた魔法少女を魔女化する前に死滅させる」って判断になってもおかしくない。 アニメの最初の回(マミった週)では魔女の真実知る前に油断して死ぬからわからないけど、あの週では結局さやかが魔女化しちゃうし仲がいいのはまどかだけだったからたぶん発狂する。 まどぽだとほむらとまどかに嫉妬するレベルで二人と仲良ければ、真実を知ってもぎりぎり踏みとどまることもあった。 おりこだと真実を知って愕

    マミさんを発狂させないためにはどうすればよかったのか(追記あり)
  • アニメ「魔法少女まどかマギカ」と祖父の死 | 「ほとけの子」育て | 彼岸寺

    夫が「人に勧められて」と、珍しくアニメのDVDを借りてきました。それは「魔法少女まどかマギカ」。ネタバレになるのであまり詳しくは書きませんが、ストーリー設定が非常に仏教的で、見れば見るほどその世界観に引きずり込まれるのだと、お坊さん仲間の間でもかなりの評判になっていた作品です。とは言え、アニメを見慣れないわたしにとってはあまり見やすいものとは言えず、「そうは言っても、とにかく3話まで我慢して見ればもう目が離せなくなる」との口コミを頼りに、なんとか頑張ってその3話までを見終えました。なかなかどうして、たしかに先の展開が気になって仕方ありません。そこからはいっきに最終話までを借りそろえ、あっという間に見終わってしまいました。 お話の中で、「どうして人間は、そんなに魂の在り処にこだわるんだい?」という言葉がありました。魂は体から離れて生き続けているのに(という設定)、死んで肉体が動かなくなること

  • 魔法少女まどか☆マギカで学ぶ仏教思想 - 猫と杓子と鰹節

    先日、「魔法少女まどか☆マギカ」の最終話が(ようやく)放映されました。その内容には賛否両論あると思いますが、ごく一部で話題になっている事として作と大乗仏教思想の類似性が挙げられます。しかしながら私が適当に検索を掛けてみたところ、断片的な類似性の指摘はあっても格的な考察は見当たらなかったので、このような記事を書いた次第です。この記事は仏教学入門とアニメ「まどか☆マギカ」の評論という2つの面を持っています。従って同作についての激しいネタバレを含みますのでご注意ください。*1 ・そもそも仏教とは? ご存知のように仏教は紀元前5世紀頃*2に、北インドで生まれた宗教です。その開祖は俗名をガウタマ・シッダールタと伝えられ、一般にはブッダ(buddha)の称号で知られています。buddhaとは「目覚める」という意味の動詞budhの過去分詞形であり、(真理に)目覚めた人という尊称として使われています。

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