丸山 千里
マルヤマ チサト
昭和・平成期の医師 日本医科大学名誉教授。
- 生年
- 明治34(1901)年11月27日
- 没年
- 平成4(1992)年3月6日
- 出生地
- 長野県茅野市
- 学歴〔年〕
- 日本医専(現・日本医科大学)〔昭和3年〕卒
- 学位〔年〕
- 医学博士
- 主な受賞名〔年〕
- 全国発明表彰〔昭和24年〕「百日咳菌の特異抗元性物質の抽出法」
- 経歴
- 中学卒業直前に肺結核にかかり、3年間の闘病生活を送る。昭和3年日本医専(現・日本医科大学)卒業後、同大講師となり、22年皮膚科教授、43年附属病院院長、49年学長に就任。この間、20年間にわたってハンセン病患者の施設・多磨全生園に通い続けワクチン療法を研究する。やがてハンセン病に効果のある結核菌の抽出物質である丸山ワクチン(ヒト型結核菌体抽出物質=SSM)が癌治療に対しても有効であることを発見、有名な“丸山ワクチン”の誕生となる。39年より実際に投与。51年ゼリア新薬工業から抗悪性腫瘍剤としての認可申請が出されたが、56年厚生省は丸山ワクチンに癌への有効性は認められないと発表した。しかし、無認可にも拘らず、使用者は28万人を越えるといわれる。平成3年6月丸山ワクチンの成分濃縮液“Z-100”が癌治療の副作用抑制剤として承認された。著書に「丸山ワクチン」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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丸山千里【まるやまちさと】
医学者。長野県生れ。1928年に日本医科大学を卒業し,同大学皮膚科学教室に入局。皮膚結核やハンセン病の治療に打ち込む過程で,1944年に皮膚結核の治療薬としてワクチンを精製,のちに〈丸山ワクチン〉と呼ばれた。1947年に日本医科大学皮膚科学教室の教授となる。1964年に癌治療にワクチンを使用することを決意し,好結果を得たことでワクチン療法による癌治療が開始された。丸山ワクチンの癌患者への有効性については,1974年の国際癌学会で報告があり,これを受けて患者が殺到。癌の治療薬としての認可をめぐり,国会でも審議されるほどの社会問題となった。その結果,正式な薬としての認可がないまま,1981年に有償治験薬(患者が実費を負担して使用する治験薬)として使用が認められ,多くの患者が丸山ワクチンを使っている。日本医科大学名誉教授で,1974年には一時的に同大学学長を務めた。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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丸山千里
まるやまちさと
(1901―1992)
医学者。長野県生まれ。1928年(昭和3)日本医科大学皮膚科を卒業、同皮膚科教室に入局、1947年同教授。丸山ワクチンを開発し、1944年以来、皮膚結核、ハンセン病の治療に使用してきたが、1966年以来、癌(がん)治療に用いる。しかし、厚生省から抗悪性腫瘍剤(こうあくせいしゅようざい)としての製造承認が得られず、有償治験薬の特別措置がとられて使用されている。1968年日本医科大学附属病院長、1972年同ワクチン療法研究所長、1974年同学長を歴任し、同名誉教授。著書に『丸山ワクチン―ガンを追いつめる』『皮膚科全書結核疹』などがある。平成4年3月6日没。
[編集部]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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丸山千里 まるやま-ちさと
1901-1992 昭和-平成時代の皮膚科学者。
明治34年11月27日生まれ。昭和22年母校日本医専の後身の日本医大教授,49年学長となる。19年皮膚結核の治療のため,ヒト型結核菌抽出物から「丸山ワクチン」を開発。これががん治療に有効であるとして抗がん剤の申請をしたが,厚生省の認可はえられず,治験薬としての生産がつづくなか,平成4年3月6日死去。90歳。長野県出身。
【格言など】私は患者さんの病気さえよくなれば十分です
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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丸山 千里 (まるやま ちさと)
生年月日:1901年11月27日
昭和時代;平成時代の医師
1992年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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