クラソスの戦い(クラソスのたたかい)は804年に勃発した、アラブ・東ローマ戦争中の戦闘。ビザンツ皇帝ニケフォロス1世率いる東ローマ軍とイブラハム・イブン・ジブリル率いるアッバース朝軍とが衝突した。802年にニケフォロス1世が帝位を継承したことで、アラブと東ローマとの戦争が再開されたと伝わる。804年夏、アッバース朝は東ローマ帝国が治める小アジアに侵攻し、アラブ人の慣例に従い掠奪した。ニケフォロスはこれを迎え撃とうと進軍したが、クラソスにて予期せぬほどの大敗を喫し命からがら逃げ帰った。後に講和条約が結ばれ双方の捕虜を交換した。ニケフォロスはこれほどの大敗をしでかした上、翌年にはアッバース朝が再び侵攻してくるにもかかわらず、アッバース朝自身が内乱を抱え講和せざるを得なくなるまで耐え抜いた。

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  • クラソスの戦い(クラソスのたたかい)は804年に勃発した、アラブ・東ローマ戦争中の戦闘。ビザンツ皇帝ニケフォロス1世率いる東ローマ軍とイブラハム・イブン・ジブリル率いるアッバース朝軍とが衝突した。802年にニケフォロス1世が帝位を継承したことで、アラブと東ローマとの戦争が再開されたと伝わる。804年夏、アッバース朝は東ローマ帝国が治める小アジアに侵攻し、アラブ人の慣例に従い掠奪した。ニケフォロスはこれを迎え撃とうと進軍したが、クラソスにて予期せぬほどの大敗を喫し命からがら逃げ帰った。後に講和条約が結ばれ双方の捕虜を交換した。ニケフォロスはこれほどの大敗をしでかした上、翌年にはアッバース朝が再び侵攻してくるにもかかわらず、アッバース朝自身が内乱を抱え講和せざるを得なくなるまで耐え抜いた。 (ja)
  • クラソスの戦い(クラソスのたたかい)は804年に勃発した、アラブ・東ローマ戦争中の戦闘。ビザンツ皇帝ニケフォロス1世率いる東ローマ軍とイブラハム・イブン・ジブリル率いるアッバース朝軍とが衝突した。802年にニケフォロス1世が帝位を継承したことで、アラブと東ローマとの戦争が再開されたと伝わる。804年夏、アッバース朝は東ローマ帝国が治める小アジアに侵攻し、アラブ人の慣例に従い掠奪した。ニケフォロスはこれを迎え撃とうと進軍したが、クラソスにて予期せぬほどの大敗を喫し命からがら逃げ帰った。後に講和条約が結ばれ双方の捕虜を交換した。ニケフォロスはこれほどの大敗をしでかした上、翌年にはアッバース朝が再び侵攻してくるにもかかわらず、アッバース朝自身が内乱を抱え講和せざるを得なくなるまで耐え抜いた。 (ja)
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  • アナトリア半島 & 東ローマ帝国とアッバース朝との国境付近 (ja)
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  • クラソス、フリギア、現在のトルコ (ja)
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  • クラソスの戦い(クラソスのたたかい)は804年に勃発した、アラブ・東ローマ戦争中の戦闘。ビザンツ皇帝ニケフォロス1世率いる東ローマ軍とイブラハム・イブン・ジブリル率いるアッバース朝軍とが衝突した。802年にニケフォロス1世が帝位を継承したことで、アラブと東ローマとの戦争が再開されたと伝わる。804年夏、アッバース朝は東ローマ帝国が治める小アジアに侵攻し、アラブ人の慣例に従い掠奪した。ニケフォロスはこれを迎え撃とうと進軍したが、クラソスにて予期せぬほどの大敗を喫し命からがら逃げ帰った。後に講和条約が結ばれ双方の捕虜を交換した。ニケフォロスはこれほどの大敗をしでかした上、翌年にはアッバース朝が再び侵攻してくるにもかかわらず、アッバース朝自身が内乱を抱え講和せざるを得なくなるまで耐え抜いた。 (ja)
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  • クラソスの戦い (ja)
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