丸尾 興堂(まるお こうどう、1840年《旧暦天保11年5月》 - 1914年《大正3年》1月18日)は、日本の医師。丸尾家の歴代当主は瞭益(りょうえき)と号していたため、二代目 丸尾 瞭益(にだいめ まるお りょうえき)、または新字体で二代目 丸尾 瞭益(にだいめ まるお りょうえき)と呼ばれることもある。 城東病院院長(初代)、復明館眼科医院院長(初代)などを歴任した。