保科 正棟(ほしな まさたか、安永7年(1778年) - 没年不明)は江戸時代後期の旗本。飯野藩主家分家の旗本保科氏第8代目当主で寛政重修諸家譜編纂当時の同家当主である。諱は正棟。通称は永次郎。父は保科正恒。兄姉は(幾太郎)の正室、正実(大次郎)。寛政重修諸家譜編纂時点の正室は(宮次郎)の娘で子は鐵作。また婚約者あるいは継室に本家飯野藩主保科正率の娘。石高は上野国群馬郡・吾妻郡のうち2500石。 知行2500石と虎ノ門新道に屋敷を持つ保科栄次郎とその子保科正敬(俊太郎)の先祖であるが、具体的な続柄は不明である。