光州事件(こうしゅうじけん、クァンジュじけん)は、1980年5月18日から27日にかけて大韓民国(韓国)の全羅南道の道庁所在地だった光州市(現:光州広域市)を中心に起きた市民による軍事政権に対する民主化要求の蜂起である。 第二次大戦後の1948年建国以降発生した「済州島四・三事件」や「保導連盟事件」と同様に、韓国軍が自国民を大量虐殺した事件の一つであり、軍による一斉射撃などで一般市民に多数の死者を出した。この光州事件では市民側の目的である民主化達成と軍事政権を倒すことはできなかったが、7年後、1987年に軍事政権側が「6・29民主化宣言」を出し、言論の自由と大統領の直接選挙を認めた。