北京の歴史(ペキンのれきし)では、中華人民共和国の首都北京市の歴史について説明する。北京には、3,000年以上さかのぼる悠久の歴史があるといわれる。紀元前221年の始皇帝による中国の統一以前、北京は数世紀にわたって古代国家と燕の首府であった。秦・漢の統一帝国時代にあっては、周辺地域の中心として栄えた。古代中国の北の境界は現在の北京市付近にあり、その北の遊牧民たちは境界を越えて頻繁に侵入した。そのため、後世北京と称される地域は、軍事的・政治的要地として重視された。帝国統治の最初の千年、北京は華北の地方都市であった。しかし、10世紀から13世紀にかけて、遊牧民の契丹(キタン)族と森林地帯に住む女真(ジュシェン)族が相次いで万里の長城を越えて南方に進出し、北京の地は遼王朝および金王朝の副都、そして金王朝の首都として栄えた。モンゴル民族のクビライが大都を元王朝の首都とした13世紀後葉、中国全土が初めて北京の政権によって支配された。 1279年以降、1368年から1420年までの間と、1928年から1949年までの間の2時期を除いて、北京は中国の首都であり続けた。漢民族が主導した明王朝(1421年 - 1644年)、満洲民族が主導した清王朝(1644年 - 1912年)にあっても皇帝権力の中枢はここに置かれた。初期の中華民国(1912年 - 1928年)、そして中華人民共和国 (1949年以降)では首都が置かれ、現在に至っている。