北京機関(ペキンきかん)は1950年、書記長の徳田球一や野坂参三ら日本共産党の一部幹部が、正規の手続きによらずに中央委員会を解体し、非合法活動に移行するなか、中国に渡航してつくった機関。ソ連や中国の資金援助を受けて、51年綱領等に基づき武装蜂起式の日本革命を指導した。日本には徳田らが指名した臨時中央指導部が残った。現在、日本共産党は北京機関について、「徳田、野坂らが党の方針に背いて党を破壊して、勝手に中国に亡命してつくり、ソ連・中国流の武装闘争の方針を持ち込んだもの。党とは無関係であり、その誤った方針の克服を通じて今日の党がある」としている。