定額僧(じょうがくそう)は、古代律令制において、寺院などに定められた一定数の僧侶、あるいはその僧侶自身のこと。 「定額」は定員を意味し、律令制においては課税逃れを防ぐため、朝廷は寺院に対して僧侶の定員遵守を厳しく求めた。最古例として、奈良時代の天平13年(741年)に諸国の国分寺に対して僧20人、同じく国分尼寺に対して尼10人の定額を設定したことが挙げられる。平安時代に入ると、弘仁13年(823年)に東寺50人など各種の官寺に対して定額僧が定められた。 定額僧の数は常に維持されることが望まれ、欠員が生じた場合にはこれを補う事が許された。また、定額を維持するために朝廷よりを与えてその財政を助けたという。

Property Value
dbo:abstract
  • 定額僧(じょうがくそう)は、古代律令制において、寺院などに定められた一定数の僧侶、あるいはその僧侶自身のこと。 「定額」は定員を意味し、律令制においては課税逃れを防ぐため、朝廷は寺院に対して僧侶の定員遵守を厳しく求めた。最古例として、奈良時代の天平13年(741年)に諸国の国分寺に対して僧20人、同じく国分尼寺に対して尼10人の定額を設定したことが挙げられる。平安時代に入ると、弘仁13年(823年)に東寺50人など各種の官寺に対して定額僧が定められた。 定額僧の数は常に維持されることが望まれ、欠員が生じた場合にはこれを補う事が許された。また、定額を維持するために朝廷よりを与えてその財政を助けたという。 (ja)
  • 定額僧(じょうがくそう)は、古代律令制において、寺院などに定められた一定数の僧侶、あるいはその僧侶自身のこと。 「定額」は定員を意味し、律令制においては課税逃れを防ぐため、朝廷は寺院に対して僧侶の定員遵守を厳しく求めた。最古例として、奈良時代の天平13年(741年)に諸国の国分寺に対して僧20人、同じく国分尼寺に対して尼10人の定額を設定したことが挙げられる。平安時代に入ると、弘仁13年(823年)に東寺50人など各種の官寺に対して定額僧が定められた。 定額僧の数は常に維持されることが望まれ、欠員が生じた場合にはこれを補う事が許された。また、定額を維持するために朝廷よりを与えてその財政を助けたという。 (ja)
dbo:wikiPageID
  • 1404204 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 499 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 76766242 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
dct:subject
rdfs:comment
  • 定額僧(じょうがくそう)は、古代律令制において、寺院などに定められた一定数の僧侶、あるいはその僧侶自身のこと。 「定額」は定員を意味し、律令制においては課税逃れを防ぐため、朝廷は寺院に対して僧侶の定員遵守を厳しく求めた。最古例として、奈良時代の天平13年(741年)に諸国の国分寺に対して僧20人、同じく国分尼寺に対して尼10人の定額を設定したことが挙げられる。平安時代に入ると、弘仁13年(823年)に東寺50人など各種の官寺に対して定額僧が定められた。 定額僧の数は常に維持されることが望まれ、欠員が生じた場合にはこれを補う事が許された。また、定額を維持するために朝廷よりを与えてその財政を助けたという。 (ja)
  • 定額僧(じょうがくそう)は、古代律令制において、寺院などに定められた一定数の僧侶、あるいはその僧侶自身のこと。 「定額」は定員を意味し、律令制においては課税逃れを防ぐため、朝廷は寺院に対して僧侶の定員遵守を厳しく求めた。最古例として、奈良時代の天平13年(741年)に諸国の国分寺に対して僧20人、同じく国分尼寺に対して尼10人の定額を設定したことが挙げられる。平安時代に入ると、弘仁13年(823年)に東寺50人など各種の官寺に対して定額僧が定められた。 定額僧の数は常に維持されることが望まれ、欠員が生じた場合にはこれを補う事が許された。また、定額を維持するために朝廷よりを与えてその財政を助けたという。 (ja)
rdfs:label
  • 定額僧 (ja)
  • 定額僧 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of