寺岡 謹平(てらおか きんぺい、1891年3月13日 - 1984年5月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。事前に終戦を知っていたにもかかわらず、8月15日の午前にも特攻出撃を命じ、多くの犠牲者を出した。特攻隊員たちに対し、自分も特攻に行くと約束しておきながら、結局特攻には行かず終戦後も生き残った。