幸阿弥派(こうあみは)または幸阿弥家(こうあみけ)は、漆芸における蒔絵師の流派で代々将軍家に仕えた。室町時代、足利義政の近習である土岐四郎左衛門道房の子、四郎左衛門が幼少より蒔絵技術を習った。その技巧は無双の名人と称されるに至ったのが始まりとされる。初代幸阿弥道長は、土佐光信の下絵を用いて高蒔絵にし、形状は能阿弥、相阿弥の趣向を用いて研ぎ出し蒔絵とした。(蒔絵#主な技法とその歴史を参照) 天皇即位の際の調度品、あるいは公家の調度品のほか、婚礼調度品が有名で、徳川家光に嫁いだ千姫の鏡台である「初音蒔絵調度」や、徳川治宝の娘の三棚、化粧道具、手水道具、衣装箪笥、楽器などの婚礼調度がある。他に太閤秀吉と北政所愛用の椅子、歌箪笥、手文庫、手拭掛などは、いわゆる高台寺蒔絵の代表として徳川美術館などに納められており現在まで伝わっている。また、道長や五十嵐信斎の漆芸品は東山御殿物とされ同じく伝わっている。

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  • 幸阿弥派(こうあみは)または幸阿弥家(こうあみけ)は、漆芸における蒔絵師の流派で代々将軍家に仕えた。室町時代、足利義政の近習である土岐四郎左衛門道房の子、四郎左衛門が幼少より蒔絵技術を習った。その技巧は無双の名人と称されるに至ったのが始まりとされる。初代幸阿弥道長は、土佐光信の下絵を用いて高蒔絵にし、形状は能阿弥、相阿弥の趣向を用いて研ぎ出し蒔絵とした。(蒔絵#主な技法とその歴史を参照) 天皇即位の際の調度品、あるいは公家の調度品のほか、婚礼調度品が有名で、徳川家光に嫁いだ千姫の鏡台である「初音蒔絵調度」や、徳川治宝の娘の三棚、化粧道具、手水道具、衣装箪笥、楽器などの婚礼調度がある。他に太閤秀吉と北政所愛用の椅子、歌箪笥、手文庫、手拭掛などは、いわゆる高台寺蒔絵の代表として徳川美術館などに納められており現在まで伝わっている。また、道長や五十嵐信斎の漆芸品は東山御殿物とされ同じく伝わっている。 (ja)
  • 幸阿弥派(こうあみは)または幸阿弥家(こうあみけ)は、漆芸における蒔絵師の流派で代々将軍家に仕えた。室町時代、足利義政の近習である土岐四郎左衛門道房の子、四郎左衛門が幼少より蒔絵技術を習った。その技巧は無双の名人と称されるに至ったのが始まりとされる。初代幸阿弥道長は、土佐光信の下絵を用いて高蒔絵にし、形状は能阿弥、相阿弥の趣向を用いて研ぎ出し蒔絵とした。(蒔絵#主な技法とその歴史を参照) 天皇即位の際の調度品、あるいは公家の調度品のほか、婚礼調度品が有名で、徳川家光に嫁いだ千姫の鏡台である「初音蒔絵調度」や、徳川治宝の娘の三棚、化粧道具、手水道具、衣装箪笥、楽器などの婚礼調度がある。他に太閤秀吉と北政所愛用の椅子、歌箪笥、手文庫、手拭掛などは、いわゆる高台寺蒔絵の代表として徳川美術館などに納められており現在まで伝わっている。また、道長や五十嵐信斎の漆芸品は東山御殿物とされ同じく伝わっている。 (ja)
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  • 幸阿弥派(こうあみは)または幸阿弥家(こうあみけ)は、漆芸における蒔絵師の流派で代々将軍家に仕えた。室町時代、足利義政の近習である土岐四郎左衛門道房の子、四郎左衛門が幼少より蒔絵技術を習った。その技巧は無双の名人と称されるに至ったのが始まりとされる。初代幸阿弥道長は、土佐光信の下絵を用いて高蒔絵にし、形状は能阿弥、相阿弥の趣向を用いて研ぎ出し蒔絵とした。(蒔絵#主な技法とその歴史を参照) 天皇即位の際の調度品、あるいは公家の調度品のほか、婚礼調度品が有名で、徳川家光に嫁いだ千姫の鏡台である「初音蒔絵調度」や、徳川治宝の娘の三棚、化粧道具、手水道具、衣装箪笥、楽器などの婚礼調度がある。他に太閤秀吉と北政所愛用の椅子、歌箪笥、手文庫、手拭掛などは、いわゆる高台寺蒔絵の代表として徳川美術館などに納められており現在まで伝わっている。また、道長や五十嵐信斎の漆芸品は東山御殿物とされ同じく伝わっている。 (ja)
  • 幸阿弥派(こうあみは)または幸阿弥家(こうあみけ)は、漆芸における蒔絵師の流派で代々将軍家に仕えた。室町時代、足利義政の近習である土岐四郎左衛門道房の子、四郎左衛門が幼少より蒔絵技術を習った。その技巧は無双の名人と称されるに至ったのが始まりとされる。初代幸阿弥道長は、土佐光信の下絵を用いて高蒔絵にし、形状は能阿弥、相阿弥の趣向を用いて研ぎ出し蒔絵とした。(蒔絵#主な技法とその歴史を参照) 天皇即位の際の調度品、あるいは公家の調度品のほか、婚礼調度品が有名で、徳川家光に嫁いだ千姫の鏡台である「初音蒔絵調度」や、徳川治宝の娘の三棚、化粧道具、手水道具、衣装箪笥、楽器などの婚礼調度がある。他に太閤秀吉と北政所愛用の椅子、歌箪笥、手文庫、手拭掛などは、いわゆる高台寺蒔絵の代表として徳川美術館などに納められており現在まで伝わっている。また、道長や五十嵐信斎の漆芸品は東山御殿物とされ同じく伝わっている。 (ja)
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  • 幸阿弥派 (ja)
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