懸仏(かけぼとけ)は、鏡板に仏や神の像を刻んだり貼り付けた器物。御正体(みしょうたい)とも呼ばれる。神仏習合の思想に基づいて制作され、神社や寺院に奉納された例が残っている。 平安時代中期(10世紀ごろ)から銅鏡の鏡面に仏の姿を毛彫り、線刻した鏡像(きょうぞう)が制作されるようになる。鏡像は次第に華美となり、立体的な仏像を鏡面に彫刻ないし添付することが増加した。これらの器物は、本地垂迹の思想から「神の真なる姿」という意味で「御正体」と呼ばれた。壁に懸ける目的で吊り輪を取り付けたものも多くあり、そこから「懸仏」とも呼ばれる様になった。南北朝時代以降は次第に像が簡素化し、装飾が豪奢になる傾向があった。 懸仏は江戸時代まで作成されていたが、明治の神仏分離と廃仏毀釈に伴い、神社に奉納されていたものは多くが取り払われ、失われた。

Property Value
dbo:abstract
  • 懸仏(かけぼとけ)は、鏡板に仏や神の像を刻んだり貼り付けた器物。御正体(みしょうたい)とも呼ばれる。神仏習合の思想に基づいて制作され、神社や寺院に奉納された例が残っている。 平安時代中期(10世紀ごろ)から銅鏡の鏡面に仏の姿を毛彫り、線刻した鏡像(きょうぞう)が制作されるようになる。鏡像は次第に華美となり、立体的な仏像を鏡面に彫刻ないし添付することが増加した。これらの器物は、本地垂迹の思想から「神の真なる姿」という意味で「御正体」と呼ばれた。壁に懸ける目的で吊り輪を取り付けたものも多くあり、そこから「懸仏」とも呼ばれる様になった。南北朝時代以降は次第に像が簡素化し、装飾が豪奢になる傾向があった。 懸仏は江戸時代まで作成されていたが、明治の神仏分離と廃仏毀釈に伴い、神社に奉納されていたものは多くが取り払われ、失われた。 (ja)
  • 懸仏(かけぼとけ)は、鏡板に仏や神の像を刻んだり貼り付けた器物。御正体(みしょうたい)とも呼ばれる。神仏習合の思想に基づいて制作され、神社や寺院に奉納された例が残っている。 平安時代中期(10世紀ごろ)から銅鏡の鏡面に仏の姿を毛彫り、線刻した鏡像(きょうぞう)が制作されるようになる。鏡像は次第に華美となり、立体的な仏像を鏡面に彫刻ないし添付することが増加した。これらの器物は、本地垂迹の思想から「神の真なる姿」という意味で「御正体」と呼ばれた。壁に懸ける目的で吊り輪を取り付けたものも多くあり、そこから「懸仏」とも呼ばれる様になった。南北朝時代以降は次第に像が簡素化し、装飾が豪奢になる傾向があった。 懸仏は江戸時代まで作成されていたが、明治の神仏分離と廃仏毀釈に伴い、神社に奉納されていたものは多くが取り払われ、失われた。 (ja)
dbo:thumbnail
dbo:wikiPageID
  • 4448136 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 2210 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 92671207 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-en:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
rdfs:comment
  • 懸仏(かけぼとけ)は、鏡板に仏や神の像を刻んだり貼り付けた器物。御正体(みしょうたい)とも呼ばれる。神仏習合の思想に基づいて制作され、神社や寺院に奉納された例が残っている。 平安時代中期(10世紀ごろ)から銅鏡の鏡面に仏の姿を毛彫り、線刻した鏡像(きょうぞう)が制作されるようになる。鏡像は次第に華美となり、立体的な仏像を鏡面に彫刻ないし添付することが増加した。これらの器物は、本地垂迹の思想から「神の真なる姿」という意味で「御正体」と呼ばれた。壁に懸ける目的で吊り輪を取り付けたものも多くあり、そこから「懸仏」とも呼ばれる様になった。南北朝時代以降は次第に像が簡素化し、装飾が豪奢になる傾向があった。 懸仏は江戸時代まで作成されていたが、明治の神仏分離と廃仏毀釈に伴い、神社に奉納されていたものは多くが取り払われ、失われた。 (ja)
  • 懸仏(かけぼとけ)は、鏡板に仏や神の像を刻んだり貼り付けた器物。御正体(みしょうたい)とも呼ばれる。神仏習合の思想に基づいて制作され、神社や寺院に奉納された例が残っている。 平安時代中期(10世紀ごろ)から銅鏡の鏡面に仏の姿を毛彫り、線刻した鏡像(きょうぞう)が制作されるようになる。鏡像は次第に華美となり、立体的な仏像を鏡面に彫刻ないし添付することが増加した。これらの器物は、本地垂迹の思想から「神の真なる姿」という意味で「御正体」と呼ばれた。壁に懸ける目的で吊り輪を取り付けたものも多くあり、そこから「懸仏」とも呼ばれる様になった。南北朝時代以降は次第に像が簡素化し、装飾が豪奢になる傾向があった。 懸仏は江戸時代まで作成されていたが、明治の神仏分離と廃仏毀釈に伴い、神社に奉納されていたものは多くが取り払われ、失われた。 (ja)
rdfs:label
  • 懸仏 (ja)
  • 懸仏 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:depiction
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageRedirects of
is dbo:wikiPageWikiLink of
is prop-en:文化財 of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of