東京湾要塞(とうきょうわんようさい)とは、大日本帝国の首都東京の入り口である東京湾周辺の防衛を目的に設置された要塞。三浦半島および房総半島に設置された32の砲台と海堡(人工島)で構成され、これらの施設を総称して東京湾要塞と呼ぶ。管理は陸軍の東京湾要塞司令部が行い、太平洋戦争時は第12方面軍隷下の東京湾兵団に属していた。明治時代に建設が始まり、逐次設備を増強しつつ太平洋戦争の終了時まで運用されたが、沿岸砲から敵の艦船や上陸部隊を砲撃することはついになかった。 戦後、跡地は民間に払い下げられるなどしたが、千代ケ崎砲台跡(神奈川県横須賀市)の一部は海上自衛隊が通信施設として2013年(平成25年)まで使用した。