東伏見宮(ひがしふしみのみや)は、明治時代、小松宮彰仁親王(旧・仁和寺宮嘉彰親王)が一時、称していた宮号。東伏見宮家は、小松宮の養子・世嗣となっていた依仁(よりひと)親王(伏見宮邦家親王の第17王子で小松宮の弟)が新たに創立した宮家の名であり、伏見宮家の分家。依仁には継嗣が無く宮家としては一代で断絶したが、祭祀は継承され、華族の伯爵家となった。宮家自体は依仁親王妃周子が1947年(昭和22年)GHQの指令により10月14日皇籍離脱するまで存続した。