松竹蒲田撮影所(しょうちくかまたさつえいじょ、1920年6月開所 - 1936年1月15日閉鎖)は、かつて存在した日本の映画スタジオである。大正期から戦前期にかけて、松竹キネマの現代劇映画のスタジオとして稼働。通称:松竹蒲田。 初期はハリウッドから技術者を招いたり、スター・システムを導入するなど日本映画黎明期をリードする撮影所となった。城戸四郎が撮影所長になってからは、通称:蒲田調と呼ばれる作品を連発し、一時代を築いた。小津安二郎や成瀬巳喜男、田中絹代、高峰秀子等の映画人を輩出し、国産初の本格的トーキー映画を生み出したのも同撮影所である。