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- 板倉 重直(いたくら しげなお)は、江戸時代の旗本。官位は従五位下、筑後守。 島原の乱で戦死した板倉重昌の次男。寛永16年(1639年)6月15日、家督を継承した兄・重矩より山城国綴喜郡、三河国額田郡・幡豆郡、下総国葛飾郡において5000石を分与される。天台宗坂尾山栄福寺(千葉市)の境内にあった栄福寺館は重直の屋敷であった。 万治2年(1659年)7月25日、書院番頭に任じられ、12月28日に従五位下、筑後守に叙任された。寛文元年(1661年)11月9日より御側となる。寛文4年(1664年)6月19日、葛飾郡で3000石を加増され、8000石を領する。延宝4年(1676年)4月10日に職を辞する。天和3年(1683年)12月21日に致仕。貞享元年(1684年)5月26日、68歳で死去した。 兄・重矩の三男重種を養子に迎えたが、重種の長兄の重良が廃嫡され、次男の重澄が早世したため、重種は延宝元年(1673年)に重矩の家督を相続した。次いで、重種の長男の重寛を養子としたが、後に重種の嫡子となった。その後、高木正盛三男のを養子とし、家督は重行が継いだ。 (ja)
- 板倉 重直(いたくら しげなお)は、江戸時代の旗本。官位は従五位下、筑後守。 島原の乱で戦死した板倉重昌の次男。寛永16年(1639年)6月15日、家督を継承した兄・重矩より山城国綴喜郡、三河国額田郡・幡豆郡、下総国葛飾郡において5000石を分与される。天台宗坂尾山栄福寺(千葉市)の境内にあった栄福寺館は重直の屋敷であった。 万治2年(1659年)7月25日、書院番頭に任じられ、12月28日に従五位下、筑後守に叙任された。寛文元年(1661年)11月9日より御側となる。寛文4年(1664年)6月19日、葛飾郡で3000石を加増され、8000石を領する。延宝4年(1676年)4月10日に職を辞する。天和3年(1683年)12月21日に致仕。貞享元年(1684年)5月26日、68歳で死去した。 兄・重矩の三男重種を養子に迎えたが、重種の長兄の重良が廃嫡され、次男の重澄が早世したため、重種は延宝元年(1673年)に重矩の家督を相続した。次いで、重種の長男の重寛を養子としたが、後に重種の嫡子となった。その後、高木正盛三男のを養子とし、家督は重行が継いだ。 (ja)
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- 安身(号) (ja)
- 甚太郎(幼名)→重直 (ja)
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- 長圓寺(愛知県西尾市) (ja)
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- 十郎兵衛 (ja)
- 養子:重種、重寛、重行 (ja)
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- 従五位下、筑後守 (ja)
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- 父:板倉重昌、母:林吉定娘 (ja)
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- 元和3年(1617年) (ja)
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- 板倉 重直(いたくら しげなお)は、江戸時代の旗本。官位は従五位下、筑後守。 島原の乱で戦死した板倉重昌の次男。寛永16年(1639年)6月15日、家督を継承した兄・重矩より山城国綴喜郡、三河国額田郡・幡豆郡、下総国葛飾郡において5000石を分与される。天台宗坂尾山栄福寺(千葉市)の境内にあった栄福寺館は重直の屋敷であった。 万治2年(1659年)7月25日、書院番頭に任じられ、12月28日に従五位下、筑後守に叙任された。寛文元年(1661年)11月9日より御側となる。寛文4年(1664年)6月19日、葛飾郡で3000石を加増され、8000石を領する。延宝4年(1676年)4月10日に職を辞する。天和3年(1683年)12月21日に致仕。貞享元年(1684年)5月26日、68歳で死去した。 兄・重矩の三男重種を養子に迎えたが、重種の長兄の重良が廃嫡され、次男の重澄が早世したため、重種は延宝元年(1673年)に重矩の家督を相続した。次いで、重種の長男の重寛を養子としたが、後に重種の嫡子となった。その後、高木正盛三男のを養子とし、家督は重行が継いだ。 (ja)
- 板倉 重直(いたくら しげなお)は、江戸時代の旗本。官位は従五位下、筑後守。 島原の乱で戦死した板倉重昌の次男。寛永16年(1639年)6月15日、家督を継承した兄・重矩より山城国綴喜郡、三河国額田郡・幡豆郡、下総国葛飾郡において5000石を分与される。天台宗坂尾山栄福寺(千葉市)の境内にあった栄福寺館は重直の屋敷であった。 万治2年(1659年)7月25日、書院番頭に任じられ、12月28日に従五位下、筑後守に叙任された。寛文元年(1661年)11月9日より御側となる。寛文4年(1664年)6月19日、葛飾郡で3000石を加増され、8000石を領する。延宝4年(1676年)4月10日に職を辞する。天和3年(1683年)12月21日に致仕。貞享元年(1684年)5月26日、68歳で死去した。 兄・重矩の三男重種を養子に迎えたが、重種の長兄の重良が廃嫡され、次男の重澄が早世したため、重種は延宝元年(1673年)に重矩の家督を相続した。次いで、重種の長男の重寛を養子としたが、後に重種の嫡子となった。その後、高木正盛三男のを養子とし、家督は重行が継いだ。 (ja)
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