梶原景時の変(かじわらかげときのへん)は、鎌倉時代初期の正治元年10月25日から翌正治2年1月20日(1199年11月15日 - 1200年2月6日)にかけて鎌倉幕府内部で起こった政争。初代将軍源頼朝の死後に腹心であった梶原景時が御家人66名による連判状で弾劾され失脚し、追討により一族尽く殺害された。頼朝死後に始まった鎌倉幕府内部における権力闘争の最初の犠牲者であった。