楊 駿(よう しゅん、生年不詳 - 291年)は、中国西晋時代の権臣。字は文長。本貫は弘農郡華陰県。武帝司馬炎の外戚として権勢を振るったが、恵帝の皇后賈南風と対立した末に誅殺された。彼の死は八王の乱の端緒となった。