烈々布(れつれっぷ)は、北海道札幌市の北区と東区にまたがる地域を指した名称。すでに公称地名としては消失しており、わずかな施設の名称に痕跡を留めるのみとなっている。 1938年 (昭和13年) 12月15日、札幌無線電信局烈々布送信所(後の日本電信電話公社、NTT、太平洋戦争前および日本電信電話公社設立前までは国家管理)が開所(1990年代まで存在)。1950年代には、警察庁の札幌無線通信送信所が設置された (1981年10月売却)[1]。 語源はアイヌ語と思われるが、判然としない。1882年(明治15年)の『札幌県石狩国札幌郡札幌村・丘珠全図』には、丘珠村と札幌村との村境を通り篠路村に流れ込む「レツレップ古川」が記されており、川の名前であったらしい。この川の始点は旧石狩街道によって伏籠川から切断されており、アイヌ語研究家の藤村久和は語源を「ル・エ・トイェ・プ (ru-e-tuye-p)、道がそこで(川を)切っているもの」と考察している。

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  • 烈々布(れつれっぷ)は、北海道札幌市の北区と東区にまたがる地域を指した名称。すでに公称地名としては消失しており、わずかな施設の名称に痕跡を留めるのみとなっている。 1938年 (昭和13年) 12月15日、札幌無線電信局烈々布送信所(後の日本電信電話公社、NTT、太平洋戦争前および日本電信電話公社設立前までは国家管理)が開所(1990年代まで存在)。1950年代には、警察庁の札幌無線通信送信所が設置された (1981年10月売却)[1]。 語源はアイヌ語と思われるが、判然としない。1882年(明治15年)の『札幌県石狩国札幌郡札幌村・丘珠全図』には、丘珠村と札幌村との村境を通り篠路村に流れ込む「レツレップ古川」が記されており、川の名前であったらしい。この川の始点は旧石狩街道によって伏籠川から切断されており、アイヌ語研究家の藤村久和は語源を「ル・エ・トイェ・プ (ru-e-tuye-p)、道がそこで(川を)切っているもの」と考察している。 (ja)
  • 烈々布(れつれっぷ)は、北海道札幌市の北区と東区にまたがる地域を指した名称。すでに公称地名としては消失しており、わずかな施設の名称に痕跡を留めるのみとなっている。 1938年 (昭和13年) 12月15日、札幌無線電信局烈々布送信所(後の日本電信電話公社、NTT、太平洋戦争前および日本電信電話公社設立前までは国家管理)が開所(1990年代まで存在)。1950年代には、警察庁の札幌無線通信送信所が設置された (1981年10月売却)[1]。 語源はアイヌ語と思われるが、判然としない。1882年(明治15年)の『札幌県石狩国札幌郡札幌村・丘珠全図』には、丘珠村と札幌村との村境を通り篠路村に流れ込む「レツレップ古川」が記されており、川の名前であったらしい。この川の始点は旧石狩街道によって伏籠川から切断されており、アイヌ語研究家の藤村久和は語源を「ル・エ・トイェ・プ (ru-e-tuye-p)、道がそこで(川を)切っているもの」と考察している。 (ja)
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