相沢事件(あいざわじけん)は、1935年8月12日に皇道派青年将校に共感する相沢三郎陸軍歩兵中佐(陸軍士官学校第22期、以降「陸士」と略す)が、統制派の軍務局長永田鉄山少将(陸士第16期首席、陸軍大学校第23期恩賜)を陸軍省において白昼斬殺した事件である。被害者側の名前から、永田事件、永田斬殺事件とも言う。 統制派が皇道派を追放しようとしたことに反発し、村中孝次歩兵大尉(陸士第37期)、磯部浅一一等主計(陸士第38期)の停職に憤激したことが動機であり、その後の二・二六事件に繋がった出来事の一つである。