禰津 元直(ねつ/ねづ もとなお)は、戦国時代の武将。姓は根津、祢津とも。 禰津氏は信濃国小県郡禰津(長野県東御市)を本拠とした国人。 天文10年(1541年)、甲斐国の戦国大名・武田信虎の小県侵攻(海野平の戦い)に敗れたが、同じ諏訪神党の諏訪頼重を通じて武田氏に臣従して、武田信廉に附属し、知行を安堵された。 『高白斎記』天文11年(1542年)12月15日条に拠れば、娘が武田信虎の嫡男・武田晴信(信玄)の側室として嫁ぎ、「禰津御寮人」と呼ばれた。『高白斎記』天文11年条には「禰津より御前様」が輿入れしたとされているが、これは禰津御寮人に比定する説のほか、諏訪頼重の娘である諏訪御料人に比定する説もある。 天文22年(1553年)8月16日には信濃庄内(長野県坂城町)に1000貫文を与えられる。元直の子息のうちは早世したため、次男・政直(別名政秀とも。出家名:松鴎軒常安)が家督を継承する。

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  • 禰津 元直(ねつ/ねづ もとなお)は、戦国時代の武将。姓は根津、祢津とも。 禰津氏は信濃国小県郡禰津(長野県東御市)を本拠とした国人。 天文10年(1541年)、甲斐国の戦国大名・武田信虎の小県侵攻(海野平の戦い)に敗れたが、同じ諏訪神党の諏訪頼重を通じて武田氏に臣従して、武田信廉に附属し、知行を安堵された。 『高白斎記』天文11年(1542年)12月15日条に拠れば、娘が武田信虎の嫡男・武田晴信(信玄)の側室として嫁ぎ、「禰津御寮人」と呼ばれた。『高白斎記』天文11年条には「禰津より御前様」が輿入れしたとされているが、これは禰津御寮人に比定する説のほか、諏訪頼重の娘である諏訪御料人に比定する説もある。 天文22年(1553年)8月16日には信濃庄内(長野県坂城町)に1000貫文を与えられる。元直の子息のうちは早世したため、次男・政直(別名政秀とも。出家名:松鴎軒常安)が家督を継承する。 (ja)
  • 禰津 元直(ねつ/ねづ もとなお)は、戦国時代の武将。姓は根津、祢津とも。 禰津氏は信濃国小県郡禰津(長野県東御市)を本拠とした国人。 天文10年(1541年)、甲斐国の戦国大名・武田信虎の小県侵攻(海野平の戦い)に敗れたが、同じ諏訪神党の諏訪頼重を通じて武田氏に臣従して、武田信廉に附属し、知行を安堵された。 『高白斎記』天文11年(1542年)12月15日条に拠れば、娘が武田信虎の嫡男・武田晴信(信玄)の側室として嫁ぎ、「禰津御寮人」と呼ばれた。『高白斎記』天文11年条には「禰津より御前様」が輿入れしたとされているが、これは禰津御寮人に比定する説のほか、諏訪頼重の娘である諏訪御料人に比定する説もある。 天文22年(1553年)8月16日には信濃庄内(長野県坂城町)に1000貫文を与えられる。元直の子息のうちは早世したため、次男・政直(別名政秀とも。出家名:松鴎軒常安)が家督を継承する。 (ja)
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