縁切寺(えんきりでら)とは、江戸時代において、夫との離縁を達成するために妻が駆け込んだ寺のことである。寺は夫に内済離縁(示談)を薦め、調停がうまく行かない場合は妻は寺入りとなり足掛け3年(実質満2年)経つと寺法にて離婚が成立する。江戸幕府公認の縁切寺には鎌倉の東慶寺、群馬(旧、上野国新田郷)の満徳寺がある。駆込寺・駆け込み寺(かけこみでら)・駆入寺・駈入寺(かけいりでら)とも呼ばれる。