菱田 厚介(ひしだ こうすけ、1894年(明治27年) - 1954年(昭和29年)6月3日)は日本の都市計画家。 昭和初年から10数年間、内務省都市計画課第二技術掛主任技師として都市計画の指導的地位にあり、昭和恐慌による中で市街地建築物の地方都市への普及と法令の整備を計った。一例として1931年のの内容の近代化と1938年の住居・工業両專用地区制と容積率による空地地区制の導入、道路の最小幅員の拡大(2.7mから4mへの変更)等は、現行の建築基準法の基礎をなすとされる。