蘆沢 一閑(あしざわ いっかん)は、江戸時代後期の水戸藩士。水戸藩の家老を務めた蘆沢信重を初代とする九代目で、名前は総兵衛元昇。初名は亀次郎で、また総六ともいった。徳川斉脩に三十年近く仕えた。著作として、『侍間小録』(文政12年)、『綴葉雑記』、『文苑受簡』(編)がある。 享和2年(1802)の御前小姓から始まり、文化2年(1805)の六代藩主治保逝去に際しては、瑞龍山の墓所まで柩に随行。同10年には通事となって藩主治紀の世継斉脩付きとなり、文政5年(1822)藩主斉脩から150石を賜り、同9年「東藩文献志」の編集係を命ぜられた。下って天保10年(1839)には職を辞して一閑斎と号し、安政6年(1859)76才で歿した。

Property Value
dbo:abstract
  • 蘆沢 一閑(あしざわ いっかん)は、江戸時代後期の水戸藩士。水戸藩の家老を務めた蘆沢信重を初代とする九代目で、名前は総兵衛元昇。初名は亀次郎で、また総六ともいった。徳川斉脩に三十年近く仕えた。著作として、『侍間小録』(文政12年)、『綴葉雑記』、『文苑受簡』(編)がある。 享和2年(1802)の御前小姓から始まり、文化2年(1805)の六代藩主治保逝去に際しては、瑞龍山の墓所まで柩に随行。同10年には通事となって藩主治紀の世継斉脩付きとなり、文政5年(1822)藩主斉脩から150石を賜り、同9年「東藩文献志」の編集係を命ぜられた。下って天保10年(1839)には職を辞して一閑斎と号し、安政6年(1859)76才で歿した。 (ja)
  • 蘆沢 一閑(あしざわ いっかん)は、江戸時代後期の水戸藩士。水戸藩の家老を務めた蘆沢信重を初代とする九代目で、名前は総兵衛元昇。初名は亀次郎で、また総六ともいった。徳川斉脩に三十年近く仕えた。著作として、『侍間小録』(文政12年)、『綴葉雑記』、『文苑受簡』(編)がある。 享和2年(1802)の御前小姓から始まり、文化2年(1805)の六代藩主治保逝去に際しては、瑞龍山の墓所まで柩に随行。同10年には通事となって藩主治紀の世継斉脩付きとなり、文政5年(1822)藩主斉脩から150石を賜り、同9年「東藩文献志」の編集係を命ぜられた。下って天保10年(1839)には職を辞して一閑斎と号し、安政6年(1859)76才で歿した。 (ja)
dbo:alias
  • 元昇(名)一閑(号)・一閑斎(号)・元斎(号) (ja)
  • 佳卿(字)・総兵衛(通称) (ja)
  • 元昇(名)一閑(号)・一閑斎(号)・元斎(号) (ja)
  • 佳卿(字)・総兵衛(通称) (ja)
dbo:wikiPageID
  • 4162285 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 916 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 89635439 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-en:wikiPageUsesTemplate
prop-en:主君
prop-en:分野
  • 人物 (ja)
  • 人物 (ja)
prop-en:別名
  • 佳卿(字)・総兵衛(通称) (ja)
  • 佳卿(字)・総兵衛(通称) (ja)
prop-en:改名
  • 元昇(名)一閑(号)・一閑斎(号)・元斎(号) (ja)
  • 元昇(名)一閑(号)・一閑斎(号)・元斎(号) (ja)
prop-en:時代
prop-en:死没
  • 安政6年(1859年) (ja)
  • 安政6年(1859年) (ja)
prop-en:氏名
  • 蘆沢一閑 (ja)
  • 蘆沢一閑 (ja)
prop-en:氏族
prop-en:特筆性
  • 2020-06-25 (xsd:date)
prop-en:生誕
  • 天明4年(1784年) (ja)
  • 天明4年(1784年) (ja)
prop-en:脚注の不足
  • 2020-06-25 (xsd:date)
dct:subject
rdf:type
rdfs:comment
  • 蘆沢 一閑(あしざわ いっかん)は、江戸時代後期の水戸藩士。水戸藩の家老を務めた蘆沢信重を初代とする九代目で、名前は総兵衛元昇。初名は亀次郎で、また総六ともいった。徳川斉脩に三十年近く仕えた。著作として、『侍間小録』(文政12年)、『綴葉雑記』、『文苑受簡』(編)がある。 享和2年(1802)の御前小姓から始まり、文化2年(1805)の六代藩主治保逝去に際しては、瑞龍山の墓所まで柩に随行。同10年には通事となって藩主治紀の世継斉脩付きとなり、文政5年(1822)藩主斉脩から150石を賜り、同9年「東藩文献志」の編集係を命ぜられた。下って天保10年(1839)には職を辞して一閑斎と号し、安政6年(1859)76才で歿した。 (ja)
  • 蘆沢 一閑(あしざわ いっかん)は、江戸時代後期の水戸藩士。水戸藩の家老を務めた蘆沢信重を初代とする九代目で、名前は総兵衛元昇。初名は亀次郎で、また総六ともいった。徳川斉脩に三十年近く仕えた。著作として、『侍間小録』(文政12年)、『綴葉雑記』、『文苑受簡』(編)がある。 享和2年(1802)の御前小姓から始まり、文化2年(1805)の六代藩主治保逝去に際しては、瑞龍山の墓所まで柩に随行。同10年には通事となって藩主治紀の世継斉脩付きとなり、文政5年(1822)藩主斉脩から150石を賜り、同9年「東藩文献志」の編集係を命ぜられた。下って天保10年(1839)には職を辞して一閑斎と号し、安政6年(1859)76才で歿した。 (ja)
rdfs:label
  • 蘆沢一閑 (ja)
  • 蘆沢一閑 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
foaf:name
  • 蘆沢一閑 (ja)
  • 蘆沢一閑 (ja)
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of