贄持之子(にえもつのこ)は、『古事記』、『日本書紀』に記述される大和国の国津神。『書紀』では、苞苴担之子(にえもつのこ、にえもつがこ)と表記される。阿太の養鸕部の始祖(『古事記』では、「阿陀(あだ)の鵜養(うかい)の祖(おや)」と記される)。