高 熲(こう けい、? - 607年)は、北周から隋にかけての政治家。字は昭玄。一名に敏。本貫は渤海郡蓨県。父は高賓。子は高盛道・高弘徳・高表仁。隋の文帝に腹心として仕え、隋の建国と中国の再統一に多大な功績を上げた。統一後も重臣として文帝を補佐し、真の宰相であると評されたが、皇太子楊勇の廃立に反対して失脚。後に煬帝の政治を批判し誅殺された。