為替介入をやれと、お前らに言われる筋合はまったくねぇよ。
なんで、お前らがここまで慌てなきゃいけなくなったかというかというと、
国内労働力のコストを下げるビジネスモデルしかやって来なかったからだろ?
終わることは普通に考えりゃ分かったはずだ。
サブプライムなんざ天災ではない(中国の経済失速もファクターにはなったかもしれない)
それが終わったあとに、どこに製品を売るかについて考えたか?
一番巨大な市場であったはずの一億人の日本市場、内需があったはずなんだ。
ところが、内需、特に個人消費が落ち込んでいることは常に指摘されていた。
前首相も個人消費のためにも給与に反映させるようにと言っていたはずだ。
不正規雇用などで個人消費はズタズタだ、車やマンションなど売れるはずも無い。
こういった状況を作ったのは誰か?
お前らだろ?
こんな下らん連中のために介入なんて不要だ。
民主党も怪しげなノーパンしゃぶしゃぶ連中を総裁にしなかったのはナイスだったが
面接の時、職務経歴書にフォトショップ使えること書き加えて再提出するの忘れずに。
がんばってこーい!
http://anond.hatelabo.jp/20081103163621
…の元増田(って言うのかな?)ですが、最初のエントリを読み返していていろいろ考えました。
あの時は自分もちょっと気持ちの整理がついていないまま書いてしまっていました。
今は「私は本当に彼のことが好きなんだろうか」という状態です。
彼は世間的には多分モテるほうだと思います。只、私はそれだけが好きだったのかもしれないと。
一緒に居たときのことを思い出していたら、私は彼の前で無理矢理の笑顔をつくっていた気がするのです。
楽しかったかと言われると、どうだろう…?って。
アドバイスを下さった方々の中には私が上手く彼と付き合えるように、と願って下さった方もいらっしゃるかもしれませんが、それを裏切ってしまいそうです。
連絡ですが、関係を持つ以前は私からメールを送ることが多かったのですが、最近は向こうから来ます。
振り返る前の私であったらそれに喜んで飛びついていたかもしれませんが、
今は「セフレにしたいだけなんじゃないか?」と考えてしまいます。
別れることになっても、今の私なら前を向いて行けそうな気分です。
結果ではなく途中経過報告で申し訳ないです。
相手の人柄を理解して、発言の意図をくみ取るのもコミュニケーション。
読解力低い人は、空気読めないとか言われたりするよね。
いせさきFMではラジオパーソナリティー募集中!!
-----------------------------------------------------------
・群馬県南部、又はその周辺で生活し、このエリアの魅力をもっと知りたいという方
・放送の仕事や人前で話す仕事などの経験があり、その力を活かしたいと思っている方
・ラジオのお仕事に興味があり、いずれは有名なパーソナリティになりたいと考えている方 ぜひご応募ください!
■応募資格■
高校卒業以上の男女でラジオのパーソナリティ(番組取材活動を含む)を志望される方
■採用人数■
5名
■勤務地■
伊勢崎(市役所1F)
■勤務時間■
7:00??19:00位の中で約4??5時間 シフト勤務(研修期間あり)
■給与■
750円??1200円
■応募方法■
※住所・氏名・年齢・職業・電話番号/メールアドレス(お持ちの方のみ)は必ず明記して下さい。
※自分の得技 (例)卵焼きを作らせたら誰にも負けません、円周率を20桁まで言えるなどなどどんな事でも構いません。
<住所>
いせさきFM放送 高橋 宛
ご応募お待ちしております。
■お問い合わせ先■
TELL 0270-26-7690(高橋)
梅田もっちーとダンコーガイの自己啓発(笑)の両巨頭が紹介した本には無批判に絶賛がつくといういつもの流れ。はてな村民がいかに自分の頭で考えない人間かよくわかるね。ちょっと前には、英語嫌いの益川先生が歴史に名を残す研究をしたという話が流れたばっかりなのに、すぐ忘れてしまってるんだから。
ま、そんなことはともかくとして、言語学を新書レベルに読みかじった経験があれば、この両氏の書評と著者のインタビューを読んだだけで、モチヲや弾のお勧めを期待してこの本を読めば期待はずれに終わることがよくわかる。誤解なきよう、私は「日本語が亡びるとき」が面白くない本だとは思わない。何しろ相手は小説家、本当のことであろうが嘘のことであろうが面白く書いて読み手に深い印象を与えるプロなのだから、それは期待してもよい。ただし、著者に言語学のバックグラウンドがない時点で、論としての面白さを期待するのは諦めるべきだ。SFとして面白いものが科学理論としてよくできているわけではないのと同様、純文学作家の言語論に学術的レベルを期待するのは酷というものだ。もともとそういうものなのだから、モチヲや弾のようにあの本を絶賛する人というのは、アジテーターとしての自分を売り込みたいだけか、アフィリエイトで稼ぎたいだけか、あるいはまともな議論とトンデモの区別が付かない程度の知的素養しかないか、そのどれかだろうと思ってしまうのは私だけか(そういえば一部のはてな界隈で人気な「温暖化懐疑論」の論者に気象学者が一人もいないのはどういうことなんだろうね?)。
そもそも、著者が言うような意味で日本語が亡びるというのが先走りにすぎるのは英語の歴史自体が証明している。英語がどうして、同じゲルマン語のドイツ語よりも、ロマンス語のフランス語に見た目が似ているかと気になったことはないだろうか。あれはノルマン・コンクエストの帰結である。英語は文化的外圧に曝されるどころか外敵に征服され、日本語と同じかそれ以上に外来語に「汚染」された言語なのだ。しかしその伝統からシェイクスピアをはじめとする華麗な英文学の伝統が花開いた。
日本語も、実際に「地域語」であり、現代と比べものにならない外圧に曝された時代があった。飛鳥・奈良時代や、明治維新期などはそれぞれ強大な帝国の圧倒的な文化力・軍事力の前に日本は存亡の危機に瀕していた。しかしそれらの時代に外の文化を大きく導入したことで、逆に日本語の文化は大きく栄えた。
単なる「国力」だけで、言語が「地域語」に堕し、その結果衰退するなどというのが俗論にすぎないことがよくわかるだろう。
そもそも、「日本語が亡びる」という問題意識自体、日本列島の言語を「日本語」という名で無自覚にひとくくりにしてしまうことの問題が現れている。アイヌ語や琉球語を考えてみるがよい。これらを「方言」と呼ぶのは無理があるだろう。しかしながら「日本語」の隆盛のもと、これらの言語文化は危機に瀕している。
いや、言い直す。そもそも何を「方言」とよび何を「国語」「標準語」と呼ぶかは政治的な産物でしかない。ポルトガル語やオランダ語は、かつてはスペイン語やドイツ語の一方言でしかなかった。デンマークでは読み書きができる知識人はドイツ語やフランス語を使っていて、アンデルセンやキルケゴールが現れる前の「デンマーク語」は「汚い方言」でしかなかった。
その意味で、日本の文化を見直してみるとよい。「遠野物語」のような地域の民話を語れるのは一部の語り部に過ぎないのではないか?いや、かつて日本の「中央」を荷った「上方文化」でさえ、衰退が甚だしい。関西弁はラジオ・テレビの成立以降、急速に流入した「標準語」の影響によって激しく変質し、江戸時代後期から明治時代にかけて成立した上方落語でさえ、若者や子供のかなり多くはまともに聴き取りができない。上方落語が日本の言語文化の貴重な財産であることは誰も否定しまいが、これを日本人は自ら衰退に追い込んでいるのである。人間国宝の米朝師匠が事実上現役を退いた今、その前途ははなはだ暗い。
あるいは地域的な変化でなく時間的な変化を見てみるとよい。能は勿論、狂言や歌舞伎でさえまともに聴き取れない日本人がどれほどいるか。源氏物語はおろか、明治期の擬古文でさえ現代語訳なしで読めない日本人がどれほどいるか。いやそればかりか、旧字体・旧仮名遣いの文章ですらろくに読めない人間とて決して珍しくあるまい。
このようなことになったのも、一つには近代化の推進のため我々が明治期と戦後に「国語」の成立と普及を強引に推進したせいだというと言い過ぎだろうか。世界に誇る日本文学などと言うが、我々が現代「日本語」を通じて享受できる文化遺産など、たかだか百年分ぐらいしかないのである。
というか、元々これはそういうものなのである。「国語」という概念は「近代国家」が政治的に成立させるものだ。「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」という本があるが、これによると実際、江戸時代では各地の方言を通訳する商売が成立していたという。あるいはフランスでは近代化以前、知識人はもっぱらラテン語で読み書きをしており、フランス語は単なる「俗ラテン語」のなれの果てでしかなかった。日本ではもっとひどく、仮名文字さえ実は統一されていなかった。変体仮名というのを聞いたことがあるだろうか。うなぎ屋の看板などで今もその名残を見ることができる。これらがきちんとした正書法と文法を揃えたのは疑いもなく時の権力の政治的な措置なのだ。
それを思えば、「今の」日本語がどういう形であれ変容するのは当然であり、むしろ「近代国家」という枠組みが溶解しかかっている(EUを見ればそれは明らかだろう)現在、無理に「国語」を防衛しようとする思想はまさに時代遅れのナショナリズム、保守反動でしかないとさえ言えるのだ。
からかい半分で書き始めた文章につい力がこもってしまったが、いずれにせよ、「守るべき国語」というのはかくのごとく、大いなる虚構だ。関西人である私がこのように完璧な「標準語」で読み書きができるように、北欧あたりではテレビを通じて完璧な英語を多くの人が身につけている。だがそれがいったいなんであろうか。言語の遣い手としては、一つの言語しか使えないよりも複数の言語が使えた方が楽しいに決まっている。考えてみれば、何の問題もないのではないか。
仮にそうした時代になろうとも、日本語でしか書けないような優れた文学作品があるのならば、日本語が読める人は必ずや読むであろう。日本語でなくても書けるものは、日本語で読む必要はない。そうなって困るのはいったい誰なのだろうか。「普遍語」を寡占してグローバリズムの伝道を行うことで糧を得ていた人、昔日の栄光に浸る老人、それぐらいしか私には思いつかないのだが。
b:id:Nean えっと、だいたいの論旨に異議はないんだけれど、水村は「国語」が「虚構」ということを知った上で書いてるってのがいつの間にか飛んでるんでない? 「国力」の論点も変ですぜぃ。
水村は「国語」の虚構性を半分ぐらいしか理解していなかったと私は思います。たとえばここで挙げたような方言の視点はほとんどなかったのではないでしょうか。水村は東京生まれということなのでおそらく気づかなかったのでしょう。私のような方言話者にしてみれば「母語が『現地語』でしかない状況」なんて「なにをいまさら」でしかない、というのがこの記事を書いた大きな動機の一つでもあります。
「国力」についてはその辺の地方人バイアスが入っているかもしれませんが、正直あまり自覚はできていません。
「君はそのままでいいんだよ」なんて言わないし、むしろ「ここはこうした方がいい」と言う。
彼女の振る舞いを我慢することもあるけど(それはお互い様だ)、文句を言う時は言う。
これが「いい人」と対比される「頼りがいのある男」「強い男」に該当するようだ。
「君はそのままでいいんだよ」なんて言わないし、むしろ「ここはこうした方がいい」と言う。
彼女の振る舞いを我慢することもあるけど(それはお互い様だ)、文句を言う時は言う。
それでも彼女はついてくるし、俺のことが大好きらしい。
俺は君とは付き合えないのかね。この違いはどこにあるんだろう?
時々、僕は単純なルールを集めて出来たかたまりなのかな、と思う。
朝起きたら必ずシャワーを浴びる。夜お風呂に入ると寝癖がひどいから。
洋服はサイズのあったものを着る。
手はポケットに入れずに、背筋を伸ばして歩く。その方が格好良い気がするから。
行きがけに知り合いを見かけたら、目の少し下あたりを見ながら明るく挨拶をする。
その方が視線がソフトに見えるらしいから。
社員食堂で席に座るときは、人の配置が出来るだけ四角形になるように座る。
でも、どうしても人の配置が三角形になってしまうときは入り口側の席に座る。
帰宅するときは、まだ残業で残ってる人にねぎらいの声をかけて帰る。
でも体調が悪いときは、躊躇せずに休みを取る。休みを取っても後ろめたく思わない。
飲み会やら合コンやら、友達の結婚式に呼ばれたら快く参加する。
参加するからには、つまらなそうな顔はしない。その場の雰囲気を壊さないように。
時々、状況にあったルールを探すのが間に合わないこともあって
そういうときはひたすら後悔してしまうけれど、
基本的には、膨大なルールのおかげで僕は毎日安心して生きていける。
しかし、こういう生き方をしていると、
出来るだけ普通にしようとしているつもりなのに、
どうも普通の幸せから縁遠くなるというか、友達とか恋人は出来ないらしい。
他の人は、どういうルールで僕を、友達とか恋人の役から除外しているんだろう?
それが、いまだに分からない。
これには同意だ…。
(ぶっちゃけ)しょぼい仕事してる人でも、話して見ると思いのほか回転が速かったりする。
もったいないなーと思うと同時に、ライバルが減ってよかったとも思う。
「いい人」とおつきあいするとわたしのほうが腹黒いってひしひしと感じでいやになるんですよ(かといって自分と同等もしくはそれ以上に腹黒い男とつきあうと傷つくとかいうわがままはこの際置いとかせてください)。つまりその人自身がどうとかいうより、その人といる自分をどんな風に感じるか、が問題なので、どんなにいやな女でも「君はそのままでいいんだよ」と云うことができてなおかつ彼女の振るまいが我慢できるなら確実にターゲットを落とせるんじゃないですか。
そこまでしたい相手なら。
定義できない個人の価値観に敢えて歩み寄ろうとするのがコミュニケーションだよ。
相手を見ずにネットを見ても仕方ないよ。
と言っておく。
いい人と思われるのはかまわない。
八方美人になっても、まあ、いいだろう。
しかし、この世に一つしかないあんたはどこにいる。誰とも違うあんたはどれだ。
そこで八方美人ではいられなくなる。
他人と衝突する。
衝突することの、何が悪いというのだろう。
自分が自分であるだけなのに。
それも程度問題だけどね。
零細のIT企業(というか、自社開発は何一つせずにSIのおこぼれだけで食いしのいでいる自称IT企業な似非派遣)なんていくらでも潰れりゃいいよ。従業員はどっかの(正規の)人材派遣会社が確保して、経営者だけ路頭に迷えばいい。今その手の会社はごまんとある。これには理由があって90年代以降、メーカーや商社の中年社員や管理職が数多くリストラされるようになった。早期退職制度を利用して退職した奴も沢山居る。その中に技術屋として無能だから起業することでその惨めさから逃れたタイプも結構居るんだよ。「俺はリストラされたんじゃない、起業したんだ」ということで心に折り合いをつけたタイプな。零細ITの社長でメーカー出身者って結構居るけど、大抵はドロップアウト側の奴。
そういう奴は経営者としての資質があったのだからむしろ有能者なのかと思いがちだけど、ことIT業界に関して言えば違うんだなこれが。
ぶっちゃけて言えば民間企業で総合職を経験したことのある人なら誰にでもIT派遣業の会社は立ち上げることが出来るだろうし、そこそこ儲かった(過去形)。特に新会社法施行以降は就職に失敗した若い無能も含めて起業のバーゲンセール状態。ベンチャースピリッツだとかなんとか言いながら、自社独自の技術もアイデアも無く、やってることは多重派遣でな。
理由は他の人も書いてるけどJIETやイージョブゴーを使えば営業力や人脈なんてロクに無くても取引が出来るから。まあそれでも、1社や2社コネのある会社を確保しておく必要はあるけどね。メーカー出身者はそのメーカーそのものや、在職時代に交流のあった協力会社とのパイプぐらいは持っている。起業当初の取引相手はだいたいそんなもんだ。もっともそれだけじゃ食えないわけだが、世の中にはそ同じような経緯を持つにわか社長がごまんと居る。そんな経営者同士が手を結べば商機も広がるという寸法だ。これだけ聞けば素晴らしい仕組みのように思えるだろうけど、結果的にこれは企業間の多重派遣・偽装請負を簡単に許すようになってしまった。最近まであそこの会員リストには聞けば誰でも知ってるようなSIerが数多くその名を連ねていたのだが、ここ1年でかなり減った。リストから名前を伏せたのかあるいは罪の意識が芽生えて退会したのかはよくわからない。俺が居た会社の名前は相変わらずあったけどね。
もっとも当のJIET自身は偽装請負を撲滅したいと声高らかに叫んでいるわけだが、それはまぁ「不純な目的で当店を利用しないでください」と掲げてる出会い系サイトみたいなもんで説得力が無いんだよな。
そうですね。ハードルの高さは承知です。
不利であるだろうけど書類なら今までずっと通ってるからそこに何がしかの理由があると信じています。
さて、来週もう一本面接だ。頑張ろう。
重複ファイルを高速に検出して削除する Undup - 情報考学 Passion For The Future
はてなブックマーク - 重複ファイルを高速に検出して削除する Undup - 情報考学 Passion For The Future
Undupを知らないはてなユーザがこんなにいるのか… はてなは変人の集まりだとばかり。
なんつーか、マスコミで取り上げられて人気になるのと大差ない気がする
個々人が何を考えているのかなどわかりっこないのだから
自分の思う「いい人」が相手にとっても同じに映るかどうか限らないよ。
「ワルの方がモテる」というどっかの通説を信じてると大火傷するよ。
とだけ言っておく。