「究極の利他」を生んだ生涯たどる
アンパンマンは幼児に人気がある。いや人気があるどころか、泣く子も黙るのがアンパンマンだ。「病院で大泣きしていた子が、アンパンマンの顔を見た瞬間、ぴたりと泣き止む。そのすきに、看護師さんがサッと注射を打つ。お医者さん、保育士さんなど乳幼児を扱うプロの方たちの多くが話します」育児中の親もみな「アンパンマンは日本の子育てに必須」と証言している。だが、いっぽうで、アンパンマン人気を謎と感じる人もいる。子育て中にこの矛盾に気づいた著者は、いまや世界六位のキャラクターとなったアンパンマンの原点を探るべく、作者であるやなせたかしの生涯を調べ始める。
海の国・高知県のインテリ家庭に生まれたやなせたかしは挿絵入り雑誌に惑溺しながら幸せな少年時代を過ごすが、父が中国で客死したのを機に身内を次々に失う。
後年、やなせたかしを高く評価した谷川俊太郎は彼の詩に「さびしさ」と「かなしさ」があると指摘したが、それは肉親に先立たれ続けた彼の心の痛みの反映だった。
そんなやなせを支えたのは進学した東京高等工芸学校(千葉大工学部の前身)の自由な校風とそこで学んだ≪順列組み合わせで新しいものをつくりだす≫というデザイン思想だった。この特質は戦後就職した高知新聞社の雑誌『月刊高知』の編集で開花する。「それは、『編集者』である自分が、『漫画家』『執筆者』『イラストレーター』『デザイナー』である自分に仕事を発注する、『一人雑誌編集部』ともいうべきスタイルです」
だが、やなせたかしをアンパンマンに変身させたのはむしろ中国戦線で体験した飢えの苦しみだった。やなせ自身「耐えられないのは何かというと、食べるものがないということだったのですね」と語っている。飢えた人がいれば自分の顔を食べさせるというアンパンマンのキャラは彼自身の飢えを原点にしていたのだ。
しかし、これでアンパンマン誕生の秘密がすべて解かれたわけではない。欠けているピースがある。「やなせたかしのその後の運命を決定づけたもう1つは、『月刊高知』で、小松暢と出会ったことです」。決断力に富む暢は漫画家転向か否かで悩んでいたやなせの背中を押し、この妻の励ましが強運を呼び込むことになる。手塚治虫系のストーリー漫画の台頭で漫画家として失職の危機に立たされたとき、救いの手は手塚自身からもたらされた。手塚のアニメーション映画「千夜一夜物語」のキャラクター・デザインを担当したのがきっかけで、手塚からアニメーションの短編を自由につくっていいというプレゼントをもらい、絵本『やさしいライオン』をベースにアニメの制作に乗り出すことになったのだ。絵本やアニメも子ども向けにはつくらないという姿勢、および頼まれ仕事でも手を抜かず、ほとんど無償で全力投球するというやなせの良心が各分野の天才たちの関心を呼び、その連鎖からアンパンマンが誕生したのだ。
アンパンマンが世に出る前から、そしてアンパンマンが大ヒットする前から、やなせたかし自身がアンパンマンだったのです。(中略)究極の利他のヒーロー。やなせたかしが、あのまんまる顔のキャラクター(中略)に辿(たど)りついたのは必然だったのです。
出色のアンパンマン論である。
【イベント情報】柳瀬 博一 × 鹿島茂 対談
『アンパンマンと日本人』(新潮新書)を読む
【日時】2025/04/25 (金) 19:00 -20:30
【会場】PASSAGE SOLIDA(神保町)
東京都千代田区神田神保町1-9-20 SHONENGAHO-2ビル 2F
※1Fよりお入りいただき、階段で2階にお上がりください
【参加費】現地参加:1,650円(税込) 、オンライン視聴:1,650円(税込)(アーカイブ視聴可)
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