東京都と神奈川県川崎市で新築住宅に太陽光パネルの設置などを原則として義務づける条約が今月から施行されました。設置にかかる負担やメリットなどについて解説します。
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
人気ゲームシリーズ『アサシン クリード』の最新作で11月に発売予定の「アサシン クリード シャドウズ」が、ネット上で論議を呼んでいる。織田信長に仕えた黒人として著名な弥助をモデルにしたキャラクターが、新主人公として追加されたことが原因である。 これまでのシリーズでは、様々な時代や国で暗躍する架空の暗殺者が主人公だったが、歴史上に実在した人物である弥助が主人公として登場し、「伝説の侍」として紹介された。このことに対して、著しい誇張であり、歴史の歪曲につながるのではないかとの批判が沸騰している。 論争は加熱、拡散し、現在では「アサクリ」弥助の人物像に影響を与えたと見られるトーマス・ロックリー氏(日本大学准教授)の弥助研究に批判が飛び火し、当時の黒人奴隷貿易のあり方にまで議論が広がっている。 情報が錯綜しており、また紙幅の都合もあるので、本稿ではひとまず論点を「弥助は侍だったか」に絞って私見を述
emyu: よく喋るバイオリン弾き。 @emyu_colorfulvn Violinist, Fiddler/エレキエレアコ/ジャンルオールラウンダー/コード譜okアドリブok/宅録歴14年/🎻所属バンド→囁揺的音楽集団AsMR🎻WORKS→町田康(ex町田町蔵)MICRO HEAD4’NS/有村竜太朗Plastic Tree/スタリラ朗読劇/Enjil/ヤマカイTV「美女と野獣」/ youtube.com/@emyuviolin?si… emyu: よく喋るバイオリン弾き。 @emyu_colorfulvn 拡散希望 読める方いらっしゃいませんか? 1945年8月15日 玉音放送を生で聞いた大正生まれの祖母が記した日記が遺品から見つかりました。 が、大事なことが書いてあるはずなのに昔の字なので読め苦戦しています。 寮生静粛、起立、初めて接する玉音、かん激、子々孫々まで…? #終戦の日
こんにちは。 AI事業本部の協業リテールメディアdivでバックエンドエンジニアをしている yassun7010 といいます。 先日、 AI 事業本部の新人研修で「データアプリケーション」の講師を同じチームの 千葉 と担当しました。 今回の記事では、主に私が担当した「データベースの歴史」の章の講義資料を公開し、資料を作成する際に考えていたこと・伝えたかったことを話します。 「データベースの歴史」で説明されている内容は、AI事業本部の新卒研修で毎年取り上げられているものです。こういった研修の資料は、同じテーマであっても講師をする人の好みが反映されやすく、今年の資料も先人が作られた昨年の資料を参考にしつつ、私が好きな話題を多く取り入れたものに仕上がりました。 SlideShare でも公開しています。 今年の構成は、データベースを RDS・NoSQL・NewSQL として分け、下記のような構成を
まとめ 【#どうする家康】第1回「どうする桶狭間」時代考証担当・平山優氏の解説ツイート 『真田丸』丸島和洋先生の放送後の解説が散逸して読めなくなってしまったのが残念だったので、本作では力及ぶかぎり捕捉していきたいところ。 ※他の回の解説は「時代考証の呟き」タグからどうぞ。 17154 pv 51 63 2 users 23 K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN なんか、織田信長に仕えた黒人の弥助の話題になっているみたい。彼に関する史料はかなり乏しいが、信長に仕える「侍」身分であったことはまちがいなかろう。出身の身分がどうであれ、主人が「侍」分に取り立てれば、そうなれたのが中世(戦国)社会。なんでそんなことが言えるかといえば、①信長より「扶持」を与えられている、②屋敷を与えられている、③太刀を与えられている、と史料に登場するから。「扶持」を与えられ、信長に近侍しているという
長野県中野市で果樹農家を営む男性が、自宅の蔵の整理をしていて見慣れぬ行李(こうり)を見つけた。入っていたのは、大量の文書と1枚の写真。専門機関に相談すると、「大変なもの」だった。 資料を見つけたのは田中武徳さん(67)。3年ほど前、大切な文書などを火災などから守るために堅牢につくられた文庫蔵を整理していた際、2階の棚に黒っぽい行李が置いてあるのに気づいた。手の込んだつくりに思え、貴重なものがはいっている予感がした。開けると、濃紺の風呂敷がかぶせられ、中からは大量の文書と、建物を写した写真が出てきた。写真の裏に「枢密院の建屋」と手書きされていた。 どんな価値があるものなのか分からず、国立公文書館(東京都千代田区)に持ち込んでみた田中さん。その場で「貴重なもの」と驚かれた。 公文書館が数カ月かけて作成した目録によると、見つかったのは、明治憲法下における天皇の最高諮問機関だった「枢密院」の関係文
室町幕府の将軍、足利義満の姿を描いたとみられる肖像画が、新たに見つかりました。黒々としたあごひげや若々しい表情などが特徴で、調査を行った専門家は「新しい義満像を読み取ることができる重要な発見だ」と指摘しています。 見つかった肖像画は、縦1メートル余り、横40センチほどの大きさで、僧侶の姿をした人物が畳に座っている様子が描かれています。 東京都内の男性が古美術商から購入し、その後、東京大学史料編纂所などが調査したところ、顔つきや衣装などから室町幕府の3代将軍、足利義満の出家後の姿を描いたと判断されました。 義満の肖像画として広く知られている京都の鹿苑寺所蔵のものと比べると、黒々としたあごひげや顔のしわが少なく若々しい表情などの特徴が見られます。 史料編纂所などは、この肖像画は描かれた布地の絹や押された印の特徴から、義満の死後150年ほどたった西暦1550年前後に描かれたとみています。 中世に
ゲッター・ショーン @GetterShown 空き家から大量の文書がごみ処理場に持ち込まれ、職員が「何かの史料では」と感じて専門家に連絡したという 処分寸前のごみから、鳥羽城の被災状況など江戸時代の「貴重な史料」…処理場職員の機転で「発見」(読売新聞オンライン) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/27c74… 2025-01-23 22:40:11 リンク 読売新聞オンライン 処分寸前のごみから、鳥羽城の被災状況など江戸時代の「貴重な史料」…処理場職員の機転で「発見」 【読売新聞】 約220年前の暴風雨で石垣が崩れた三重県の鳥羽城の被災状況を記した絵図が発見された。鳥羽藩が江戸幕府に提出した文書の控えとみられる。鳥羽市内の空き家から大量の文書がごみ処理場に持ち込まれ、職員が「何かの史料では」と感じ 2 users 6
このごろのキャッシュレス このごろいくつかキャッシュレスの話題をネットで見かけた。 飲食店などが、キャッシュレス決済の手数料の高さに困っている、という話である。おれはそういう商売に携わったことがないのでわからないが、なるほど高そうだ。 とはいえ、この問題で小売店に同情する声というのはあまりない。ほとんどないといってもいいかもしれない。 「だったら現金オンリーにすればいいのでは?」という声が多い。「なじみの店、応援したい店では現金払いにしたい」という声もあるが、あまり多いとは言えない。 むしろ、オダギリジョーのCM(オダギリジョーの店に大口のお客さんがきそうになるが、キャッシュレス決済ができないことによって機会損失する……テレビをまったく見ない人向けの解説)のように、「じゃあいいですー」ってなるよ、という人が多い。現金まったく持ち歩かないよ、という人もいる。 おれは、どうなのか。おれはつねに
つれづれに思いつくまま 萩尾望都先生の『一度きりの大泉の話』が出版されてから心がざわついて落ち着きません。 どうしてこんなことになってしまったのだろう?と、凄く残念な気持ちです。 何がいけなかったのか? 誰が悪いのか? いくら考えても答えが出ないのです。 人生に「誤解」はつきもの。そう理解していても口惜しい… 5年前に『少年の名はジルベール』を出版して以来、萩尾先生のところにドラマ化や対談のオファーが相次ぎ、ご迷惑をおかけしていたらしいことを『一度きりの大泉の話』を読んで 知り、驚きました。本当に残念に思います。ですが…誤解が多々あるようなのです。 それが原因で心が落ち着かないのかも?と思い、マネージャーとして知っていることだけを忠実に、せめてblogにでも書き綴ってみようと思い立ちました。 ドラマ化については『少年の名はジルベール』の出版以来、二度ほどオファーが来て、私達も断るのに苦労し
新型コロナウイルスの感染拡大で注目された妖怪アマビエが出現したとされる2カ月前、同じように流行病を予言する奇妙な姿の妖怪が現れていた。アマビエをはじめとした「予言する妖怪(予言獣)」を研究する福井県文書館職員の長野栄俊さんが確認した。 うろこに覆われた胴体や3本足はどことなくアマビエを連想させるが、角の生えた顔や、何より謎の光線を出す玉を両手に持つ姿はまるで別物。アマビエと違い自らの名を言わなかったため、名前は不明という。 この妖怪が確認されたのは、尾張徳川家の旧蔵書を中心に所蔵する「名古屋市蓬左(ほうさ)文庫」。尾張藩大道寺家に仕えた水野正信が、江戸後期から明治初頭に起きた城下の出来事や各地の風聞を書き留めた「青窓紀聞(せいそうきぶん)」(全204冊)に残されていた。 記述によると、1846(弘化3)年2月19日、備後(現在の広島県東部)の海辺に毎夜、「光る物」が出るの…
天下統一を目指し勢力を拡大していた織田信長が京都に入ってまもない時期に、敵対する武将に降伏を促す文書が見つかりました。調査した東京大学史料編纂所の研究者は高圧的な態度で降伏を迫る信長の政治行動がわかる貴重な資料だとしています。 その結果、武力で天下を治めるという意味の「天下布武」という朱印などから1570年に書かれた文書で織田信長が名門・細川家の細川昭元に宛てたものと結論づけました。 当時、信長は天下統一を目指して勢力を拡大するなかで将軍、足利義昭とともに上らくしてまもない時期で今の大阪・摂津で昭元が立てこもる城に攻め込んでいました。 文書では、昭元に対して降伏するよう促し、その場合は播磨などの領地を与えることや、四国については影響力を持っていた昭元を特別に扱うとしています。 昭元がこうした条件をのんだかはわかっていませんが、文書の翌年には、信長に降伏した記録が残っています。 村井准教授は
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、細川家が九州の有力大名となる礎を築いた細川忠興が記した書物の裏に石田三成や古田織部の自筆の書状があることが東京大学史料編纂所などの調査でわかりました。専門家は豊臣秀吉に仕えた武将たちの素顔がうかがえる貴重な史料だとしています。 細川忠興は戦国時代から江戸時代初期の武将で、豊臣秀吉などに仕え、細川家が九州の有力大名になる礎を築いたほか、茶道などにも通じた文化人としても知られています。 細川家の史料を保管している東京 文京区にある永青文庫と東京大学史料編纂所は共同で巻物になっていた忠興が記した書物を調べたところ、忠興が受け取った書状などの裏側を再利用していることがわかりました。 その中には、1586年ごろ、秀吉に一緒に仕えていた石田三成や古田織部が自筆で忠興に宛てた書状が含まれていました。 石田三成の書状では、秀吉から受け取った金の使いみちについて忠興
鹿児島市にある県歴史・美術センター「黎明館」に預けられた島津家一族の資料の中から、豊臣秀吉が妻の北政所に宛てて書いた自筆の書状が見つかりました。 書状は、朝鮮半島に兵を出した文禄・慶長の役の際に、秀吉が城を築いた現在の佐賀県の名護屋から北政所に宛てて書かれたものです。 天正20年(1592年)6月3日に書かれたと推定されています。 手紙には、「当年中には唐国、明を取り唐国に遷ったら迎えを遣わせる」と書かれ、文末には「まんどころ殿太閤」と記されています。 東京大学史料編纂所の協力を得て、筆跡などの研究を進め、秀吉の自筆の書状だと確認したということです。 この書状は5月31日から「黎明館」で開かれる企画展で展示されます。
発見された鳥羽城の修復願絵図。寛政12(1800)年の暴風雨による海に面した石垣の被災状況が記されている(盆野行輝さん提供) 三重県鳥羽市のリサイクル施設に持ち込まれた紙ごみの束から、江戸時代に暴風雨に見舞われた鳥羽城石垣の被災状況を幕府に報告した「修復願絵図」が発見された。紙ごみを仕分けしていた施設作業員が「価値のある史料かも」と機転を利かせ、鳥羽郷土史会に持ち込み、同会を偶然訪れた研究者が「探していた未発見絵図だ」と確認。海に面した鳥羽城がどう災害に立ち向かったのか、その記録が鮮やかによみがえった。 捕鯨など漁業関連史料も7月13日、家庭から出るリサイクルごみの受け入れなどを担う「鳥羽市リサイクルパーク」を、名古屋市在住の50代男性が訪れた。持ち込んだのは、史料の束や写真のネガ、古いパンフレット類などが入った段ボール箱。親が住んでいた鳥羽市内の空き家を整理した際の処分品だった。 対応し
すんげーマイナーな論点ですが、ロックリー氏をめぐる論争の中ではけっこう重要だと思うので短い記事を書きます。 でね、なんか私がロックリー氏の本について発言すると「お前は間違ってる! ロックリーは嘘つきだとユーチューバーが言ってた!」みたいな人が話しかけてくるんです。やめて。悲しくなるから。ロックリー氏の日本語著作『信長と弥助』は無料サンプル部分もあるのでせめて自分の目で読んでからにしてください。いいか無料サンプルがあるんだぞ2回言ったぞ。 ロックリー氏に対するデマの中で最大最悪のものだった〈ロックリーは黒人奴隷は日本発祥だと主張してる!〉という言説。デマだと理解されたのか、昨日(2024年7月27日)から急に沈静化しましたが、それまで10日間ほどツイッター(現X)や動画サイトを席巻していました。まだ言ってる人も多いですけどね。その凄まじい様子は以下のツイートやメディアを見ていただければと思い
織田信長、豊臣秀吉、それに徳川秀忠が、京都の警察業務を担当していた組織に対して権益を認めることなどを記した「朱印状」と呼ばれる書状が3点まとまった形で確認され、調査を行った専門家は「この組織と天下人との関係が総合的に分かり、非常に貴重だ」としています。 室町時代から江戸時代の京都では、4つの家からなる「四座雑色(しざぞうしき)」と呼ばれる組織が、ろう屋の管理や要人の警護などの警察業務を担当していました。 このうち1つの家に伝わったとみられる、およそ80点の文書を東京都内の男性が古美術商から購入し、東京大学史料編纂所が調査しました。 調査を行った村井祐樹准教授によりますと、このうちの3点は、織田信長、豊臣秀吉、それに徳川秀忠の3人の天下人が出した書状の原本と判断されました。 それぞれ後世の写しが残されていますが、立場の上の人が目下の人に出す「朱印状」だったことが新たに分かったということです。
最初に解読された数語のうちの一つは、「むかつき」を意味する古代ギリシャ語だった/Vesuvius Challenge (CNN) 西暦79年のベスビオ火山噴火で焼け焦げ、広げようとすると崩れてしまう状態になった古代の巻物数百巻のうちの1巻について、現在科学者らが内容の解読に挑んでいる。 英オックスフォード大学のボドリアン図書館に保管されているこの巻物は「ヘルクラネウムの巻物」と呼ばれる文書の一部。解読を促進するコンペ「ベスビオ火山チャレンジ」の一環として仮想的に広げられる5巻目の巻物となる。ユリウス・カエサルの義父の自宅から回収されたと考えられているこの文書は、古代のローマとギリシャに関する新たな情報の宝庫とされる。 人工知能(AI)その他のコンピューター技術を駆使し、「ベスビオ火山チャレンジ」のチームはこのほど、巻物に書かれた文面の画像を生成することに初めて成功した。ボドリアン図書館が5
関東大震災時、虐殺被害にあった中国人らの名簿ここに、名簿がある。「日人惨殺華工之調査」。関東大震災直後、被災地で虐殺された中国人について、当時、東大農学部で学んでいた王兆澄らが調査し、まとめたものだ。日本人が混乱に乗じて虐殺したのは、朝鮮人だけではなかった。それを示す第一級の史料は、外務省外交史料館(東京都港区)でひっそりと公開されている。だが名簿の存在はおろか、中国人虐殺自体について知る人も少ない。政府が負の歴史に目をつむる傾向にある中、研究者も逆風にさらされている。 名簿には、被害者の氏名、年齢、原籍、被災前住所などとともに被害の日時、場所、加害者、凶器、被害状況などが書かれている。死者には「死」、受傷者については「頭上四刀右腰一刀」といった詳しい状況も記されている。 日時は震災直後の9月2日や3日が多く、被害場所としては「大島町」を中心とした東京都内のほか、「神奈川縣」という記述も散
続編的記事。 「シュン@ひろしまタイムライン」について出典元やその他の書籍との比較 - 電脳塵芥 NHKの「ひろしまタイムライン」というツイート企画の中で以下の内容が投稿されました。 この企画は1945年の広島を生きた3人の日々をSNSで毎日発信するというものでありますが、その内容は原本そのままではなく原本となる日記をもとに今の10代の若者たちがアレンジして発信というもの。上記の「朝鮮人」記述は現代の差別的状況を鑑みた場合や戦争への反省、加害責任を考えた場合には前提となる知識や注釈なしで情報を発信するにはあまりにも迂闊な事であり、朝鮮人が受けてきた被害の歴史をある時点での本来比較にならないほどの「加害」によって日本人が与えてきた加害を感情的に相殺させる作用さえあります。また戦後に朝鮮人による暴力事件があったのは事実でありますが、それを在特会などが誇大的に発した「朝鮮進駐軍」という【デマ*1
2022年8月の終わりにいったんお別れのあいさつをしましたが、しばらくぶりに古巣で書かせてもらいます、そのお題というのが、Xerox PARC(Palo Alto Research Center)について。 あの「パロアルト研究所」がXeroxのもとを離れる MacやPCなど現代コンピュータの“聖地” 古い船をいま思い出せるのは新しい水夫じゃないだろう……ということでしょうか。まあ最近の人はXeroxっていっても「何て読むの?」となるのかもしれませんし、「ゼロックスしといて」といわれても、「リコピーしといて」といわれるのと同じくらい理解不能でしょう。 コピー機の会社として知られていた米Xerox(ゼロックスと読みます)は、日本では富士写真フイルム(現在の富士フイルム)との合弁で富士ゼロックスという会社を設立し、オフィス向けコピー機を売っていました。その富士ゼロックスの名前は2021年に消え
日本軍の南進は、資源と領土を奪う目的があったことが、前回の記事で分かったで。 今回は、インドシナにおける日仏二重支配がもたらした大惨事について調べてみるわ。 超長い記事になるけど、日本人として知っとかなあかん歴史や。 とくに、大日本帝国を崇めとるウヨちゃんに「大東亜共栄圏」の実際を知ってほしいねん。 まずは、前回の復習を兼ねて、ベトナム独立宣言を読んでクレメンス。 出典・参考「ベトナム独立宣言」1945年9月2日(Wikipedia)「Võ An Ninh」ベトナムの著名な写真家。(ベトナム語版 Wikipedia)「古田元夫」ベトナム現代史研究者の論文。(CiNii)『私のなかのヴェトナム』小林昇/1968年(未来社)『写真週報 180号』Ref. A06031077500(国立公文書館アジア歴史史料センター)『ベトナム“200万人”餓死の記録 1945年日本占領下で』早乙女勝元/199
NHK広島放送局の被爆75年企画「1945ひろしまタイムライン」をご覧くださり、ありがとうございました。 もととなった日記が終了した12月31日でツイッターでの発信を締めくくり、事前にお伝えしていた通り、アカウントとHPを2020年末に閉鎖いたしました。 原爆の日や終戦の日を含む8月1日~15日のツイートやブログ記事の一部は、こちらに掲載しています。https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/hibaku75/diary/ 「1945ひろしまタイムライン」は、戦争や原爆の記憶を若い世代に伝えるために発信を続けてきました。 ツイートのもととなった日記の著者やご遺族、ご関係者、制作や取材に関わってくださった方々など、ご協力いただいたみなさんに心より感謝申し上げます。 今後ともよろしくお願いいたします。
古田アフロ @JNhikbxTqrszZFX 手元にあるご先祖様の古写真、古手紙等アップ専用アカウントです。 記録がてらアップします。 明治〜昭和です。 順不同、更新は遅めです。 読み間違えは遠慮なくご指摘いただけると助かります。 古田アフロ @JNhikbxTqrszZFX 1918年、大正7年の曽祖父手帳です。ほとんど読めないのですが、 11月4日静子(長女)発熱心配なり 6日熱40度 7日39度を下らず これはきっとスペイン風邪ですね。 そのあと11日には回復してますが、その後もちょくちょく病院という単語が出てくるので家族にもうつったようです。 pic.twitter.com/szXDew92cn 2020-04-25 01:07:46
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
浦添市教育委員会発行『琉球王国評定所文書』 下記の通り、浦添市教育委員会の協力を得て、琉球王国交流史デジタルアーカイブの公開資料に『琉球王国評定所文書』(1~18・補遺別巻等)を追加いたしました。なおPDFの公開は著作者の承諾が得られたものに限り、第1~3巻についてはテキストデータも公開しています。 今後とも琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブをご活用いただきますよう、よろしくお願いいたします。 また、よろしければ本デジタルアーカイブへのアンケートにご協力ください。 【令和4年8月4日付け公開資料】 1 琉球王国評定所文書 第1巻(巻頭論考および解題含む22件、30.2万字) 2 琉球王国評定所文書 第2巻(巻頭論考および解題含む26件、27.7万字) 3 琉球王国評定所文書 第3巻(巻頭論考および解題含む16件、26.2万字) 4 琉球王国評定所文書 第4巻(巻頭論考および解題
ようやく前期の遠隔授業も終わりがみえてきました。前期の最後となる今回は、学生諸君ではなく、世間一般に問いかけたいと思います。 直近の【3288】でも「#椿井文書 の絵図と城館発掘結果が合致するのは、作成年月日が戦後で、作者は研究職の誰かだから」と述べるように、素人さんたちの主張はあまりに支離滅裂なので私の立場が揺らぐ心配はありませんでしたが、正直なところをいうと、ごく一部の人が素人さんたちの発言を真に受けている様子は少しだけ気にはなっていました。幸い私の場合は、過去に執筆した論文がいつでも証明してくれるので黙殺すれば済むのですが、そうではない人の場合を想像すると、誹謗中傷が拡大する当事者の気持ちが少しだけわかって恐怖を感じました。そして、これが人を死に追いやるのかと思うと怒りも感じました。 しかし、研究の時間を割いてまでして、素人さんたちの相手をするのは明らかに無駄です。ところが、このタイ
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く