電通はかつて上下関係に厳しい会社であった。
電通OBによると、社内には「年次は海より深い」という格言があったという。入社年次で上下関係が明確に決まり、後輩が先輩に服従するのは当然だった。
社内の宴席で後輩は先輩に酒を飲まされ、宴会芸を披露して先輩を楽しませるのが慣例であった。飲酒や宴会芸が苦手な社員にとってこれは、厳しい上下関係という状況から生じたパワハラ以外の何物でもない。
そして悲劇が起きた。「女子力がない」「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」などと、職場で上司から心ない言葉を浴びせられた女性新入社員が、パワハラと過労を苦に2015年に自殺した。
労働問題に詳しい弁護士の向井蘭氏は、「米国や中国の企業では、結果を出せない部下は解雇すればいいだけ。だからパワハラも少ない。一方、日本企業では部下を家族の一員のように扱いがちで、育てねばならないとの思いからパワハラに及ぶことがある」と解説する。
上司の行きすぎた「親心」
電通では上司の行きすぎた「親心」が女性新入社員を死に追いやったのかもしれない。電通の経営陣は世間の猛烈な批判を受け、ようやく労働環境の改善に着手した。

パワハラ撲滅に向けて企業が利用できる外部のサービスはたくさんある。日本アンガーマネジメント協会(東京・港)の研修サービスもその一つ。代表理事の戸田久実氏は、「怒る必要のあることと、ないことを区別できるようにして、怒る必要がある場合は適切な表現を選べるようにする」と説明する。
またピースマインド(東京・中央)は米動画配信大手ネットフリックスが開発した「リスペクト・トレーニング」を、日本企業向けに提供している。ファシリテーターを務める田中秀憲氏は、「誰しも忙しい時などに、心ない言葉を仕事仲間に吐いてしまいかねない。そうならないよう、お互いにリスペクトを忘れないようにするのがトレーニングの目標だ」と語る。
電通の経営陣も全従業員向けにハラスメント防止研修を実施したり、ハラスメント対策の専門家が迅速に対応できる体制を整えたりと、様々な改善策を実行した。そして25年2月には女性が活躍できる環境づくりが進んでいる企業が受けられる厚生労働省の「えるぼし認定」で最高位の3つ星を獲得。労働環境の改善に向けた様々な取り組みが功を奏したと言える。
■「ハラスメントが会社を滅ぼす」のラインアップ
・[新連載]宝塚、パワハラの連鎖が生んだ悲劇 社内の「聖域」放置の代償
・電通と失脚した花園出場監督の教訓 パワハラでつまずかないチェックリスト30(今回)
・圧迫面接は人権侵害 商社で「接待は平気?」と聞かれて涙した就活生
・「私は好かれている」は立派なセクハラ予備軍 チェックリスト30で要確認
・セクハラ、5割超が泣き寝入りの現実 インターンで男子学生の3割も被害
など9回ほどを予定
そして何よりも、女性新入社員の自殺と、社会的な批判が電通を変えた。電通OBによれば、「一夜で社内の価値観がひっくり返った」と言うほどの衝撃だった。
電通にしろ前回の記事(「宝塚、パワハラの連鎖が生んだ悲劇 社内の「聖域」放置の代償」)で詳報した宝塚歌劇団にしろ、犠牲者を出し、社会的制裁を受ける以前に経営陣が自主的にパワハラ撲滅に向けて動き出さなければならなかったのは、言うまでもない。
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