窓辺の記事一覧
-
「私の職業は学芸員です」と言うと、「美術館の中で椅子に座っている人ですか」とよく聞かれます。 学芸員の数は、日本で約8400人。医師の34万人、教員の75万人と比べてみると、レアな職業ですね。 皆さん
-
今年の静岡まつり、見に行かれましたか。徳川家康が大名や旗本を引き連れ花見をしたという故事にならい、1957年から開催されているようで、今年で69回目でした。昨年は静岡に来たばかりで、大御所花見行列をち
-
皆さん、こんにちは。遠州ハママツモータースの山岸です。今回は「eモータースポーツ」もそのカテゴリーの一つに含まれる「eスポーツ」についてご紹介します。 eスポーツは「エレクトロニック・スポーツ」の略称
-
私の祖父は1900年に生まれ、98歳という長寿を全うしました。子どものころ、祖父が訪れた場所、出会った人々、生涯で見てきた社会の変化についての話を聞くのが大好きでした。祖父は骨董[こっとう]品に興味が
-
政府が2024年12月に公表した23年の日本の1人当たり国内総生産(GDP)は、前年に続き主要7カ国(G7)の最下位だった。日本はかつて首位だったゆえに驚きであった。政府は生産性向上を目指し「コストカ
-
はじめまして。長泉町井上靖文学館で学芸員をしております、徳山と申します。今日から、知られざる文学館の活動や、井上靖作品の魅力をお伝えしていきたいと思います。 さて、突然ですが、文学館ってどんなところで
-
皆さん、おはようございます。静岡県警本部長の津田です。 私は元々、大阪府出身です。静岡県は新幹線で通過はするものの、なかなか県内をゆっくり訪れる機会はありませんでした。着任し風光明媚[めいび]で豊かな
-
はじめまして。今回より木曜に寄稿する遠州ハママツモータースの山岸です。どうぞよろしくお願いします。 遠州ハママツモータースは、この2月に開幕しました、JAF(日本自動車連盟)が国内で唯一公認するeモー
-
1月、妻と山梨県富士川町にダイヤモンド富士を撮影しに行きました。皆さんが撮ろうとしている、あるいはすでに撮ったような写真を狙うのが私はあまり好きではありません。でも、まずは挑戦してみることにしました。
-
戦前、第一生命の社長を8年以上務め、社の大躍進を実現したのは石坂泰三である。戦後、東芝の社長から経団連会長となり「財界総理」と呼ばれたことで有名で、その石坂を第一生命時代に支えたのが稲宮又吉だった。石
-
今、コラムを書いているのは佐賀県・武雄温泉駅からほどない師匠宅です。武雄にコスモライト石橋という施術院があります。10年前から心と体の両面でお世話になり、今では院長を師匠と呼ばせていただいています。何
-
あっという間に連載も最終回になってしまいました。現在、シーズンが開幕して約2週間が経[た]とうとしています。われわれは昨季28に終わってしまった勝ち星を一つでも増やすことを目標に、今季を戦っています。
-
ソウルには静岡県人会がある。私が参加し始めて10年以上たつ。一応、副会長なんて肩書もあるが、威厳はゼロだ。会場予約の確認だとか、乾杯で大きなかけ声をかけるとか、そんな地味な働きが私の主な役割である。
-
豊富な食材やお茶が特産の静岡県は、2023年のデータで健康寿命が最も長い日本一の「長寿県」ですが、そこに笑いでさらに健康寿命を延ばせたら幸せですよね。「笑う門には福来たる」と、笑うことで心身ともに健康
-
私の「窓辺」も最終回。初回で触れた静岡県内25の「道の駅」巡りも完了。戸田では、港で珍しい深海魚の刺し身を堪能し、帰路には天城越え経由で、韮山や堀越[ほりごえ]御所跡も訪れた。 最近の説(ユーチューブ
-
3月10日は誕生日でした。私にとっては65個目の勲章をゲットしたくらいうれしい日。 幼稚園の頃は鏡の前に立って、鏡の中の自分を他人に見立てて会話して、何時間でも遊んでいられる変わった子でした。親から叱
-
現在の日本、大谷翔平さんという人物を知らない人はいないでしょう。 私も野球を生業とするものの一人ですが、やはり「野球選手」大谷翔平は別格です。まるで漫画の主人公のよう。この世界に身を置き、改めてその凄
-
藤枝に住む甥[おい]から「高校に合格した」と喜びの報告が届いた。お祝いの言葉を送りながら、自分の高校時代を振り返る。 授業の合間に友達とたあいのない話をし、国語科準備室で先生と友達のように語り合い、放
-
関西エリアでは「土曜のお昼は新喜劇」が、常識というレベルまで定着している吉本新喜劇。見ることによって元気をもらい、子供たちは笑いのセンスを磨くとまで言われています。静岡でも深夜放送などで見ることができ
-
前週も触れたが、14年前の東日本大震災直後は多忙続きだった。残業後によく通っていた、日銀本店近くの裏道にある中国人経営の整体店に行く余裕もなくなった。肩が限界に達し、しばらく振りに赴くと、客も、常時数
-
俳優で妹の松田美由紀のライブが浜松でありました。東京でのライブを見て、ぜひ浜松でやってほしい!と思いました。 浜松には森爺[もりじい]と呼ばれている名物おじさんがいます。本名は森園英明さん。森爺は元ホ
-
皆さん、準硬式野球というものをご存じでしょうか。 準硬式野球、通称「ジュンコウ」はボールに特徴があり、外側は軟式、中身は硬式と同じ。競技人口はおよそ1万人、主に大学野球のカテゴリーで盛んです。全体的
-
韓国では、誰かがトイレに行くと「どうだった?きれいだった?何点?」と尋ね合う。特に女性同士なら、この会話がよく交わされる。「まあまあ、7点」「最悪!3点」「意外ときれいで8点」なんて、まるで飲食店のレ
-
沼津ラクーンよしもと劇場の企画「太鼓判ライブ」に出演する多くの芸人が漫才大会「THESECOND」のベスト32に進みました。先日、放送する東京のテレビ局であったトーナメント抽選会に私も向かいました。会
-
3月になると思い出す仕事が二つある。 一つは人事部署での採用業務だ。秋からの大規模説明会等を経て、より少人数への説明会等が休日を含め連続する体力勝負。学生側の真剣さも格段に高まる。就活本の文例らしき言
-
東京の友人が浜松に遊びにきました。私が好きになった浜松を同じように気に入ってほしくて、さぁ、どこに案内しよう!と悩んだ結果、浜名湖が一望できる「浜名湖パームスプリングス」というグランピング施設に案内し
-
現在、スマートフォンが本格的に普及して10年ほどでしょうか。もちろん私にとっても、日々生活する上で欠かせない存在になっています。 いま、インターネット上はありとあらゆる情報であふれています。手のひらに
-
韓国にもたい焼きがある。正確には「ふなパン(プンオパン)」という。日本のものよりも二回りぐらい小さくて食べやすい。 氷点下10度の中で食べるアツアツのたい焼きは格別だ。20年ほど前のソウルでは、そこら
-
沼津ラクーンよしもと劇場は、寄席公演やさまざまな企画公演を開催しています。その中に2023年6月にスタートした、主に中堅と呼ばれる芸歴や年齢の芸人が出演する「太鼓判ライブ」という公演があります。ネタに
-
先週55歳になった。昨年は静岡に赴任して間もない7月、不注意から足を踏み外し右膝の腱[けん]が切れ、人生初の入院・手術となった。手術には血糖値が高すぎるとして、まず、食事制限を含む「悔い(食い?)改め
-
実は私、昭和歌謡ロック歌手なんです。浜松でバンド組んでます。なんと8人編成!サックス、ドラム、キーボード、ベース、パーカッション、ギター、そしてツインボーカルでやらまいか大使の歌手ERIKOちゃんが入
-
私は読書が好きです。書店に綺麗[きれい]に並んだ「本たち」をみると、いつもワクワクした気持ちになるのです。 私の読書歴は、幼少期に母親がしてくれた読み聞かせに始まります。物心ついた頃には小説を読み耽[
-
韓国のテレビ通販は「今、これを買うべきだ」という空気を作り出すのがうまい。最近、ある通販番組でこんなことがあった。 まずは純金ジュエリーを販売する。「金価格が上昇しているから今が買い時」という紹介とと
-
父親が本田技研で働いていたこともあり、幼少期からJFLのサッカーを見に行っていました。近所にはサガン鳥栖の母体・PJMフューチャーズのグラウンド「PJM佐鳴湖サッカー場」もあったので、あのKINGカズ
-
私の「人生最高の瞬間」は16歳!東京学芸大付属という共学高でのオペラ上演だ。当時、音楽部では、文化祭で合唱班20人ほどが80人ほどのオケ班の伴奏でオペラを演奏するぜいたくな伝統があった。私の代は「カル
-
伊勢神宮へ参拝に行ってきました。東京に住んでいた頃から年に1度は必ず訪ねていましたが、浜松に越してきて、行き方が変わりましたね。車を走らせ、伊良湖岬からフェリーで鳥羽へ渡るのが定番になりました。田原を
-
皆さんは数年前、どのような生活を送っていたでしょうか。 世界的に新型コロナウイルスが猛威をふるい、日常が大きく変わってしまった2020年。当時私は大学3年生になる直前でした。 母校の大学病院には重症患
-
韓国では近年、「ホンパブ(홍펍)」、つまり「1人飯」がすっかり当たり前になった。少し前までは1人で食堂に入ると奇異の目で見られたものだ。 韓国では「みんなで食べるのが基本」という意識が強かったため、1
-
これまで、たくさんのイベントを制作させていただきましたが、いくつか特別なものがありました。一つは2020年の「芸歴50周年記念桂文珍国立劇場20日間独演会」です。文珍師匠の芸歴50周年という節目の特別
-
先月、私が所属する団体で国立印刷局静岡工場への見学会があった。お札の厳格な製造工程や偽造防止技術の紹介は好評だった。ちなみに、お札の印刷工場と日銀支店が同一市内にあるのは静岡市のみ。昨年7月の新しい日
-
寒い日が続きます。私はとうとう風邪をひきました。一度ひくとこれがなかなか治ってくれません。 予定の変更が続き、迷惑ばかりかけています。友人との約束をいくつキャンセルしただろう。情けない。本当にごめんな
-
伊豆半島の先端近くにある人口6400人ほどの小さなまち、河津町。これが私の大好きな故郷です。 自然豊かな、というか豊かすぎるような環境で私は生まれ育ちました。小中学校への通学路で猿や狸[たぬき]といっ
-
2月14日はバレンタインデー。甘い期待とともに、少しの緊張感が漂う日だ。韓国でも1980年代に日本の影響を受けて、女性が好きな男性にチョコを贈る習慣が広まった。 一方で、日本とは異なる独自の文化もある
-
音楽・映画を扱う仕事からお笑いの会社へ転職しましたが、音楽や映画を扱っていた時の息抜きは今思えば、テレビのバラエティー番組を見ることなど、お笑いに関することだったかもしれません。逆に今の息抜きは映画観
-
まず、先週のクイズの答え。「地球上(海上を含む)で方位磁針を見ながら①南に100キロ、さらに②東に100キロ、③北に100キロ進むと元の地点だった。出発点は(北極点以外に)どのような場所か」の問い。①
-
コラムを書いていると1週間が早いですね。今週はフル回転でした。 木曜日、東京・代々木体育館で「ひふみフェス」に参加。人気YouTuberがたくさん出ていて癒やされました。夜は劇作家田村孝裕さんのお芝居
-
医学部が6年制であること、皆さんはご存じでしょうか。 6年間大学生をしていたと話すと留年したの?と言われることも少なくありません。医学生は一体どのように6年間を過ごしているのでしょうか。 私が通ってい
-
ソウルで暮らすうちに「空気を読む」という言葉にもうひとつの意味が加わった。比喩ではなく、文字どおりの「空気」だ。 朝起きるとまずはテレビやスマホでPM2・5の状態をチェックするのが日課になっている。「
-
エンタメの仕事がしたいと考えたのは大学の頃でした。音楽や映画が好きで、大学時代にCDショップでアルバイトしたのをきっかけにそのまま就職したのがエンタメ業界への入り口でした。その時は洋楽バイヤーとして主
-
昨夏の静岡市の気温40度には驚いたが、地形がもたらすフェーン現象等の仕組みは興味深い。 私は小学4~6年にかけて毎日天気図をつけていた。20分のラジオ放送を聴き、日本周辺地図の付いた用紙に各地の天気・
-
米国のトランプ大統領の就任式は夜中まで起きて見ていました。世界が変わる!そんな気持ちになりました。今、日本ではテレビ局や芸能人の根深い問題が報道され、心がウキウキするようなニュースがないんですよね。何
-
15歳の私は進学にあたって、河津町の実家を出て下宿生活をすることとなりました。当時の静岡高校は私が入学する直前のセンバツでベスト8。いわば黄金期の真っただ中だったのです。入学して初めて迎えた練習。上級
-
韓国には2度、正月がある。1月1日の「新正月(シンジョン)」と、旧暦に基づく「旧正月(ソルラル)」だ。新正月の休みは1日だけなので、前後3日が休みになる旧正月に比べると、あっさりとした祝日だ。 ソルラ
-
「THESECOND」という結成16年以上の漫才師による大会が2023年から始まりました。結成15年以内が出場条件のM-1を卒業した漫才師の「セカンドチャンス」を、というコンセプトで立ち上げられた大会
-
父の転勤で2歳の時に出身の北九州から東京・高円寺の社宅に移り、そこで育った。車を手放した父との主な思い出は、毎週末に後楽園球場の馬券売り場に同行したことだった。 母に似て能天気な私と違いマメな人で、表
-
今年のお正月は、元旦に夫のお母さまとおせちをいただき、2日は私の妹家族と伊豆の古奈温泉に出かけました。おいの子どもは3歳。元気いっぱいの男の子です。日頃、小さい子どもと過ごす機会は多くはないので、1泊
-
皆さんはプロ野球にどのようなイメージが浮かぶでしょうか? たくさんの歓声の中繰り広げられる熱戦、テレビや誌面を飾る華やかな世界… くふうハヤテの選手は、元NPB戦士、高卒、大卒、独立リー
-
昨年末、韓国の務安[ムアン]国際空港で起きた済州[チェジュ]航空の事故。その「名前」を巡って思わぬ議論が広がっている。 韓国政府はこの事故を「済州航空旅客機惨事」と命名した。しかし、事故名に「務安空港
-
年末年始は劇場にも多くのお客さまにご来場いただきありがとうございました。テレビでもバラエティー特番が多くなりますし、忘新年会やクリスマス、成人式などイベントも多く、芸人の露出が多かったと感じています。
-
中学時代、テレビ放送の人形劇をきっかけに三国志に興味を持ち、続きを漫画で立ち読みした。その本屋で、漫画最新刊のさらに続きを連載する月刊漫画誌を見つけ、なけなしの小遣いで毎月購読した。その雑誌に「風雲児
-
この大みそかは断捨離を決行しました。もともと私、物を捨てられないたちなんです。その理由は、全てが思い出だからなんですよね。絶対に使えない物でも捨てられない。 特に物が増えたのは2020年のあの騒ぎから
-
「なぜ、医師と野球選手、両方目指そうと思ったの?」。よくこのように尋ねられます。確かに、見方によっては勉強と運動は両極に位置するものですし、どちらの道を目指すのも決して簡単ではありません。 野球が大好
-
韓江[ハンガン]氏のノーベル文学賞受賞は、韓国文学を世界に押し上げた歴史的な快挙だった。この成果を陰で支えたのは「韓国文学翻訳院」の地道な努力だ。 文化体育観光部(韓国政府の文化政策を担当する機関)傘
-
沼津ラクーンよしもと劇場は昨年7月、開場10年の節目に劇場と沼津市民文化センター大ホールで、2日間で延べ3千人を動員する周年特別興行を開催しました。制作するに当たり、今までで一番豪華で満足度の高い公演
-
9歳上の兄、7歳上の姉の後、久々に誕生したため、(多分)久司と名付けられた。昨年、わが子で同じ末の3番目(次男)が成人年齢18歳となった。まだ多少手はかかるが、区切りを迎えた喜びと、自分も歳をとった感
-
還暦の時に決めたことが三つ。一つ、やりたいことを全部やる。二つ、人の役に立つのではなくて、神様の役に立つ。三つ、人を楽しませるのではなくて、自分が好きなことを楽しむ。私は決めました。 一つ目は還暦の
-
みなさん、はじめまして!くふうハヤテベンチャーズ静岡、背番号15番、投手の竹内奎人と申します。 河津町出身の私は、この静岡の地にてプロ野球選手として活動しています。一方で、昨年の春に医師国家試験に合
-
ソウル南郊に位置する清渓[チョンゲ]山は、地元の人々に親しまれる手軽な登山スポットだ。その登山道に入る手前に細いトンネルがあり、そこには小さな売り場が並んでいる。台の上に置かれた鮮やかな緑のホウレン
-
JR沼津駅前に2014年にオープンした沼津ラクーンよしもと劇場は、大勢のお客さま・関係者に支えられ、昨年7月7日に10周年を迎えました。吉本興業の常設劇場は全国に12劇場あるのですが、沼津劇場は地方劇
-
1992年の日銀入行以来、前半は金融危機対応の部署が長かった。国難級の混乱・緊張の中で深夜残業が続く日々だったが、使命感と耐久力は身についた(髪の毛はだいぶ減ってしまったが)。 その後、人事、金融市
-
静岡県は全国でも稀有[けう]な文学資産を持つ土地柄だ。「万葉集」の編者大伴家持、「古今和歌集」の選者紀貫之、「新古今和歌集」の選者藤原定家、「方丈記」の鴨長明、「枕草子」の清少納言らも静岡を題材に作品
-
眺める客と、演じる役者。受け取る者と、与える者。待つ者と、行動する者。楽と、苦。どれも優劣では語れない。しかし「どちら側で生きるのか」、選ぶことは大切である。 例えば、雪。山脈に囲まれた静岡は、雪が降
-
五輪に出場する選手の母親はどんな人?恐れ多くも私に講演の依頼が来ることがある。何か誇れるものができればと願い3人の子育てをした結果、夫婦2人の共通の趣味だった卓球が子どもたちの強みになった。また、次男
-
年間45億8千万円。この数字は2021年に実施した「天竜浜名湖鉄道地域経済効果調査業務委託」で算出された、天浜線による地域への経済効果額である。同年の国、県、沿線市町による全公的支援額の約10倍の経済
-
今年は、皆さまにとってどんな年だったでしょうか?笑った人、泣いた人、怒った人、迷った人、それぞれが人生ですね。健やかに来年を迎えられるように準備しましょう。 今回でコラムも終了します。今まで読んでいた
-
師走も残りわずか。12月のことを古来、春待月[はるまちづき]とも親子月とも呼ぶ。 今月29日、SBSラジオ特別番組「大切なあなたへ~メッセージ・フォー・ユー~」が放送される。20回目を迎える今年は短歌
-
浜松市天竜区水窪町。小さな山間の町が、熱気で包まれる日。長野と静岡の県境が、住民たちの腕力に託される瞬間。そう、秋に行われる「峠の国盗り綱引き合戦」だ。 地域活性化を目的に始まったイベントは、もはや説
-
少子化、働き方改革など時代が移り変わる中、中学校部活動の縮小、廃止が相次いでいる。磐田市では、新たに地域クラブ活動「スポカル」が一部先行で立ち上がった。地域団体や個人の指導者が主体となってクラブを運営
-
海が変わった。釣り好きな私は、そう実感している。若い頃、春先から秋まで夜な夜な海津(キビレ)釣りに出船していた浜名湖は、もっと藻場が多かった。サーフのルアーフィッシングの場となる表浜では、冬でも海水が
-
今年も残りわずかになりましたね。毎年、毎年、1年が過ぎるのがすごく早く感じて、「今年は何をしたか」と振り返ることが多くなりました。 12月は、僧侶たちが忙しく各地を駆け巡ることから「師が走る」月という
-
高校生の建築アイデアを競う「第15回建築甲子園」県大会で、天竜高二俣校舎が優勝した。各都道府県代表1校ずつが全国選手権に進むという。それを公益財団法人日本建築士会連合会が審査し、今月下旬に入賞が発表さ
-
流行[はや]りの曲のほとんどは、3~4分に収まっている。理由は、かつての「制約」にある。アナログレコード時代は、円盤の外から内へと溝を掘り、音を記録していた。円盤には「大きさ」という制限があり、安定し
-
来年1月、全日本卓球選手権が開催される。次男の隼はこの大会で10回優勝しているが、11月には世代別日本一を決める全日本マスターズが石川県で開催された。30代から50代まで10歳刻み、60歳から85歳ま
-
会社を経営する以上当然のことですが天浜線にお世話になって以来、コロナのまん延や昨今頻発する集中豪雨など、多くの安全確保上の心配事や経営上の苦労があります。しかし、天浜線にはそんな苦労を吹き飛ばす素晴ら
-
2011年に起きた洪水から、タイの小学校で、「運動会」を教えています。復興の一環で、文化交流として、ボランティアで地元小学校に教えるのはどうかと、日ごろお世話になっている横浜の住職から声をかけていただ
-
「内浦重須」のミカン畑から観[み]る富士山がとても好きだ。この地区では450年ほど前からミカン栽培が行われていると聞く。名高い寿太郎の他、橙[だいだい]、デコポン、はるみ、はるか、黄金柑、ゆず、カボス
-
私はテストが嫌いだった。学校の物差しでは、全てが中の下。養蜂もギターも、評価科目にはない。自分が誇れるものを、必ずしも見てもらえるとは限らない。 最近の教育現場では点数が非公表だったり、順位が付かなか
-
今夏のパリ五輪の卓球団体は男女とも中国が優勝したが、10月のアジア選手権で日本女子が団体戦で中国を破り50年ぶりに優勝した。日本男子は団体戦こそメダルを逃したが、シングルスでは張本智和選手が決勝で当時
-
静岡県内唯一の第三セクター鉄道である天浜線。その天浜線の利活用促進について調査研究している超党派の議連が「天竜浜名湖鉄道の利活用促進・公共交通のありかたについての調査研究議員連盟(通称・天浜議連)」で
-
私は、昔から、神社仏閣を巡るのが好きです。プロレスや仕事で地方に行く際には、会場近くの神社やお寺を探して、よく1人で参拝に行きます。普段は人が周りにいますが、1人で行くと自分だけの時間で境内を歩いて、
-
20代の頃、J-WAVEの「アクロス・ザ・ビュー」という番組に毎週、詩を書きおろしていた。パーソナリティーは俳優の深津絵里さん。角川短歌賞受賞から数年。新聞や雑誌での連載はしていたものの、ラジオでの連
-
文字を書く習慣が消えた。いつの間にか、文書は印刷になった。いや、今は印刷すらせず、データで送っている。ペンどころか、紙も使わない時代。何事も「環境に配慮」だ。コストもかからず、いつでも、どこでも読むこ
-
3年ほど前、「卓球バレー」という言葉を初めて耳にした。ネットを挟んで1チーム6人ずつ卓球台を取り囲むように椅子に座り、長方形の木製ラケットでサウンドボール(音のなるピンポン球)を転がして、ネットの下か
-
天浜線は2016年8月に台湾鉄路管理局の集集線と、今年5月には遠州鉄道とともに台北メトロと、観光交流の促進などを目的に姉妹鉄道協定および友好協定を締結しました。どこか天浜線に似た景色や雰囲気が漂う集集
-
18日、私の還暦イベント「神取忍還暦祭」が東京ドームシティホールで開催され、満員御礼で大盛況でした。プロレスとライブを融合した内容なので、プロレスを初めて観戦する方でも楽しんでいただきました。 出場は
-
1947年、静岡市で生まれた遠藤滋さんは1歳で脳性まひと診断された。当時、肢体不自由児の学校は全国で1校だったため、6歳の時に家族と移住し、東京の光明養護学校に入学した。手が不自由ならば、と遠藤さんは
-
「自分を安売りするな」。私の恩師は、語気を強めた。 私は自己肯定感が低い。プロや社会人になれば、それは変わると思っていた。しかし、現実はそんなに甘くない。 デビューした瞬間は「じゃ、お先に」と調子に乗
-
今から20年ほど前、かわいい女の子が少年団にやってきた。卓球台から頭がちょこんと出るくらいの身長なのに、すでに大人顔負けの実力だった。当時4歳の伊藤美誠選手だ。 2005年、全日本卓球選手権大会バンビ
-
スポーツに感謝!!プロになれたわけでも、全国大会に出るような選手だったわけでもありませんが、私はスポーツをやってきて良かったと思っています。 恥ずかしながら、幼い頃の私はたんこぶや生傷が絶えない近所で
-
私にゴルフのイメージはないと思うのですが、実はゴルフ歴はかなり長いです。女子プロレス団体「LLPW」(現LLPW-X)を設立してから、「ゴルフも覚えないとダメだ」と知り合いに誘われて始めて、かれこれ3
-
林家たい平さんは人間以外の友人もたくさん持つ落語家だ。絵も描くたい平さん。母校武蔵野美術大の客員教授であり、俳号「中瀞[ちゅうとろ]」の名を持つ俳人でもある。無農薬キャベツの上をはう芋虫から、山野に自
-
「さすがプロだね。全然ミスしない」。私のギター演奏を見て、こう言う人は少なくない。「当然だよ。プロだからね」。そう返したいところだが、実際はそうもいかない。人間だから、ミスは必ず付きまとう。念入りに準
-
卓球療法?耳慣れない言葉だと思うが、卓球の用具を活用し、心身の健康の維持・向上や疾患などの予防を図る療法である。 簡単に紹介すると、特に高齢者や障害者が卓球を利用することで、基礎体力に加え、動体視力、
-
日本が現在の情報社会の次に目指す「Society5・0」は、天浜線の存在意義を高めるチャンスだと思っています。 5・0社会は、交通分野を例にすると「完全自動運転の実現による、運転という作業からの人間の
-
プロレス団体は、日本に現在120団体以上あるんですよ。私がデビューした38年前は、新日本プロレス、全日本プロレス、全日本女子プロレスの3団体しかない時代でした。 プロレスはストロングスタイルやデスマッ
-
「将棋と短歌には共通項がある」。雑誌で対談した時、そんなふうに語ってくれたのは日本将棋連盟会長も務める羽生善治永世七冠だった。 先日、日本平ホテルで藤井聡太名人と伊藤大悟県アマチュア名人との「令和6年
-
世界最古のお酒を知っているだろうか。人類が初めて口にしたお酒は、蜂蜜と水、そして自然の酵母が織りなす琥珀[こはく]色の飲み物。名をミードと言い、それは価値のなくなった蜂蜜から生まれた。 その誕生は全く
-
10月26~28日に全国障害者スポーツ大会が佐賀県で開催された。私もさまざまな障害がある人と卓球をする機会が増えている。 次男の隼は2012年、2大会連続出場となったロンドン五輪に世界ランク5位で臨ん
-
この歳になると、これまで公私共に「この人すごい!この人のようになりたい」と尊敬する人にたくさん出会いましたが、私の人生で初めて尊敬した人は、旧海軍軍人である「山本五十六」です。 小学5年生の頃、彼の伝
-
今年からなんと、清水町で私の畑「カンドリーファーム」ができました!私は以前からお米が大好きで、自分でお米を作りたいと思って田んぼを探していたところ、清水町とご縁がありました。水が最高に美味[おい]しい
-
「花」の麗しさ、「鳥」のさえずり、「風」の情緒、「月」のぬくもり-。古来「花鳥風月」は豊かな自然を表し、それに彩られた大地に暮らすことのできる歓[よろこ]びと敬意、感謝を示す言葉だった。この「花鳥風月
-
「なぜ東京で養蜂を始めたのか?」 答えはシンプル。「地元でやっていたことを、ここでもできないだろうか」という思い付きだった。 ある日の私は、ビルの屋上から街を見渡していた。地上での事業は何かと制限が多
-
本年度、豊田町卓球スポーツ少年団が結成30周年を迎える。卒団生には東京五輪金メダリスト、次男の隼と伊藤美誠選手がいるほか、全国大会で活躍する選手を数多く輩出してきた。 団長の夫とは市内の卓球クラブで知
-
「聖地巡礼」と言って、天浜線やその沿線には「シン・エヴァンゲリオン劇場版」や「ゆるキャン△」ファンの皆さまなど、映画やアニメのモデル地、ロケ地を聖地とする巡礼者がたくさん訪れてくれています。天竜二俣駅
-
「心が折れた」とか、「心を折る」といった言葉を使っていませんか?「心を折る」という言葉を初めて使ったのは、実は私なんです!今では、広辞苑にも掲載されています。この言葉は今はやっている「Netflix(
-
折れたバットのほとんどが捨てられているー。松井秀喜選手のノンフィクションを講談社から刊行する準備をしていた20年ほど前、あるNPO法人の方から、そんな話を聞いた。世界的に森や緑が減少する中、私はこのN
-
インターネットにスマホ、SNSの普及によって「個」を発信する場が整った。結果として、一般人から「インフルエンサー」というブームの火付け役も誕生するようになった。その影響力は、時にはモデルや芸能人をしの
-
私が卓球を始めたきっかけは、母の実家に併設された叔父の板金工場の地下食堂に置かれていた1台の卓球台だった。休日、親戚が集まる機会があると、ひっそりとした食堂に忍び込むようにして、幼稚園児だった私や小学
-
天竜浜名湖鉄道沿線を花で彩る「天浜線人と時代をつなぐ花のリレー・プロジェクト」。通称、花のリレーは地域の活性化とその先にある地域振興を目指して2018年、浜松いわた信用金庫、はままつフラワーパークと天
-
10月なのに、今年はまだ夏日が続いてますね。夜になると涼しくなるので温度差には困ってしまいます。寒くなったり暑くなったり洋服が大変。7度以上になると、体温調整ができなくなってしまい、自律神経が過剰に働
-
「ミスター田中、今、世界で毎秒サッカー場1面分の緑が消失し続けていることをあなたの国の人に伝えてほしいんだ」。20年ほど前、アフリカで行われた国際会議で、ある国の環境大臣からそう言われたことがあった。
-
努力するなら元を取りたい。やるなら効率的に。何事もタイムパフォーマンス、タイパの時代。夢を追うのも例外ではない。 特にプロの世界とは、限られた人間たちの魔境。入ることすら難しい。生き残れるかも分からな
-
長男の出産から3カ月がたったころ、たまたま求人雑誌を手に取り開くと「休日3時間高収入」の売り文句に目が止まった。母乳を与える合間の3時間、夫に長男を預ければ大丈夫、と結婚式の司会の仕事を始めることを勝
-
「ひと夏の経験」といっても子供の頃ファンだった山口百恵さんが歌った曲のように甘酸っぱい?経験ではありませんが、18年前、生涯記憶に残る「熱い夏」を経験させていただきました。2006年、県職員として勤務
-
私は、今年還暦を迎えます。誰もが「元気でうらやましい」と言ってくれるけれど、実際還暦を現役で迎えるとは夢にも思っていませんでした。 中学から柔道を始めた時、柔道着がすれて切り傷ができるとすぐに化膿[か
-
2014年、「第2回わさび短歌コンテスト」(県漬物商工業協同組合主催、県後援)が開催され、県漬物商工業協同組合の望月啓行理事長らと選考委員を務めた。「なぜ『わさび』と『短歌』なのですか」と多くの人に聞
-
抑圧からロックが生まれたのなら、私が引かれるのも当然だったのかもしれない。永遠とも思えた、辛い中学の寮生活。 監獄のように殺風景な部屋に流れたのは、荒々しいギターの音だった。ロックとは、ただのジャンル
-
2001年世界卓球選手権での男子団体13位の不振をきっかけに、日本卓球協会がジュニア選手をドイツに送る強化策を打ち出した。ドイツにはサッカー同様、卓球にもハイレベルな全国リーグ「ブンデスリーガ」があり
-
皆さん、鉄印ってご存じですか? 鉄印を一言で言うと「御朱印の鉄道版」です。鉄印事業は、第三セクター鉄道等協議会に加盟する鉄道40社と旅行読売出版社など関係会社の連携事業として、地方鉄道の活性化や沿線振
-
先月はお彼岸でした。ここ数年は、お世話になった方や身内、仲間が亡くなっているので、お彼岸が身近に感じられていました。 お彼岸とは、ご先祖様を敬って、亡くなられた方をしのぶ期間とされてます。子どものころ
-
1990年、大学1年生の時に角川短歌賞を受賞し、来年で35周年となる。学生時代から地球にある「歌枕」を求めて、世界各地を巡りはじめた。 吉野といえば桜など、古来人々の感性のよりどころとなった土地を「歌
-
同級生と、2人きりの教室。誰の計らいか、放課後の小学校は静まり返っている。相手は女の子だった。が、これはロマンチックな話ではない。甘酸っぱい話はここにはない。 同学年は私を含めて「2人」しかいなかった
-
恥ずかしながら7月中旬、卓球の練習中に右手首を骨折してしまった。それでも三角巾で腕をつった状態でパリに向かい、五輪の卓球シングルスを観戦した。観客は皆、足踏みで応援し、椅子が揺れに揺れた。けれども、拍
-
はじめまして。今回から水曜に寄稿させていただく天竜浜名湖鉄道、通称、天浜線の松井と申します。どうぞよろしくお願い致します。 天浜線は、旧国鉄二俣線を引き継ぐ形で1987年に開業した第三セクター鉄道です
-
私の出身は横浜市で、父は愛知県出身です。静岡とは縁がないと思っていましたが、元女子プロレスラーの紅夜叉は同じプロレス団体の後輩で、三島市で居酒屋を営んでいます。団体の旗揚げから一緒だった後輩のハーレ
-
7月から13週にわたって執筆してきた窓辺も今回が最終回となりました。そうそうたる方々が執筆している窓辺を会社社長でも素晴らしい経歴があるわけでもない私が書くことに驚いた方も多いと思いますが、私も同じ気
-
40歳間近の頃、私は、実家のある大阪府岸和田市の市立病院小児科へ請われて異動した。人口約80万人の泉州地域の中核病院の一つで、木曜と日曜の夜、4人の小児科医が交代で当直し、小児の救急外来を担当した。イ
-
リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著「ライフシフト」に、人生100年時代は「教育↓仕事↓引退し余生を楽しむ」という3ステージは崩壊し、転職・起業・学び直し・副業・社会活動な
-
最終回を迎えました。高校3年生の時に静岡新聞に取り上げていただいたご縁を書き出しに、その大半が陸上関連の記述となりました。 陸連専務理事となって1年4カ月、多くの陸上関係の方々にお会いすることができま
-
連載も今回が最後となりました。これまで、浜松のPRばかりと思われたかもしれませんが、ご容赦ください。 初回に記した通り、私は人口減少を地域最大の課題と捉え、地方創生に取り組んでいます。時に、人口減少は
-
1872年創業の弊社は日本酒一筋152年。現在の当主で5代目です。日本酒業界だけで言えば200年以上続いている蔵元もたくさんあり、歴史が長い方ではありません。それでも一企業が150年以上続いているのは
-
医者になり9年目の春、小児科教授のF先生から「次の赴任先は神戸と島田のどちらがよかと?」と聞かれ、私は妻の実家に近い島田の病院を選んだ。20世紀末の当時、小児人口は減少を始めていたが、外来や入院の子ど
-
2024年の都道府県版ジェンダー・ギャップ指数の経済分野で、静岡県は男女の賃金格差や女性社長比率などの要因から47都道府県中42位でした。 もう一つ、驚くべき数字があります。23年の県内休廃業・解散企
-
例えば、オリンピック100メートル決勝で日本人選手が金メダルを獲得する。ジョギングだけでなく、短距離を全力疾走する60代が日本中にたくさんいる。全国各地の運動会にトップアスリートが参加し、日本中の子ど
-
人口減少、特に少子化の進行は静岡県でも深刻な課題となっています。浜松では、10年前は毎年約7千人の赤ちゃんが生まれていましたが、最近は5千人を切るまでに減少しました。「消滅可能性自治体」の議論もありま
-
今でこそ掛川に知り合いも増えて、忙しそうだけど充実してて楽しそうだねと言われる日々ですが、掛川生活が最初から順風満帆だったわけではありません。移住に抵抗はありませんでしたが、地元が遠く、友達は一人もい
-
医者になり7年目の春、恩師のF先生が母校の小児科教授に就任し、呼ばれた。「教授室で後藤君と会うことになるとはな。わしのおった九州の病院で代わりにアレルギー科やってくれんか」。私は静岡から熊本に異動した
-
全国の個性あふれる女性起業家・経営者を表彰する「J300アワード」に地域アンバサダーとして審査に関わって10年がたちます。審査基準がユニークで、経験や実績だけでなく「事業の個性」と「コラボの可能性」を
-
日本陸連では「国際競技力の向上」と「ウェルネス陸上の実現」をミッションとして、2040年にオリンピック入賞の得点合計で順位付けする基準でアジアナンバーワン、世界トップ3になることを、そして陸上競技やラ
-
約1カ月前の8月11日は「山の日」でした。日付や名称の変更を除けば、一番新しい「国民の祝日」です。「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」日ですが、「やま」は時として「森林」を意味することから、「
-
小学5、6年生が1チーム5人で模擬株式会社を設立し、計画、仕入れ、製造、販売、決算、納税までの一連のサイクルを体験するプログラム「ジュニアエコノミーカレッジ」が掛川市で行われています。受講するには志望
-
医師3年目に私は静岡市内の公立病院小児科に赴任した。部長と私、そして卒後1年目の研修医の3人体制になり、私は週3回の外来を任された。 当時は公立の病院も土曜日午前は普通に診療していて、土曜の私の外来に
-
48歳の時、知人に誘われ静岡市での市民マラソン5キロに出たのをきっかけにマラソンを始めました。3回目のフルマラソンでサブ4(4時間切り)を達成でき、タイムには満足。それ以降は旅行を兼ねて年10回ほど全
-
パリパラリンピックの感動が続く日々ですが、来年9月に、いよいよ国立競技場に世界陸上がやってきます。2年ごとに開催される世界陸上は、陸上競技における世界最高峰の大会です。25年の東京大会は20回目の開催
-
夏休みも終わり、もう9月。まだまだ暑い日が続いていますが、秋はすぐそこです。 秋といえば、食欲の秋、スポーツの秋、そして文化・芸術の秋。今年の浜松は、11月に浜松国際ピアノコンクールが6年ぶりに開催さ
-
日本酒の瓶の形で皆さまがイメージされるのは緑や黒、茶色の丸瓶だと思いますが、弊社には緑の角瓶の四合瓶があります。商品でいうと「開運伝波瀬正吉」や「開運大吟醸」「開運しぼりたて」などですが、この瓶を使用
-
医師2年目に私は小児科研修医として京都の大学病院に戻った。小児がんや白血病の子4、5人と心臓、神経、免疫等の難しい病気の子を受け持った。着任してすぐ、骨髄移植後に再発していた白血病のAさんが、感染症で
-
起業した時、広報活動のためにやれることは何でもやりました。効率的なやり方は他にもあったのかもしれませんが、駅地下でチラシ配りもやりました。ある日、静岡県の職員が「どういう人がやっているのか興味があって
-
2022年、日本陸連は日本選手権リレー競技との併催で、誰でも気軽に参加していただけるリレーイベント「みんなでつなごうリレーフェスティバル2022」をスタートさせました。 今年は10月5、6日の2日間、
-
浜松市は全国で16番目の政令指定都市ですが、時々、「地下鉄は走っているんですか?」と聞かれます。これまでの政令市は地下鉄や新交通システムを持つ都市が多かったですが、新興の政令市で人口約80万人規模の浜
-
「悲しみについて800字以内で書きなさい」。制限時間1時間、その場で手書きの小論文試験と集団面接。これが私の大学の入学試験でした。倍率13倍の臨床心理学科。よく受かったなと思います。 私は小中学校時代
-
医師1年目に私が赴任した北九州市の病院の小児科部長F先生は、大学の30年先輩で、川崎病の治療法を開発したことで知られていた。あいさつに行った時、F先生は、じろりとにらんで「エトバス・ノイエス(ドイツ語
-
幸せそうな家庭を築いている友人を見て結婚に焦りを感じる時もありましたが、会社を経営していると、姓が変わる手続きの面倒くささもあり、飲食店経営の彼とは結婚の話をすることなく4年がたった頃でした。 私の還
-
陸上の混成競技をご存じでしょうか。男子は10種目、女子は7種目の「走る・跳ぶ・投げる」の全てを2日間で行い、その記録を得点に換算して合計得点で競います。 陸上十種競技をデカスロンと呼ぶのですが、このデ
-
今年は、元日から能登半島地震が発生し、地震大国・日本を再認識する年となりました。 私は先日、浜松市の対口支援先である石川県珠洲市を訪問し、発災半年の被災地の状況を見てきました。振り返れば、阪神・淡路
-
今年の5月に初めて子供を連れて家族5人で海外出張に行きました。行き先はカナダ。カルガリー、エドモントン、バンクーバーの3都市です。弊社のお酒を輸入してカナダ西部で営業してくださっている会社の代表者の1
-
大学医学部6回生になると、大学病院での臨床実習が始まった。夏休みには、自分で三つの関連病院の診療科を選び、各1、2週間実習に行った。静岡市の小児病院での実習後、友人たちと思いついて、カッパ1枚のみ買っ
-
夏休みの思い出といえば2015年のモンゴルの旅。モンゴルで遊牧民生活を体験できる観光ゲルを経営する日本人の山本千夏さんのアテンドで、馬で移動する旅を経験しました。 初日に「モンゴル国際草原マラソン」が
-
このコラムが掲載されている時にはオリンピックは閉幕していますが、パリ大会は、「GamesWideOpen(広く開かれた大会)」をスローガンとして、その実現の柱の一つに「レガシー(遺産)」を掲げ、社会課
-
立秋が過ぎたとはいえ、まだまだ猛暑が続き、すっかり夏バテ気味といった方も多いのではないでしょうか。 夏バテを防ぐには、栄養や水分を適切に摂[と]る、冷房で体を冷やしすぎないよう適度に運動する、睡眠をし
-
弊社は一般の方の蔵見学は基本的に行っていませんが、見学された方は皆、蔵人(酒造り担当者)が若いことに驚かれます。私もそうでしたが、なんとなく職人という感じのおじさんたちが造っていると一般的にイメージさ
-
私が通った頃は、大学の3回生から医学部で基礎医学の授業が始まった。解剖学実習は4人一組でおひとりのご遺体を担当し、動脈や神経等をくまなく探し見つけ覚える。手先の器用さと解剖図の脳内複写が役に立った。
-
起業は「東京で、自分が悩んだ不眠や腸活改善の分野かな」とあれこれ考え迷走し、いろいろな方にプランを聞いてもらいました。その中のお一人、静岡市女性会館の前館長、谷口年江さんに話したところ「内田さんは地元
-
ある朝、霞ケ丘の国立競技場の敷地でごみ拾いする青年に出会い、いつもやっているのですかと聞いたところ、「昨夜、サッカーの試合があったので」という話です。関係者が清掃しているので量は少ないですが、確かにご
-
夏真っ盛り。このところ花火大会が各地で開催されています。駅周辺などでゆかた姿の方を見かけると、華やかな雰囲気に夏の気分が盛り上がり、「これから花火見物なんだろうな」とうらやましくもなります。 私も時々
-
私は母親歴12年、3人の子の母です。自分が母になり、母親業の大変さと母の偉大さを日々感じています。子供の年齢により大変だと感じることは変化していて、今大変だと感じているのは子供の送迎です。 私の子供は
-
国公立大医学部を目指し、私が受けたマークシート方式の共通一次試験は、正答が判[わか]らなくても周辺知識で誤答選択肢の目星がつけば正解に近づける。自己採点が予想外に良かったので、担任のN先生は「一次の配
-
夏祭りの季節ですね。昔、高校の体育祭の盆踊りで浴衣を着た男子が3割増しに見えたこと、懐かしいです。 私と着物の出会いは、東京に住んでいた40歳過ぎの頃。趣味のない私をアンティーク着物屋に友人が連れ出し
-
日本陸連には次世代アスリートの人材育成支援プログラムがあります。 一つは「DIAMONDATHLETE(ダイヤモンドアスリート)」で、東京オリンピック決定を機にスタートし、10期になっています。競技力
-
「夏も近づく八十八夜」の時期からはだいぶたちましたので、皆さんはもう、今年の新茶を十分堪能されたのではないかと思います。私も、今年はさまざまなイベントで、訪問先で、また自宅でと、おいしいお茶を飲む機会
-
私の両親は60代。祖母も1人健在で、これまで身近な人の死はあまり経験がありませんでした。それが今年は上半期で4人。40代から90代と年代も死因も異なりますが、親しくしていた人の度重なる死は精神的ショッ
-
外科医になる夢をかなえる方法を私が考え始めたのは、中学生の頃だった。 父は名古屋の舞扇職人の家の出で、母の実家は養蚕から酪農に転じた木曽の農家。親族に医者はおらず、医学部に入る必要があることぐらいし
-
能登半島地震から半年たちましたが、復興までに時間がかかっている状況に胸が痛みます。思い出すのが2011年3月11日。就職支援財団の事務局長として静岡駅近くのビル14階で一人で仕事をしていました。振り子
-
パリ2024オリンピック・パラリンピックの開幕が、いよいよ目前に迫りました。今回も日本選手、とりわけ静岡県ゆかりの選手には、素晴らしい成果を残してもらいたいものです。 それにしても、前回の東京2020
-
日本酒の国内消費量は年々減少していますが、海外での認知度や需要は年々拡大し、輸出量も増加しています。弊社は現在26カ国に輸出、売上高の3割が海外です。コロナ禍が明けて海外でのイベントも復活し、海外出張
-
私が育った大阪府岸和田市の町は、丘を切り開いてできた新興住宅地で、森に囲まれ空き地も多かった。田畑とため池を縫って半時間かけて小学校に通った。山野でさまざまな虫を取り、池や水路でザリガニ、カエル、カメ
-
私の職場は日本オリンピックミュージアムと同じビルです。五輪マークやクーベルタン像、嘉納治五郎像、そして1964年東京、1972年札幌、1998年長野の3大会の聖火台など、オリンピックゆかりのモニュメン
-
20代後半で転職した求人情報誌のアルバイトタイムスは当時、人材派遣事業も展開していました。35歳で支店長に任命された横浜支店は、静岡県外初の出店、見込み客ゼロからのスタート。派遣の受注はあるものの人材
-
今、陸上界は、やり投げの北口選手、短距離のサニブラウン選手、走り幅跳びの橋岡選手をはじめ、多くのトップアスリートの活躍で大変盛り上がっています。私は役得で、直接お話しする機会があります。トップアスリー
-
コラム窓辺 暑いまち・寒いまち(中野祐介/浜松市長)
今年は梅雨入りが随分と遅れましたが、梅雨が明ければ、いよいよ夏本番。長期予報では暑さ厳しい夏になりそうです。その夏の暑さ。かつて過ごした東京では、いかにも体に悪い気がしてなりませんでした。それに比べて
-
私が主人の父と初めて会ったのは、主人と出会う1年以上前のお酒の会です。主人の父行きつけの銀座の日本料理店の店主さんが主人の父に「蔵元のお嫁さんにぴったりな子がいる。明日、土井さんが参加するイベントにそ
-
私は幼稚園の時に大阪府南部の岸和田市に引っ越した。近くの幼稚園はどこも満員で入れず、母からひらがなと足し算を習った。小学校にやっと上がると、どこもそうだと思うが、自分たちの岸和田市の地勢や歴史を学ぶ授
-
日本初の女性弁護士で、後に裁判官を務めた三淵嘉子さんをモデルとした朝ドラ「虎に翼」。女性を取り巻く理不尽なことの連続、男女だけでなく多様性の尊重を描いているところも面白く、毎朝楽しみにしています。 主
-
窓辺のお話をうかがった時、静岡新聞との不思議なご縁を感じました。実は1974年の「青春をかける」という静岡新聞のコラムに、私は登場しています。高校3年生の夏、惨敗したインターハイ200メートル直後の、
-
今年、令和6年の県西部地域のビッグイベントと言えば、春の「浜名湖花博2024」と、秋の「第12回浜松国際ピアノコンクール」でしょう。その浜名湖花博2024は、去る6月16日、大盛況のうちに閉幕しました
-
私の地元は島根県浜田市です。大学時代は京都で暮らし、その後東京で就職、結婚を機に掛川に移住して現在、掛川歴14年。掛川のことは何も知らずに越してきました。 掛川で暮らし始めて最初に感動したことは、お正
-
この5月、御殿場市にある神山復生病院の創立135周年式典に出席した。日本最古のハンセン病療養所でもあるこの病院からヒスイ色の復生記念館へと続く緑の小径[こみち]は、永年の癒やしと祈りが感じられ、大好き
-
企業の女性活躍をサポートする会社を起業したのは2012年、アベノミクスの成長戦略の一環として「女性活躍」が注目される少し前でした。ある経営者から「男女平等の社会で、いまさら女性活躍をビジネスにする意
-
今回から3カ月、火曜日を担当します公益財団法人日本陸上競技連盟の田崎です。私は大学に進学するまで沼津の地に育ちました。部活動の先生に恵まれ、仲間との出会いで、多感な少年期に陸上に没頭することができた
-
浜松市長に就任して、はや1年。今回から窓辺を執筆するにあたり、この1年、地方自治の現場で感じたことなどをつづっていきたいと思います。 市長になる前は、総務省(旧自治省)で働き、「個性豊かで活力に満ちた
-
私の女友達は、組織を離れて起業したり、家業を継いだり、フリーで仕事の幅を広げたりしている方が断然多いです。みな元気で行動力があり勉強家。「組織にいる時より大変だけれど自由」と語る場面に、うらやましさを
-
本稿が最後になりました。表題の言葉「矯正は慈愛!気合!間合い!」は数年前、ある少年院長から教えていただきました。当時、少年院長は職員育成の資料として、全国の刑務所・少年院に伝わる「◯◯少年院版処遇の心
-
私が演奏家でいた時代、昭和40~50年代は高度成長期の真っただ中でした。思い起こすと、何といい時代に音楽をしていたものだと感謝しています。平成以降はだんだんと世の中がせちがらくなり、ぎすぎすしてきたよ
-
窓辺のお話をいただき、あっという間に本日が最終の寄稿となりました。何人かの懐かしい方から連絡をいただき、とてもうれしかったです。3カ月間、私の拙い文章にお付き合いをいただき、ありがとうございました。
-
1957年に人類初の人工衛星、61年に有人飛行、69年に人類が月に降り立った。米ソが激しく宇宙競争をしていたのは、自分が生まれた頃のこと。学生の頃にはスペースシャトルが活躍、社会人になった頃に宇宙ス
-
「あなたの言うことは経営の役に立つ」と、20代の私を面白がってくださった法人役員がいました。後の副理事長、故寺田實先生です。他法人から吸収合併した小規模の静岡文化専門学校へ異動した際には、「人さまにい
-
前回は、少年鑑別所の地域援助のうち、「子育て相談」を紹介しました。本稿では学校などで生徒や保護者の集団向けに行う「法教育(出前授業)」について紹介します。 法教育は、青少年も含めて広く市民に法や司法の
-
山田一雄(1912~91年)という日本中のオーケストラから愛された名(迷)指揮者がおられました。私はこのユニークな先生が大好きでした。この先生の数多くあるエピソードから、いくつかをご紹介しましょう。
-
私は沼津北ロータリークラブ(RC)という団体に所属しています。この7月1日から幹事というお役をさせていただきますが、良い意味での緊張感と不安が入り交じっています。理由は、沼津北RCとしては初の女性の幹
-
静岡大学が開発した超小型衛星STARS―Xは、打ち上げを待っている。これまで重さ1~3キロの衛星を開発してきているが、STARS―Xは約60キロ、一辺の長さ約50センチ、われわれにとっては経験ない大き
-
男女雇用機会均等法施行年の初代大卒女子、この肩書と後進への責任を背負って走り始めた20代当時は、こんなに長く働く今の私を想像できませんでした。結婚や出産などで仕事を継続できるかの分かれ道が女性は男性よ
-
まだまだマイナーかもしれませんが、少年鑑別所は、職員が身に付けた健全育成や非行防止のノウハウを、地域の保護者からの子育て相談や学校での法教育などに活用してもらう「地域援助」を展開しています。予約が必要
-
地方文化の啓発に若い時から興味をもっていたので、2015年の長野県伊那文化会館(伊那市)の館長就任に抵抗はありませんでした。伊那盆地は東京都がすっぽり入るほどの面積があり、西に中央アルプス、東に南アル
-
神社巡りが大好きな私は先日、女4人で奈良の山中にある「天河神社」と「玉置神社」に日帰りで行ってきました。朝4時に家を出て、車を走らせ珍道中のなか、やっとの思いで家に着いたのが夜中の1時過ぎでした。その
-
近年、自動運転技術の取り組みが活発で、素晴らしい技術になってきている。すでに実装されている機能もあり、体感できる。安全機能も素晴らしく、ハンドルから手を離すと、握るようにと注意される。が、手放しでも十
-
大学選びの頃、祖母が倒れ半身不随になってしまい、母と妹は当時父の転勤先に居たため、跡取り長女として育った私は、地元の大学に進学することになりました。 祖父と一緒に祖母の介護が始まりましたが、反動のよう
-
昨年6月、SNSである動画が炎上しました。とある駅、男の子がホーム下の線路に侵入し、電車を止めています。すると母親でしょうか、女性がホームから線路に飛び降り、男の子を抱き締めます。ところが男の子は見物
-
札幌交響楽団事務局長時代、忘れられない名指揮者と出会いました。チェコのドボルジャーク協会会長のエリシュカ氏です。 彼との出会いは1枚のCDでした。素晴らしい音楽家と感じた私はすぐ札響音楽監督に呼びたい
-
60歳が近づくにつれ、考えるのは老後は若い人たちにかわいがってもらえるような「かわいいおばあちゃん」になりたい、ということです。 どうしても仕事を一線でやっていると、日々自分との闘いで、いつも交感神経
-
宇宙の移動は不思議な動きをする。地球を周回する衛星は、同じ軌道であれば一定の距離を保って移動する。先行する衛星に追いつこうと加速すると、1周後には遠ざかる。加速すると地球から遠ざかるため、戻るのに時間
-
私の平日は静岡と清水を結ぶ静岡鉄道での出勤から始まります。国道1号線をまたぐ陸橋からは富士山がよく見えます。遅延も運休もほぼなく、各駅も整備が進み快適です。安全安心を守る業務や利用者サービスについては
-
少年鑑別所をはじめとする矯正施設では、逃走、自殺、暴行などの保安事故防止のため、年間計画を立てて、さまざまな訓練や研修を実施しています。特に暴れる人を取り押さえる制圧・手錠使用訓練や心肺蘇生法は、「本
-
2003年、札幌交響楽団に「スワッ解散か」という危機的なことが起こりました。北海道も札幌市も多額の助成金を出し、応援しているはずなのにどうして? その時音楽アドバイザーをしていた友人で指揮者のO氏から
-
私は沼津商工会議所女性会に所属しています。先日は山梨で「関東商工会議所女性会連合会」(通称・関女連)の総会が開催されました。関東地区全域から、それぞれの地域の商工会議所女性会に属する600人以上の女性
-
宇宙エレベーターは地球の赤道上から高度3万6千キロのステーションをつなぐ構想だ。静止軌道と呼ばれ地球から見るといつも同じ位置、そことつなげばエレベーターになるということだ。が、地球近傍には大気がある、
-
学生時代の就職活動では、数社の内定先企業から随分親切にしていただいたのですが、今の学校法人だけ全く異なる対応だったことを懐かしく思い出します。まだ「静岡県自動車学園」という法人名だった頃、当時の人事課
-
やめられない、とまらない―と言ってもスナック菓子の話ではありません。依存症の話です。犯罪臨床では薬物、アルコール、ギャンブル、セックスなどさまざまな物質、行為への依存症者と出会います。 彼らの多くは、
-
日本初のオーケストラ設立は、110年ほど前になるでしょうか。当時外国でも活躍された指揮者は「赤とんぼ」などで有名な山田耕筰先生、近衛秀麿先生、貴志康一さん(28歳で没)が思い起こされます。 近衛秀麿先
-
先日、東京ビッグサイトでビューティーワールドジャパンが開催されました。エステをメインとして、ネイル・ヘアなど美容全般の見本市です。私はかれこれ25年もの間、毎年通っています。 25年前はエステだけでし
-
自動車会社に勤めていた時期がある。品質管理の仕事に関わった。自動車の一般部品は1年、重要部品は3年の保証があり、無償修理になるためユーザーはディーラーに持ち込む。その情報を集めて品質向上を目指すシステ
-
昨年ひょんなことから挑戦した国家資格キャリアコンサルタントの学びの中で、「二つの10万時間」の話が“目からうろこ”でしたのでご紹介します。 20歳から60歳まで1日10時間の拘
-
少年鑑別所には少年用の図書室があります。少年鑑別所の収容期間はおよそ4週間。その間の娯楽、自主学習のためです。当所の蔵書は約2400冊。性別、年齢、学力、知能、流行、国籍などを考慮し、小中高の学習参考
-
オーケストラの事務局長になる前は、20年間コントラバスを演奏していました。弦楽器の中でもひときわ大きく、持ち運びにかなりの労力が必要で、演奏家でなく「音楽労働者」と呼ばれたこともありました。 しかし、
-
40年前の話ですが、私は高校時代に部活動で剣道を習っていました。勉強なんてほとんどしないで、剣道にいそしんでいたわけですが、今の時代では考えられない日々でした。 掛かり稽古の時に、先生にわざと転ばされ
-
宇宙デブリが世界的に問題視されるきっかけは、2009年に米国とロシアの衛星が衝突した事件と思う。われわれが初めて大学衛星を打ち上げた直後のことで、印象深く記憶に残っている。 われわれもこの事件で宇宙デ
-
亡き父は、松下幸之助氏を神様のように慕う企業戦士のような人でした。遅くに帰宅して朝早く出かけるため、幼い頃の平日はあまり会ったことがありませんでした。 そんな父は休みになると、私や妹をあぐらの中に抱い
-
夜道でつまずいたら、左右どちらの手で顔をかばいますか?私の場合はおそらく右手。理由は簡単、右利きだからです。危険な場面ではとっさに利き手が動く。自然なことです。 犯罪を起こす際にも、この「かばい手」の
-
日本のオーケストラの現状をお知らせしましょう。形態は三通りあります。①親方日の丸②自主オーケストラ③地方オーケストラです。 ①はヨーロッパのように行政や公的機関が運営しています。NHK交響楽団もここに
-
先日、私が理事長を務めるNPO法人Woman’sサポートの総会がありました。いよいよ9年目のスタートです。 8年前、女性のなんとなく新しいことを始めたい…何かで起業したい&h
-
あまり勉強すると斬新な発想ができない、と誰かが言っていた。専門分野の知識を身に付けていくと、ついでに常識も身に付き、斬新な発想が妨げられるということだろうか。大学で研究していると、そこに気付かされるこ
-
1学年13クラスもあった中学生時代。所属していた生徒会は千数百人の生徒を動かし、運動会の企画から練習、当日の運営まで全てを仕切る熱量に満ちた会でした。生徒会室は校舎と独立していたため、夜遅くまで作業し
-
朝刊で「愛の流儀」を語る―。こんなことを言うと部下から「殿、ご乱心か?」と心配されそうですが、安心してください。魚の話ですよ。 ゴールデンウイークに沼津港深海水族館を訪れる方、多いのではないでしょうか
-
「大きいことはいいことだ」で一世を風靡[ふうび]し、クラシック音楽界で初めてテレビコマーシャルで稼いだ人が、山本直純さんでした。優秀な作曲家・ピアニストで、過去にはアルバイトで女子体操の床運動の伴奏を
-
フランスのデザイナー、ココ・シャネルを好きだと言うと、ブランドが好きなのかと勘違いされますが、そうではなく、私はシャネルの仕事に対しての考え方や思いがとても好きです。 20世紀前半、男性のデザイナーは
-
ドラマ「不適切にもほどがある」が注目を集めた。最近、昭和と令和を比較するテレビ番組が多い気がする。個人的に違いを感じるのは自動車の進化。昭和の自動車は「機械そのもの」だった。 もちろん電気も必要だが、
-
私の祖父のあだ名は「仏の直さん」。公園の花壇を年中お世話し、車にひかれてしまった野良猫を葬る人でした。飲食店と駄菓子屋を営む祖母はまさに肝っ玉母さんで面倒見が良く、そんな夫婦は何組もの仲人を引き受ける
-
31年前、法務省に就職することを恩師に報告すると、「そういう現場なら…」と第48回アカデミー賞受賞作品「カッコーの巣の上で」を紹介されました。舞台設定は1963年の米オレゴン州立精神科病
-
オーストリアのウィーンに2度留学しました。1度目は27歳の時。外国に行くのは初めてで、不安いっぱいで飛行機内の人になりました。もちろん、現地で世話をしてくれる人たちを確保しての生活でした。若いこともあ
-
先日、久しぶりにお墓の掃除に行ってきました。5年前に亡くなった父は元々肺気腫があり、2カ月に1回、通院していました。ある時、次の病院は一緒に行ってほしいと言われ付いて行くと、病院から肺がんの末期と言わ
-
14日付の窓辺で「浮いて止まれば1時間もかからずに種子島から浜松まで戻れる」と書いたが、自転の方向を考えると戻れずに離れていく。間違いであったため訂正させていただく。 ところで、赤道よりの地上は時速千
-
先日、静岡茶市場の新茶初取引の場に行ってきました。市場開設以来、一番早い日とのことで、活気ある雰囲気を拝見できました。 私は子どもの頃から日本茶が大好きです。祖母からは「お米とお茶はいいものを選びなさ
-
「弱さの情報公開」。何だか気になるフレーズですよね。ましてや、これが「そだねー」「もぐもぐタイム」で人気を博したカーリング女子チーム「ロコ・ソラーレ」の元気印、吉田知那美選手のSNSに掲載された言葉と
-
音楽大学を卒業後、指揮者の朝比奈隆先生率いる大阪フィルハーモニー交響楽団に入団しました。東京の音大卒の私から見て、朝比奈音楽は常に「遅めのテンポ設定」で、東京の音楽界では好まれていませんでした。しかし
-
紫外線は1年を通して出ていますが、4月から10月までは、とても紫外線が強い期間です。その中でも、6月から8月は1年間で特に強く出ています。なぜ紫外線を防止しなくてはいけないのか簡単に言うと、紫外線を浴
-
「3、2、1、リフトオフ!」。ロケット打ち上げ時のアナウンスは、多くの人が感動する瞬間だろう。地表を離れると秒速約8キロまで加速し、数分から数十分後には、人工衛星を地球周回軌道に投入する。これでロケッ
-
「いあんばいです」 ランドセルを背負って走り回っていた頃、近所のおばあさんたちに道で出会うと、決まってかけてくれた言葉です。私も慌てて立ち止まり、「いあんばいです」とおうむ返ししながらペコリと頭を下
-
桜も開花し、駿河湾ではマダイ釣りのシーズン到来です。今年こそは大型マダイに出合いたい。富士山をバックに大型マダイを抱えて「とったどー」と叫びたい。豊饒[ほうじょう]の駿河湾、釣りバカ万歳な季節です。
-
今年は暖冬でしたね。ソメイヨシノは開花が遅れましたが、河津桜は例年より早く満開になったようです。自宅のお隣に河津桜が1本植わっていて、早い時期に満開になりました。河津町にも一度出かけたいと思うのですが
-
ここ数年、起業ブームでさまざまな分野で起業をする人が多いです。特に女性の起業が増えているように感じます。美容、飲食、IT系、占い、投資アドバイザーなど、他にも業種はたくさんあります。 「起業」とは業を
-
人工衛星を作ろう、と思い立ったのは2004年秋のことである。ハワイで行われた日米シンポジウムへ学生を連れて参加した。その1年前に東大、東工大が世界初の超小型人工衛星を学生中心で打ち上げていた。刺激を受
-
私は春が大好きです。卒園や卒業では、成長したりりしい姿に感激する幸福感が、入園・入学や入社では、新しい生活が始まるわくわく感が周囲に満ちあふれている特別な季節だからです。新生活準備の買い物中らしきご家
-
「アンジュールある犬の物語」という絵本をご存じですか。著者はベルギー出身の女性、ガブリエル・バンサン。初版は1986年で私の愛蔵本は2001年第39刷。今も書店で購入可能な超ロングセラーです。この本に
-
東京、札幌、長野県の伊那、静岡と渡り歩いて30年が過ぎました。静岡交響楽団からオファーがあり、着任したのが75歳。それから5年が過ぎ、この地にもすっかりなじんできました。 その間、大きな仕事として組織
-
沼津市我入道で生まれ、10歳の時に我入道を出た私は1人暮らしの祖母と暮らすために、20年前に我入道に戻ってきました。今、祖母は施設に入っていますが、105歳で健在です。 昔は漁師町で祖父も漁師でした。
-
初回なので自己紹介をさせていただく。静岡大学工学部機械工学科に所属し、専門は宇宙工学。研究内容は地上と宇宙ステーションをロープで結んで人や物資を運ぶ「宇宙エレベーター」、ひもを使った宇宙ゴミ掃除ロボッ
-
「約80万人」。昨年の日本の人口減少数です。毎年、浜松市や静岡市に匹敵する街がこの国から消えているとすら言えます。「127万社、650万人」。後継者不足から127万社に廃業の恐れがあり、650万人の雇
-
さくらももこさんの、「静岡市はいいねぇ」は至言です。ところが、戦国時代末期に国ごとの気風を述べた「人国記」という本では、遠州人は決断力にすぐれ、伊豆の人は激情家だというのですが、駿河の人はどうもはっき
-
2019年4月、白血病で妹がこの世を去った。亡くなる1カ月前、これ以上の抗がん剤治療は難しいということで、本人の希望で緩和ケア専門医による在宅医療に変更。寝たきりの状態で退院し、このまま死んじゃうんだ
-
諸行無常という言葉がありますが、全てのものが移り変わっていくことは、さまざまな歴史に加え、四季や異常気象などの自然も教えてくれます。 現実の経済では、人の欲は無限かつ多様で変化もします。社会課題も次々
-
そろそろ桜の便りが届きそうですね。皆さんは今から約110年前に世界情勢を案じ、私費を投じて桜の苗木を米ワシントンに贈った人をご存じですか? その人は北陸出身の化学者高峰譲吉博士。しかも全国から集めた桜
-
いよいよ皆さまの最大の疑問「なぜ静岡なのか」「なぜプロ野球なのか」にお答えしたいと思います。 前回も述べた通り、新球団は厳しい運命を背負った「雑草球団」です。「そこまでして野球がやりたかったんですね」
-
子どもの頃の思い出。初夏になると勝手口から「来たよう」という大きな声が聞こえてきました。相良から馴染[なじ]みのおばさんが海藻のアラメを売りにやってきたのです。その晩のおかずは、季節感たっぷりのタケノ
-
私は最低限の愛嬌[あいきょう]は持ち合わせていると思うが、決して愛嬌力が高い方ではない。また尻尾を振ってこなかったので、ぬいぐるみにあるような真ん丸の尻尾がちょんとついているだけで、尻尾が伸びることが
-
その日は突然やってきた。2010年6月の朝、母のパート先からの連絡を受け、実家へ電話をすると数十回のコールの後つながった。聞こえたのは、カタカタという音だけ。実家へ車を飛ばした。 玄関の扉を開けると、
-
以前、テレビドラマ「北の国から」の脚本を手がけた倉本聰さんから、「実は最初、南伊豆でロケ地を探してたんだよ」と聞いて驚いたことがあります。「『南の国から』になってたの!?」と大騒ぎ。でも南伊豆には実際
-
球団の持つ価値観について。これまで述べた通り、新球団は厳しい運命を背負った球団です。セまたはパ・リーグの華やかさはありません。選手は「ドラフトに漏れた」か「戦力構想から外れた」か「埋もれた外国籍」のみ
-
3月17日の夜、焼津市藤守の大井八幡宮では、数百年も続いている田遊びが行われます。田遊びとは、稲作を中心とする1年間の農作業を模擬的に演じることで、その年の豊作を祈る芸能です。演目の一つ、猿田楽[さる
-
元日に発生した能登半島地震から2カ月が経過した。被災地で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆さまにはお見舞いを申し上げたい。 実は1月2日に富山県の船でしか行けない「大牧温泉旅館」
-
広大な伊豆半島を土肥桜、河津桜、熱海桜が春色に染めたが、わが家の食卓も、静岡のミカン、イチゴと緑茶で彩られている。農業の恵みだ。 農業といえば、子供の頃に母の実家で経験した稲刈りにさかのぼる。伯父の衣
-
昨年、母の介護の日々をつづった本を出版すると同時に、楽曲「Mama」とその映像も配信しました。 10年ほど前、「ザ・フォーク・クルセダーズ」の北山修さんより「僕の歌を歌い継いで」とうれしい依頼をいただ
-
新球団はドラフト指名による選手獲得ができません。よって①ドラフトに漏れた選手②既存球団にて戦力構想から外れた選手③埋もれた外国籍選手―を獲得してチームを構成します。つまり、なお夢を追いかけたい選手が
-
静岡市の北にそびえる標高約千メートルの竜爪山。急に日が陰ってきても、「頂上が見えているから降らないよ」と言ったものです。竜爪という山名は、雨が上がったあと、山頂に竜の爪が残っていたことによると伝えられ
-
2月に仕事の一環で東日本大震災の被災地を訪問する機会を得た。他県での復興の様子を見学させていただいたことはあるが、今回は福島第1原子力発電所に入っての視察のほか、福島県浪江町にある震災遺構の請戸小学校
-
カーラジオから卒業ソングが流れてくる季節になった。雪化粧の富士山が日本人の心のよりどころだからか、駿河湾の水平線の向こうに未来を感じるからか、卒業ソングは静岡のドライブに良く似合う。 卒業ソングは、生
-
この時期、澄み渡った空に雄大な富士山の雪景色は最高ですね。私はこの景色を見ると、2年前、89歳で他界した母(光子)との日々がよみがえります。 「ママ、今日は富士山すっごくキレイ!見に行こっ!」 車椅子
-
いよいよ、われらが「くふうハヤテベンチャーズ静岡」のプレーボールです。先週には初の対外試合を開催しました。これを皮切りに球団はオープン戦、公式戦、フェニックス・リーグと年末まで約170試合という過酷
-
静岡県を代表する歌といえば「ちゃっきり節」。昔からの民謡と思われがちですが、じつは昭和2(1927)年に静岡電鉄が開設した遊園地のPRソングです。作詞を依頼された北原白秋は、次郎長や名所、伝説などをた
-
今回、アサヒユウアスの社長としてご紹介いただいているが、実はもうひとつ、アサヒグループの国内事業におけるサステナビリティ推進部門の長を拝命している。3年前にこの分野への異動を命じられた時には、「ごみの
-
先日、7月より静岡で劇団四季のミュージカル「キャッツ」の公演が決定という報道があり、私も劇団四季の公演によく足を運んでいたため目に留まった。 静岡では、静岡県舞台芸術センター(SPAC)の公演を鑑賞さ
-
2012年、沼津市立浮島中学校の「浮島のうた」の作曲を担当しました。静岡市出身の歌人田中章義さんによる授業で子どもたちが詠んだ短歌を田中さんが編集した詩に、メロディーを付けました。 湧き水が豊かにあ
-
新しい冒険をしたからこその気付き・学び・出会い。これこそが冒険に対するご褒美だと日々感じます。これは野球に限ったお話ではありません。 静岡を代表する経営者の個室には数千冊の書籍が詰め込まれていました。
-
大学の4年間、ワンダーフォーゲル部に属していました。通称ワンゲルは、渡り鳥になぞらえたドイツの青少年活動が始まりです。そんな、さすらいの旅にあこがれたのです。当時は、知らない土地の知らない家でも「東京
-
このままでは地球が2個必要になる、と今や小学生でも知っているSDGs(持続可能な開発目標)。環境問題や社会問題は国が解決する、という時代は終わり、地方自治体も企業も学校も住民もみんなで取り組みましょう
-
山梨県のラジオ局FMFUJIで「しずおか日和」という番組がある。かつて静岡のラジオ局のアナウンサーだった東城佑香さんが、グルメ、イベント、歴史などの静岡県の魅力を毎週紹介している。他県の魅力を発信する
-
河津桜が咲き、だんだんと春へ。でも花粉症の方には苦しい季節ですね。実は私も20年ほど前はものすごい花粉症で、1日にティッシュ1箱がなくなるくらい涙も鼻水も止まらず、目は赤く腫れ上がりひどい状況でした。
-
いま、皆さんは上司と新年会の席につきました。1杯目から焼酎をやりたいところ、上司から順に「とりあえずビール」「ビール」「ビール」と自分の番がきました。さて、「私は焼酎で。メニューはありますか?」と流れ
-
金の価格が上昇中。1グラムで1万円を超えました。10年前の倍なのですから、買っておけばよかったなあ、と悔しがっても間に合いません。 今から500年ほど前の今川氏全盛期、安倍川源流部の梅ケ島金山は好景気
-
40代後半、ゴルフに夢中になった。週に1度レッスンに通い、月に1~2回はラウンド。「あー今日も100を切れなかった」が長いこと続いたある日、するっと100が切れた。 毎回90台が出るかと思いきや、そう
-
昨秋から、私のスマホに、金融機関、宅配業者、カード会社などを装った不審なメールが頻繁に送信されてくる。これらは、「不審な取引の検出」、「解約予告」などといった言葉で受信者の不安を巧妙にあおり、IDやパ
-
静岡の皆さんは、生ごみ処理装置「キエーロ」をご存じですか? 2011年の春、エコ仲間から「白井さん、一緒に陸前高田に行きませんか?生ごみをゼロにする箱を被災地の皆さんと一緒に作るんです」と連絡がありま