
活動“休暇”宣言から約8年。あくまでも“休暇”という彼らの言葉を信じていたファンにとって、待ち焦がれていた瞬間がようやくやってきた。ソロ・プロジェクトであるMellowhead、そして元PEALOUTの近藤智洋らと共に活動するGHEEEでもその才能を遺憾無く発揮してきた深沼元昭が、ついにPLAGUESを再始動させたのだ。欧米のロック・バンドを参照にしつつも自分達の視点から解釈を加え、独自のサウンドを形成したという意味では、PLAGUESは90年代という時代を切り取ったバンドである。だが今回リリースされる全曲新録のベスト・アルバム『OUR RUSTY WAGON』で改めて彼らのサウンドに触れると、むしろその楽曲が時代性に捕らわれずタイムレスな魅力を放っていることの方に胸が震える。90年代を猛スピードで駆け抜けた不出世のロックンロール・バンドは、2010年に蘇った今も変わらず最高にスリリングだ。
インタビュー&文 : 渡辺裕也
PLAGUES再始動! 全曲新録のベスト・アルバムを24bit/48kHzの高音質HQDで配信開始!!
PLAGUES / OUR RUSTY WAGON
90年代を唯一無二のR&Rで駆け抜けたPLAGUESが2010年に突如、自らその軌跡を辿り直す! 彼らの全キャリアから選ばれた代表曲を、深沼元昭と後藤敏昭の2人に加え、ベースに林幸治 (from TRICERATOPS)、Keyboardsに堀江博久を迎えた4人で全曲新たにリテイクし、さらに新曲2曲も収録。あらゆる世代を震撼させるマスター・ピースを完成させた。ジャケット・デザインは高桑圭(Curly Giraffe)が手がけるなど、とにかく話題に事欠かない本作。もちろんそのクオリティには一切のスキなし!
【Track List】
1. ヴィルヌーヴに憧れて / 2. ニューホライズン / 3. プルメリア・レイ / 4. ライド・ライド・ライド / 5. ワンダー・ワンダー / 6. スピン / 7. ブルーズ・フロム・ザ・バスルーム / 8. 最後のハイウェイの夢 / 9. シトロエン幻想 / 10. ファントム・ガルシア 最後のレース / 11. ハイビスカス / 12. すれちがうだけ / 13. リアル・シング / 14. どうしようもない世界、寛容な僕ら / 15. スープ・アップ・バグ / 16. 凱旋門 / 17. ハッピー・プレイス / 18. フローズン・ビーチ / 19. シルバー・チップス / 20. グッド・ムーン・ライジング / 21. 音速の箱庭 / 22. ヘイ・ミスター・ドリーマー / 23. トゥモロウズ・ソロウ / 24. 1000マイルの彼方で / 25. グライダー / 26. まっぷたつの僕 / 27. カリフォルニア・ソロウ・キング / 28. トランキライザー・ガン / 29. ワンダリン / 30. 錆びたワゴンは旅路の果てに
アルバム購入特典としてCDと同内容の全32ページにも及ぶデジタル・ブックレットをプレゼント!
音楽評論家・今井智子氏による、深沼&後藤の最新インタビューを混じえてPLAGUESの歩みを振り返る超ロング・ライナーノーツ、及び、決定版PLAGUES完全年表を掲載。
INTERVIEW
——PLAGUESを結成される前はどのような音楽活動をされていたんですか?
深沼元昭(以下深沼) : 高校生の頃はいろんなバンドに参加して、なんでもやってましたね。ハードコアも歌謡曲も。で、田舎から出てきて最初の1年は、まさに大学生って感じでした。もうモラトリアム全開で(笑)。だからその頃はまったくバンドはやってなかったんですけど、やっぱりバンドがやりたくて東京に出てきたっていうのもあったんです。でも付き合う友達も変わったから、「どうやってここからバンド始めよう?」と思ってはいましたね。軽音とかに入るのも性に合わないし。
——そこからどういう経緯でPLAGUES結成に至ったんですか?
深沼 : 上京してきた地元の先輩に誘われてバンド活動を始めたんですけど、それはサイコビリーのイベントとかに出るような、けっこうディープなバンドだったんですよね(笑)。そういうのをやりつつ、ベースの岡本と知り合ったんです。彼は地元が厚木なんですけど、その厚木で集まってる仲間の雰囲気が好きで、よく遊びに行ってたんです。で、ドラムの後藤はその岡本の地元の後輩で。ちょうど3人でパートも揃ったから、そのうち「ライヴでもやろう」なんて話すようになっていったんですけど、リハーサルをやる時も、やっぱりその後に遊ぶ方がメインだったんですよね。ライヴも最初の頃は横浜のセブンス・アベニューでしかやってなかったんだけど、岡本の友達がブッキングをやってくれてて、今思えばすごい対バンばっかりだったんですよ。ウルフルズとか。でも僕らは完全に神奈川のローカル・バンドでしたね。当時は海外のバンドがたくさん来日してて、よくその前座を募集していたので、それで僕らもそのオーディションを受け始めたんです。最初に受けたオーディションでは結局選ばれなかったんですけど、その時に観てくれたイベンターさんがいて、Mega City Fourっていうバンドが来日した時に前座をやらせてもらえることになって、それから何度かそういう機会をもらえるようになっていったんです。Atomic Swingっていうスウェーデンのバンドが来た時は、自分からイベンターさんにやらせてもらえるようにお願いして、一緒に日本全国を回ったりしましたね。そういうのを経て、ようやく東京でもライヴをやるようになりました。で、その当時受けていたオーディションはクアトロ・レーベルが絡んでたものだったんですけど、そうやって海外バンドの前座をやっていくうちに、リリースの話が出てきて、最初のインディー盤をそこから出しました。
——当時の海外の動きはよくチェックされてたんですか?
深沼 : 大学生の時は回りに音楽に詳しい先輩達がたくさんいたから、新しいものも聴いたし、当時のシーンみたいなものにも興味を持ってましたね。アナログもたくさん買ってた。でもPLAGUESを始めた頃は60年代、70年代の音楽に惹かれるようになって、そういうのばっかり買い漁ってました。
——PLAGUESのロール・モデルになったバンドはあるんですか?
深沼 : はっきりとしたものはないですけど、その60年代とか70年代の音楽の中から現代に必要な部分だけを引き抜いていたというか。長いソロとかそういうのは省いて(笑)、今のサウンドに翻訳してやっていました。そういうバンドが当時は他にもたくさんいたから、同時代性みたいなものも感じていましたね。Five Thirtyとか、さっき話したAtomic Swingとかもそう。

——今回のベストはどのような思いから全曲新たに録り直すことにしたのでしょうか?
深沼 : PLAGUESがインディからメジャーに行った90年代前半から中盤は、ちょうどアナログからデジタルに移行し始めて、録音フォーマットが不安定な時期でもあったんです。アナログ・テープからテープ式デジタルになって、そのあとコンピュータ・ベースになっていくっていう過程の中で、当時のエンジニアの人も大変だったと思うんですよね。メディアもどんどん変わっていくし、どれもまだ癖が強いものばかりだったから。今はいい意味で無色透明にそのままの音を記録出来るようになったけど、当時録ったものはやっぱりデジタルの癖がすごく強いんですよね。時代性とかもあるから一概に悪いとは言えないけど、それでもやっぱり手放しで気に入っているものはひとつもなかった。「なんでこんなによくならないの?」っていつも思ってましたね。今思えばもう少し人任せにしてしまえばよかったとも思うんですけど、「もっとこうしてほしい」ということを散々言ってました。当時はそうやって言葉で伝えることしかできなかったから、自分がエンジニアとしてもう一度録り直したかったんです。
——一方で楽曲のアレンジなどにはほぼ手を加えていないですね。
深沼 : そこに関しては、そんなに不満もないんです。あえてあるとすれば、当時の演奏とか歌に、それほど若さが感じられないところかな(笑)。ちゃんと突っ込まれないような演奏になっているというか、思い切りが足りないところはあったかもしれない。もっと衝動的にやっていてもよかったとは思うかな。あとはレコーディングというものに対する考え方が当時と今では変わってきているから。僕は小学生の頃から、いとこの影響でMTRを使って遊んでいたんです。だから、自分で自分の音を録るっていうのが昔から好きだったんです。Pro Toolsを手に入れて、プロデュース業もやっていくうちに、自分でもだいたいプロのエンジニアと同じことが出来るようになってきて、それで自分で自分のバンドの音を録れるようになってから、音楽を作るという作業がやっと自分の手元に戻ってきたような感覚があったんですよね。人にお願いしなくても、聴かせたい形を自分で選択して最後まで出来るようになったんだから。
——録音っていう作業そのものに愛情があるんですね。
深沼 : そうそう。技術的に高いものかどうかは別として、イメージに近づけるかどうかが大事だし、もし近づけないとしても、自分でやったものなら納得も出来る。僕はミュージシャンとしては、録って聴かせるところまで作るのが好きっていうタイプなんですよね。ギターを弾きながら歌うことで全てを出し切るっていうタイプではなかった。PLAGUESも、元々は3ピースでやるつもりではなかったんですけど、暫定的に僕が歌うようになって、そのままデビューすることになったんです。PLAGUESの楽曲ってほとんどリフが中心になってるから、それを弾きながら歌うっていうのが最初はまったく出来なくて。なのに回りの状況は大きくなっていって、FMで自分達の同録のライヴが放送されたりするのが、最初はすごくストレスに感じていましたね。ライヴ録音を聴く度にガックリきてました(笑)
——PLAGUESは2002年に活動“休暇”宣言をしましたが、なぜ当時休暇を必要としていたのでしょうか?
深沼 : 『plagues V』っていうアルバムを作っている時に、岡本がいつも通りスタジオまで来て、「俺辞めるわ」って言ってそのまま帰っちゃったんです。で、こっちはもうポカーンとしちゃって(笑)。
——ショッキングですね。
深沼 : いや、ショックっていう感じではなかったかな。特に前触れはなかったんだけど、とにかく彼は自然児なので、風向きひとつでどうなるかわからないようなところはあったから。3枚目以降そこそこセールスも上がってきて、日比谷野音でワンマンやったり、テレビにたまに出たり、取材をたくさん受けていた時の彼を見ていると、仕事としてはこの辺りまでで十分だと感じていたのはよくわかっていたし。
——そこでいったん活動のスピードを緩めようとは思わなかったんですか?
深沼 : それこそアルバムのリリースも決まっていたし、後には引けない状況でしたからね。自分としてはやりたいこともたくさんあったし。そのあとで深田恭子さんにシングル曲を提供してからは仕事の依頼もたくさんもらえるようになったんです。プロデュースだったり、人に曲を書いたりすることは元々興味があったから、依頼をもらった仕事は全部やっていましたね。同じく後藤もいろんな活動を始めていたから。そんな中でPLAGUESの活動が一段落した時、この辺りで少し休んだ方がいいなと思ったんです。無理やり続けることも出来たんですけど、それもPLAGUESらしくないなと思って。だからと言って解散する必要もないし、このまましつこくやるより気が向いた時にまたやればいいっていう風に思えたんですよね。最後のライヴがタワー・レコードの地下でやった招待ライヴだったんです。購入者特典とかのやつ。さすがにこれが最後になるとは思ってなかったんだけどね(笑)。
——その“休暇”期間中も後藤さんとのやりとりは続いていたのですか?
深沼 : たまにお互いのライヴを観に行ったりはしていたので、PLAGUESをやろうって話になった時もそれほど久しぶりっていう感じはなかったんですけど、さすがにこの前ライヴをやった時は「あ、確かにこんな感じだったな」っていう実感がありましたね。ただ、リハーサルをやった時は、拍子抜けするくらいブランクを感じなかったんです。今回はベースを弾いてくれた(TRICERATOPSの)林幸治君とリハーサルをやる前に、まず後藤と二人でやってみたんです。そうしたら岡本が抜けてから二人でやっていた当時と同じ感覚だったんです。

——再開させるきっかけになった出来事はあったのですか?
深沼 : 僕個人で言えば、去年佐野元春さんのツアーに1ヶ月半くらい同行して、そのあと浅井健一さんのツアーにも3ヶ月くらい参加させてもらったんですけど、こうやって長いツアーを一緒に回らせもらっていろんな街に行くと、今更な話ですけど、こんな風にライヴをやっていくのはやっぱり楽しいなと思ったんですよね。ソロのライヴでもPLAGUESの曲をアンコールで演奏したりすることはあったんですけど、単純に今これをバンドでやったらどうなるんだろうっていう興味も少しずつ湧いてきてはいました。PLAGUESの曲は、自分が当時やりたいことをとにかくなんでも詰め込んで作ったものだから、演奏も大変な曲が多かったんです。ソロでやるようになってからは、やっぱりいろいろと考え抜いて作るようになったし、ある程度破綻がなくライヴでも演奏できるんですけど、PLAGUESの曲はかなり無理があるものがたくさんあったから、それを今演奏したらどうなるのかなっていう興味はありました。
——歌詞、言葉に関してはどうでしたか?
深沼 : その辺は自分の芸風があまり変わっていないから、あまり違和感はなかったですね。それがいいのか悪いのかわからないんだけど。40歳くらいになると恥ずかしくて歌えなくなるような曲を書いてもよかったのにね(笑)。音楽性に関しても、今演奏してみてこんなに違和感がないのもどうかと思う(笑)。でも、そういうバンドだったってことなんでしょうね。時代の流れにあまり関係がなかったというか。
——現在、深沼さんはソロ・プロジェクトであるMellowhead、そしてGHEEEというバンドでも活動を続けていますが、そうした中で、PLAGUESに対する深沼さんの中での位置付けも以前とは別のものになったのでしょうか?
深沼 : 当時はそれがすべてだったから。PLAGUESという受け皿に俺個人のやりたいことを全部注ぎ込んでいたし、ついいろんなことをやりたくなってしまうから、バンドに必要ないものも持ち込んでいたところもあったと思う。そういう意味ではPLAGUESというバンドに対して、今になってようやく落ち着いて付き合えるようになったのかもしれませんね。MellowheadにしてもGHEEEにしても、自分のやりたいことをやっているんですけど、今回またPLAGUESを始めてみて、実はPLAGUESのための枠は自分の中でちゃんと取っておいたんだなと感じましたね。今回も2曲新しい曲を入れたんですけど、これもサクッと出来たんですよね。どちらも昔思いついてうろ覚えだったリフを膨らませて作ったんです。
——PLAGUESもMellowheadもGHEEEも、深沼さんのアウトプットの受け皿として並列にある感じなんですね。
深沼 : そうですね。今回はみんながPLAGUESに抱いている思い入れのようなものも大事にしたかったし、極力当時のものを忠実に再現するようにしました。例えば「ライド・ライド・ライド」のイントロのチョーキングの具合とか、音色ひとつにしても、オリジナル盤とそっくりのテイストになってると思う。それって他のミュージシャンからすると、今の状態だから出来る演奏を聴かせたくなるものだと思うんだけど、俺は当時のものをどこまでも忠実に再現したかったんです。
——『OUR RUSTY WAGON』というタイトルは、メジャー1stの『シナモン・ホテル』に収録されていた「錆びたワゴンは旅路の果てに」からとったものですよね。この言葉を今回タイトルに選んだのはなぜなのでしょうか?
深沼 : その曲は最後の方で”We were here!”と歌っているんです。PLAGUESっていうバンドが90年代に存在していたということを、ここでもう一度知らせたかったのと、途中休憩は挟みましたけど(笑)、長い時間走り続けて、錆だらけにはなっているけど今もここに存在しているっていうことを見せたかった。だから全曲録り直して、最後にその「錆びたワゴンは旅路の果てに」を入れたんです。
——その曲がメジャー・デビュー作に収録されていたっていうのが、PLAGUESらしいですよね。
深沼 : 面白いですよね(笑)。PLAGUESの歌詞って、ストーリーの雰囲気がいつも似ているんですよね。切り口を変えて別の登場人物に置き換えながらいろんなお話を作っているというか。例えば映画だと、一番いいシーンが終わってエンドロールが流れるじゃないですか。でも現実ではそのあともストーリーは続いていくし、どんな感動的なエンディングを観たあとでも、腹は減るし、日常は続いていく。だからこそ自分達の日常は面白いと思うんです。「錆びたワゴンは旅路の果てに」も、そういうエンドロールのあとみたいな世界がモチーフになっている曲なんです。自分の書く歌詞の世界って、そこまで大きく変わっていないんです。今回はただDJ的な感覚で曲を並べてみただけのつもりなんですけど、こうしてまたPLAGUESを始めたことで、知らず知らずのうちにその世界を守ろうとしていたのかもしれませんね。もしかするとPLAGUESが書かせている歌詞っていうのがあるのかもしれない。このバンドは僕の思い通りにならないところがいいところでもあるから。Mellowheadはソロだから僕の思い通りになって当然だけど、PLAGUESはやってみないとどうなるか本当にわからないんです。だからこれからのことははっきりと決めていないです。バンドの意思でしか動けないバンドに自分が関われるっていうのが、とても楽しいんです。
深沼元昭主宰LAVAFLOW RECORDSの新たな才能を高音質HQDで!
acari / プリズム (HQD Ver.)
三浦コウジの独特で繊細な歌声と切ないメロディー、60'sソフトロックやUSオルタナティブを消化したサウンドは、センチメンタルながら激しく包み込まれる独自の世界。フジファブリックや小沢健二、海外ならベル&セバスチャン等を彷彿させる、超グッド・メロディを奏でる5人組、acari。6月23日にリリースしたアルバム『プリズム』を24bit/48kHzの高音質HQD音源で配信! プロデュースに片寄明人(Great 3)を迎え、ミックスは深沼が担当するという黄金コンビによる本作。その1曲目の「ほおずき弾けたら」を聞けば、クールな深沼でさえ、彼らに夢中になるのがわかる素晴らしいメロディ。
wheellz / 20 (HQD Ver.)
平均年齢23歳の3ピース・ギター・ロック・バンド、wheellzの1stフル・アルバム『20-twenty』も高音質HQDで配信中! 60年代UKから90年代オルタナまでを消化したサウンド、狂気を内包したメロディアスな楽曲と、カリスマ性を備えたボーカルが圧倒的な存在感を放つ。バックの轟音に消されることなく聞こえてくるメロディが素晴らしい。演奏の荒さが、初期衝動と重なって素直に響いてくる。初期のピロウズって、確かこんなだった気がするし、海外ならスーパーグラスあたりを彷彿とさせる。本作はプロデュースもミックスも深沼が担当。ほっとけば飛び散ってしまいそうな剥き出しのサウンドをまとめあげた深沼のミックス・ワークが冴える。
LIVE INFORMATION
PLAGUES ONE-MAN LIVE TOUR 2010 “TOURS FOR FELLOWS”
- 2010/09/10(金)@名古屋クラブクアトロ
- 2010/09/11(土)@心斎橋クラブクアトロ
- 2010/09/12(日)@福岡スパイラルファクトリー
- 2010/09/18(土)@仙台MA.CA.NA
- 2010/09/20(月・祝)@渋谷クラブクアトロ
PROFILE
深沼元昭(Vo.&G.)、岡本達也(B.)、後藤敏昭(Dr.)の3人によって結成された3ピース・バンド。1994年のメジャー・デビュー後、新世代ロックの旗手として、主に音楽専門誌や外資系レコード店の高い評価と音楽ファンの熱い支持を得て、7枚のオリジナル・アルバムをリリースするも、2002年3月、活動“休暇”を宣言する。2010年5月22日、突如9年ぶりとなるライヴを渋谷Milkywayで実施、発売後3分でチケットが完売する等、待望の復活を果たす。