イーロンがカナダに行きたがったワケ

人生は予想がつかず、驚きに満ちている。ときには賭けに出て、大きな変化を起こすことも必要。

41歳のとき、ヨハネスブルグでの栄養士の仕事は順調で、快適な家も持っていた。ついに、安心を手に入れたと思っていた。

そんななか、イーロンがカナダへ行きたがった。コンピュータへの興味を追求するには、北米がふさわしいと感じていたのだ。イーロンはわたしに市民権の回復を申請してほしいと言ってきた。そうすれば、3人の子どもたち全員が市民権を得られるからだ。

トスカもカナダのほうが楽しそうだと考え、イーロンに賛成した。トスカは13歳のとき、カナダへ移住することを考えて、アリアンス・フランセーズでフランス語を学びたがった。何かの本でフランス語はカナダの第二公用語だと知ったからだ。

イーロンが進学したクイーンズ大学
イーロンが進学したクイーンズ大学
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わたしもフランス語の授業を受けていた。フランス語は高校まで勉強していたので、上級クラス。アリアンス・フランセーズではクラスごとに出し物を披露することになっており、ある日、クラスメートたちが言った。「オペラ歌手がいるわね」。でも、誰にもそんな才能はない。

わたしは言った。「娘ならできるわ!」

「でも、娘さんは初級クラスでしょ。フランス語が話せないじゃない」

「なんとかなるわよ」

オペラ用の金色のドレスを借りると、トスカはフランス語で演技した。まだ若く、フランス語もほとんど話せなかったけれど、この難題に挑戦して、みごとに演じてみせた。

しかも、誰もトスカだとは気づかなかった! 歌手を雇うなんてずるいと言う人までいた。それがまだ13歳のトスカだったとあとから知って、驚いていた。

それでもトスカはフランス語が堪能でないことを不安に思っていた。南アフリカでは、アフリカーンス語の試験に合格しないと落第する。カナダへの移住が決まって現地に着いたときにフランス語が話せなかったら落第する、と信じ込んでいたのだ。