
小さなガレージで生まれたパソコンメーカーのアップルを世界的ブランドに育てたスティーブ・ジョブズ。1985年に社内対立で退職したあとNeXTやピクサーを成功に導き、1997年にアップルへ戻るとiMac、iPod、iPhoneなど革新的な製品を次々と世に送り出した。本連載では『アップルはジョブズの「いたずら」から始まった』(井口耕二著/日経BP 日本経済新聞出版)から内容の一部を抜粋・再編集し、周囲も驚く強烈な個性と奇抜な発想、揺るぎない情熱で世界を変えていったイノベーターの実像に迫る。
今回は、アップルに復帰したジョブズがiPodやiPhoneを連続してヒットさせ、時価総額でマイクロソフトを大逆転するまでの過程を紹介する。
奇跡の大逆転を演じたアップル
時価総額20倍のマイクロソフトを追い抜く

2000年前後、マイクロソフトはパーソナルコンピューターの世界に君臨する王だった。対してアップルは、スティーブ・ジョブズが復帰した1997年ごろにはいつ倒産してもおかしくないほど低迷していた。
だから、ジョブズは、宿敵マイクロソフトに提携と投資を持ちかけた。マイクロソフトの支援なしにアップルが生きのびることはできなかったからだ。
それが2010年5月には時価総額でアップルがマイクロソフトを上回った。10年あまりの間に、なにが起きたのだろうか。
■ iPodの対抗製品が大失敗
アップル復帰後のジョブズはヒットを連発していて、そのすべてが逆転に寄与したのはまちがいない。ただ、最初のきっかけはiPodだろう。ビル・ゲイツをして「これはすごい…Macintosh専用なのかい?」と言わしめた製品だ。
続けて、iTunesストアで音楽業界を根本から変える。大手音楽会社を1社ずつ口説き落とし、20万曲もの楽曲をダウンロード購入できるようにしたのだ。
このときは、マイクロソフト役員が「やられた」「我々が本当にやられるのは、アップルがコレをウィンドウズに持ってきたときだろう(持ってこない失敗はしないだろう)」と大騒ぎする事態になった。
自分たちも似たものを提供しなければならない、もっと上手にできると証明しなければならないとマイクロソフトもがんばるのだが、その結果生まれたのは、2006年のZuneだ。iPodに似ているが不細工で使いづらく、結局、5%も市場シェアを獲得できずに消えてしまう。