祖父が死んだ。
桜の花びらが、まるで嘲笑うように舞い散る美しい日であった。
祖父という男は、この世の快楽のみを追い求めた者であった。酒、女、博打——それが彼の生の全てであり、彼はそれらに身を捧げ尽くしたのである。
かつて家族が語るところによれば、彼は祖母に跪いて結婚を懇願したというのに、契りを結んだ後は、彼女に対する責務など微塵も顧みることはなかった。これぞ男の本質の露呈というものか。
仕事というものに身を捧げることができず、すぐに投げ出してしまう。祖母の血と汗で得た金銭を湯水のごとく使い、酒に溺れ、馬券と煙草に金を注ぎ込む。
顔立ちだけは整っていたというから(古びた写真には、伊勢谷友介によく似た端正な顔が写っていた)、女性を魅了するのも無理からぬことか。いくつもの不実を重ねたという。
ああ、何と無様な男であろうか。まさに腐敗の権化であった。
多くの苦難を背負い込んだ祖母は、若くして黄泉の国へと旅立ってしまった。祖母は「あの人には長生きするように伝えてくれ」と言い残した。
愛情の名残かと思いきや、「天国を一人でできるだけ長く楽しみたいの。もうあんな人の世話など、したくないわ」と続けた。
祖母の死を前にして悲しみに暮れるはずなのに、その言葉に不謹慎にも笑いを抑えることができなかった。人の心とは、かくも複雑なものである。
祖母の願望通り、祖父はその後二十五年もの間、この世に留まり続けた。
幾度か死の淵をさまよいながらも、奇跡的に生還を繰り返した。きっと祖母が「こちらへ来るな」と拒絶したのであろう。
(その二十五年間の醜悪なる行状を語れば際限がないため、ここに筆を留める)
ついに祖父は逝った。ほとんど苦悶することなく、あっけなく。これほどまでに他者に迷惑をかけ続けた男が、何故かくも美しく死を迎えられるのか。世の中の理不尽さに、私は暗澹たる思いを抱く。
祖父の葬儀は、笑いに包まれていた。「もう十分に生きたろう」と、誰一人として涙を見せることはなかった。
棺の中に紛れ込んだパック酒を見つけた時の、あのしっくりとした光景に、不謹慎にも笑いが漏れた。誰かが「ああ、馬券を持ってきてやれば良かったな」と呟けば、また笑いが起こる。
「冥銭を『一杯やろうか』『高松宮記念杯があるじゃないか』と、三途の川の前で散財してしまうに違いない」「次に死ぬ知人に無心するだろう」との冗談が飛び交い、笑いの渦は止まなかった。
このような葬式は初めての経験であったが、不思議と祖父らしい見送られ方であると感じた。晴天を背景に、満開の桜と人々の笑い声が、死と生の境界線上で妙なる饗宴を繰り広げていた。
あの世ではもう少しまともな人間になるがいい。この世に戻ろうとしても、その体は灰となったのだから叶わぬことだ。
そもそも、貴方が天国に辿り着けるとは思えないが、万が一辿り着けたなら、祖母を探さず新たな女を見つけるがよい。
いつの日か私も死という儀式を執り行う時が来よう。その時、天国で祖父と関わることなく過ごせますように——これが私の切なる願いである。