コロナ禍のときに再び注目を集めた『ペスト』(写真:アフロ)コロナ禍のときに再び注目を集めた『ペスト』(写真:アフロ)

 大衆の感情的な正義感によって人間失格の烙印を押され、死刑を求刑された男を描き、世界を揺さぶった小説家アルベール・カミュ。安易な正義を掲げて人々が切りつけ合うこの時代に、私たちはいかにカミュを読み返すことができるか。『アルベール・カミュ 生きることへの愛』(岩波書店)を上梓したフランス文学者の三野博司氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──カミュと母の関係について書かれています。カミュはどのような家庭に生まれ育ったのでしょうか?

三野博司氏(以下、三野):カミュは、1913年11月7日に生まれました。父は、フランスのボルドーからやってきた移民の3世で、母はスペイン系ですが、国籍はフランス人でした。

 父はワインの仲買をする会社に勤め、フランス領アルジェリアのモンドヴィ(現ドレアン)に派遣されました。アルベールは次男ですが、母が3歳の長男を連れて、身重の状態で夫の赴任先のモンドヴィに移り住み、そこでアルベールを産みました。

 この年は第一次大戦の前年です。戦争が始まると、父は動員されて単身ヨーロッパに行き、マルヌの会戦で砲弾の破片を頭に受けて負傷し、ブルターニュ地方の町サン=ブリューにある軍事病院で一週間後に亡くなりました。カミュは生まれてすぐに父を失っているのです。

 その後、母は2人の息子を連れて、アルジェにある自分の実家に移り住みます。そこには、母の男兄弟も一緒に住んでおり、赤貧の生活だったようです。

 家には一冊の本もなく、母も祖母も伯父も字が読めませんでした。そのような環境から、後に世界的な作家が誕生したというのは興味深いですね。

 カミュの母は耳が遠く、沈黙しがちな人でした。最初のエッセイ集『裏と表』の中に印象的な2つの回想が書かれています。

 一つは、母と祖母とカミュの関係です。祖母は家に来客が来ることを喜び、客が来るとしばしば孫カミュを呼び、「私とお前のお母さんのどちらが好きだい?」とわざと客人の前で幼いカミュに質問しました。

 もちろん、カミュは「おばあさん」と答えないわけにはいかない。そう答えると祖母は喜ぶ。でも、幼いカミュは内心ではほとばしるような母への愛を感じていたと書いています。

 もう一つの印象的な回想は、少年カミュがある日、外から帰ってくると、母が座って沈黙していたことです。母の放つ動物のような沈黙を前にして、息子は言いようのない戸惑いを覚え、声をかけることができなかったそうです。

 寡黙で愛情の表出が苦手な母を前にして、カミュは子どもとしての自分の愛情をストレートに表現できませんでした。

 そうした、沈黙と言語の複雑な関係の中で、母へ向けて発する言葉を探すところからカミュの文学は始まっており、作品の中には常に母と息子の独特の関係性が描かれています。たとえば、『異邦人』は母の死から始まります。

──「きょう、ママが死んだ」というあの冒頭ですね。