大きく分けて2つについて常々疑問を持っているがみんなはどう考えるだろうか
受験がある学校(高校、大学、一部の小中学)は受験の結果入学できたのだから、喜びやめでたいという気持ちは理解できる(それでも②の疑問は残るが)
よほどの事情じゃない限り、ほとんどの子供は入学できる。そのような物について何をどうおめでたいと祝うことがあるのか。
成長?普通に進学できたこと?そんなん学校で祝わなくても、身内で祝っておけば十分だろ。
事前準備に多大な労力をかけ、式自体にも1時間程度という決して短くない時間を取る。
来賓を集め、祝電を頂戴し、親の出席を促しておきながら、やっていることは何十年も変わっていない。
よくわからない校長の話、生徒一人一人の名前を呼んで立たせる、校歌披露。
全てを否定するつもりはないし、厳かな雰囲気の式典を経験するのは無駄ではないと思うが、卒業式だけで十分ではないのか。(卒業は誰でも出来るものじゃないので、入学式より意味はあると思う)
一番疑問なのは親が出席しないと駄目だという風潮。
嫌なら出なきゃいい。それも道理だ。ただし、欠席を選択した親自身が眉を顰められるのであればそれでいいが、親が出ないことによって子供への影響もあり得る点が欠席へのハードルを爆上げしており
平日にやるものどうかと思う。大半の社会人は有休が必要だぞ。同調圧で出席が半ば強制なのであれば政府として公休制度に採り入れろ。
批判ばかりではあれなので、代案も示していきたい。
校長の話はフランクに短く。新入生代表の言葉は賛否あるが、まあやってもいい。この2個で完結すれば入学式典として十分ではないか。
教職員の紹介なんかも別に要らない。ビラ配りでも動画配信でもしてくれ。
学校の原型は軍隊なので、軍隊の入隊式・出征式が大元だ。 軍隊のこれはどう考えてもやったほうがいい。 士気があがったり、気分が切り替わったり、所属感が高めたり、社会全体...
子供が体育館に集められて入学おめでとう。って言われてそこまで変わるか? クラスや、その他のイベントで十分じゃないか? ってのがみそ 実体験だと、記憶に残っていないから意味...
やって変わったかじゃなくて、 やらなくなった場合にどうなるか考えたほうがよくない? 要は「もう小学生でお兄ちゃんになったねえ!」が言いにくくなるんだが ちょっと良くない...
式典やらなくても校門で写真撮るなり、制服合わせで写真撮ったりで十分では? 式典をやらないことによるロスは、厳かな式典の経験だけだと思ってるが、卒業式やその他だけで十分で...
うーん。充分か不十分かで言えば、充分かもしれん しかし、「充分か不充分か」を子供の教育絡みで突き詰めると 飯食わせて放置すればそれで充分だぞ。 「どっちがいいか」の話し...
飯食わせて放置は生存にとっては十分ではあるが、教育になってないから十分ではない。 学校への帰属意識や成長を促す機会として入学式典が必要かどうかは、式典が持ち効果が十分か...
そういうコスト論で考えるなら 取捨選択はすでにコストのかかる行為なので、 「変更する必要があるか」で考えることになる。 変えても変えなくても同じなので、変えなくていいとい...
どちらかというと全部リモートにするのがコスパ的にも良いし、学級崩壊も無くなる
式典の時間短くなれば労力減るのにそれでも変化ないんすか? 来賓、祝電が無くなるとすればその分の労力は?
来賓に来たいと思ってるジジババとか来てほしいと思ってる父母を全員説得するコストのほうがはるかに上回るね
入学式での来賓はジジババや親じゃなくて、PTA会長とか議員とかですけど?
もっと本質的な部分を掘り下げて言語化する必要がある 儀式、儀礼のようなものは文化、民俗、宗教みたいなものがいろいろ入り混じって作られるものだ そして新入生、教師、保護者を...
せやね。 元増田は「儀礼とか無駄じゃん」と言っており 俺としては、それはそうかもしれんが……、と言うしかない。 明かに有用だが証明とかはし難い。 儀礼を無くす実証実験とか...
儀式としては校長の話と代表の言葉でやればええやんって書いてあるがな
儀礼は常に無意味なコードなので、どの形でもいいに決まってる。 文化によって違う。宗教的’(広義)な意味しかない。 逆に言ったら宗教的なコードなので、内容の変更について...
どの形でもいいなら時間短くして労力も減らしましょうよって主張を切り捨てないでもらえないですか
いや切り捨てるしかないね。それは。
玉音放送の例もあるので、究極的には町内放送でも新聞の広告枠でも何でもいいけど、言うべきことは外すなよ 君たちは小学生、俺たちは教師、卒業に向けて勉強頑張ろう この3要素だ...
これが宗教か 見直すことを絶対に認めないんですね