はてなキーワード: 入学とは
理系女子枠って、基本"受からないから"ではなく"受けてくれないから"設けてるってことを知らない人が多すぎる。仮に、入学後の成績調査したら、普通に女子学生の方が上だったりするんじゃね?と思うよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4768859383696113633/comment/KKElichika
俺は増田。旧統一教会の祝福2世だった男だ。大学入学を期に実家を離れて世間を知り、なんか違うなと思って教会を離れた。両親は信仰があり、絡むといちいち面倒なのでLINEでのやり取りするぐらいで、疎遠にしていた。結婚して地方都市に住んでいる妹も教会を離れているが、用もないのに連絡をする仲ではない。不仲って、言うほどでもないが、一般的に兄妹ってそんなもんだと思う。
少し前に父が亡くなったので、何年かぶりに帰省した。持病があるのに医者と喧嘩して病院に行くのをやめていたので当然の結果だった。死に際は人に迷惑をかけるような状況じゃなかったのが救いだった。
この記事を読んでいる人の中で、ひょっとすると統一教会の葬式に出る人がいるかも知れないので、思い出がてら書いておく。
まず、喪服は着ない。男はスーツに白ネクタイ、女は白っぽいジャケットとスカートを着る。式場は教会の人ばかりだったのであまり気にならなかったが、火葬場で浮きまくって居心地が悪かった。
そして、葬式(統一教会では「聖和式」と言う)は新しい出発をするお祝いというていになっている。なので万歳三唱がある。世間一般とかけ離れたことばかりする集団にも顔色ひとつ変えず親切に対応してくれた式場の人にはプロ意識の高さを感じた。
その他、家庭盟誓(やばい会社の社訓みたいな奴の統一教会バージョンだと思ってほしい。8番まであって長い)を唱えたり、聖歌(教会の歌。何かと歌う)を歌ったりした。毎週の礼拝ってこんな感じだった。
もう何年も教会に行っていないので結構忘れていたが、やっていたらなんとなく体が覚えていて、嫌なノスタルジーを感じた。
妹は式の間ずっと口をつぐんでいた。
親族はコロナを理由にほとんど参加しなかったが、教会の人が足を運んでくれてそれなりに人が集まった。自分や妹の顔を見ると皆にこやかに「久しぶりだね〜」と言った。
教会の人って基本的に親切で優しくて、あなたの隣に住んでいても良き隣人であるような人が多いのだが、時々地雷がある。
父も反ワクチン・反マスクだったが、他にもいそうな雰囲気だった。ある人に「増田くんもワクチン打ってしまったんでしょう…?」と言われた、やっぱりカルトと陰謀論は親和性が高い。
また別の人に「お父さんは増田君の気持ちわかってたと思うよ…」っと慰めるように言われて何の話?となったりした。俺は「憎まれっ子世に憚る如く長生きするかと予想していたが、案外ポックリ逝ってくれて助かった」と言うのが本音だった。言える訳がないので曖昧に相槌を打った。
親切でちぐはぐで、柔らかくてグロテスク。言いようのない不快感があった。
父方の親戚で、一人の老紳士が通夜葬式の両日参列してくれた。もちろん、両親が教徒だと言うことは知っている。通夜の日、黒いネクタイを締めてきた彼は「明日は白いネクタイで来るね」と言った。色々思うところはあるだろうに、嫌な顔ひとつしなかった。なんて人間のできた人なんだと思った。こんな人を意味の分からない儀式に付き合わせて申し訳ないと思った。
後から聞いた話だが、葬式の時点で妹は妊娠していたらしい。「夫も子供も教会に関わらせたくない。必要ならできる限り経済的な支援はするが、それ以上は期待しないでほしい」と言われた。それでいいと思った。
教会には「氏族メシヤ」という考え方がある。教徒の親族に布教して家庭内の救世主になろう、という囲い込み戦略だ。しかし、実際は葬式に兄弟は来ず、子供達すら離れている。“統一”教会ってなんだよ、と思った。
大学入学時、自炊に慣れていない時や、新社会人で忙しい時期、大体パンを食べる
朝と昼で食べるとシールはどんどん貯まっていく。大学入学時は当時25ポイントくらいで交換できたのもあって、1シーズンで2枚くらい交換してた。
膝丈でも太もも辺りまで見えてしまうことあります。階段登る時に上を全く見ない人ばかりでは無いので見たくなくても見えます。あと自転車!思ったよりスカートめくれてる!危ない。
平地歩いていても丈が短い子、めちゃくちゃ心配になるからせめてアンダーになんか穿いてくれ。短くしたいのはわかるがよく考えてくれ。
女親だとこのあたりは経験則でわかってると思う、ちゃんと注意してあげて欲しいよ通りすがりからの心からの願い。
・定期券の行先は隠そう!
変なやついるんだよ、定期の行先見て待ち伏せするような阿呆とか。定期入れたパスケースをぶら下げないのが1番だけど、無理なら定期の上になんか可愛いキャラカードとか図書カードとか入れとけばいいから隠しておいて!
・エスカレーター乗る時、前向いて乗るより手すり捕まって横向いてた方が盗撮されにくいよ! スカート丈でも言ったけどかなり危険なのでほんとに……自衛防御してまじで。
ポロリしたらとられますよ。貴重品はきちんとカバンの取りにくいところに入れるべし。ケータイもね。
個人情報的に見せたらまずいものとかはやめておいた方がいい。急がないなら電車降りてからにして。
注意してやりたいレベルの時も昨今他人からの声掛け行為自体がリスキーだし、なんも言ってあげられないことも多々あります。
変なやつが全面的に悪いのは分かってます。そりゃそうよ。でも自衛できるところはした方が絶対にいいと私は思うよ。余計なお世話なのはわかっているので電子の海にこの日記をぶん投げます。
難易度が高すぎてプレイヤー人口がほとんどいない塔を登る系クソゲーを唯一クリアした主人公。11年越しのエンディングを見たら、なんと現実世界にそのクソゲーの塔が出現!ゲーム世界の人物たちが現実にも侵食しはじめてきて...。
ゲーム世界の知識を使って最強を目指しつつ、世界の危機とか、陰謀に立ち向かっていくマンガ
メディアミックスを考えるなら次はこの作品がバズると思う。名前が俺レベと似ているけど、中身は全然違うしコメディよりの明るい作風なので、いろんな人に受けると思う
序盤は知識チートで最強スキルを独占したり、特殊なイベントキャラや歯向かう敵を下僕にしていく唯我独尊プレイが爽快!
ただ中盤以降敵対組織とか、守るべき仲間みたいなのが増えてくるとちょっとずつその力の使い方について考えるようになっていき、最新話付近だと頼れる主人公という感じに成長していく。
他にもライバルやヒロインたちもそれぞれ強化イベントがあったりして、キャラの個性がしっかりしている。なによりキャラデザがいい
あまりにも設定が膨大なマイナー長期連載なろう系小説をただひとり読み続けた主人公。電車の中で最終回を読み終わり感傷に浸っていると...なぜか電車が急停止。先ほどまで読んでいた小説「滅亡した世界で生き残る3つの方法(滅生法)」の冒頭シーンが現実に出現したのだ!おそいかかるモンスターと、崩壊していく世界。巻き込まれた人々の運命やいかに!!
ウェブトゥーンで一番面白い作品はなにかといえば間違いなく名前が上がる作品
アニメ化企画も進んでいるようで楽しみ。しっかりクオリティの高いアニメにしてくれれば俺レベ並にバズる可能性は高い
この作品の魅力を一言でいうなら、設定の作り込みがすごいこと!
たとえば、この世界には主人公キムドクシャの他に、原作滅生法の主人公も存在している。原作小説はReゼロのようなループもの+上位存在たちが主催するデスゲーム的作品で、序盤の原作主人公はなにかいやなことがあるとすぐに死んでやり直そうとするクソ効率厨なのである。それでいて、原作主人公は俺様唯我独尊系のクソなのでドクシャ陣営と度々衝突する。本作はこのダブル主人公の奇妙な協力関係や、時にはライバルな感じで進んでいくのが面白い。
もう一つ面白いギミックで言えば、知識チートものではあるけど、主人公以外にも断片的に知識を持っているリアルの人々がいる。途中下車組と呼ばれる原作途中でリタイアした人々や、なぜか自分以外読んでいないはずの原作の結末を知っている人物がいたり、こうした人々も生き残るために好き勝手動くので展開が読めない。
今回紹介する作品は全体的に人間関係を丁寧に描写しているものが多いが、この作品はとりわけそのあたりが魅力。
また展開が大胆なのもおもしろポイント!序盤はサバイバルホラー感が強いが、なろうっぽい成長パート、濃密な人間ドラマ、インフレ能力バトル、なんかSF的な敵とのバトルなど、多種多様な展開になる。テンポもよいので読み進める手がとまらないよお
300年前にラスボス手前で無念の瀕死状態に陥った賢者こと主人公。コールドスリープの魔法で治療のため眠りについたら...なんと300年の時が経過していた。しかもなぜか別人の少年の体に転生していたのだった!世界は一見平和を取り戻したように見えるが、どうもラスボスは倒されていないっぽいし、何人か自分の正体を知っているらしき勢力がいたりと謎は深まるばかり。
仲間たち一行のその後の痕跡を追いつつ、前世で成し遂げられなかった伝説の賢者を目指して学園に入学したり、謎の勢力と戦ったりするマンガ
初見は「一人だけ生き残ってしまった勇者パーティのお話」と聞いてフリーレンっぽいなと思ったけど、読んでみると違った感想になる。フリーレンはエルフ特有の時間の流れとか無常についてのテーマ性を感じる。
この作品は世界にたった一人だけになってしまったけど遠い過去にあったあれこれは確かに存在していて、それが今の自分を形作っているんだ的な、人の営みの美しさみたいなのがよりフォーカスされている。
この作品の当面の目標は、勇者が残した手紙を読むために、学園の学年トップを目指すというもの。それにあたって修行したり青い若者たちと触れ合いを通して少し大人の視点で見守ったり、年相応に成長したりしながら、かつての⚪︎⚪︎が暗躍しているのがわかったり...という感じ。日本のマンガにかなり近い作風なので、ウェブトゥーン初心者におすすめ!!
全人口のほとんが熱中しているとんでもないフルダイブMMOに人生をかけたおっさん主人公は、思うように成り上がれず借金で破産。人生のどん底にいた。そんなある時、なぜかそのMMOのサービス開始直後に回帰する。今世ではゲームの全ての称号を独占して最強のプレイヤーになってやる!的なお話
ゲーム攻略の解像度が高いのが好み。ゲームバランスを崩壊させるチート装備が存在するわけではなく、かつてのガチ勢たちが攻略した結果判明した最強デッキとか組み合わせを独占していくので、この装備がどう強くなっていくんだろう?と興味を引き立てられる
またこのゲーム世界はRMTが公式に存在するので、ゲームを攻略するたびにどんどん社会的にも成功していく。現実とゲームの二軸で話が進んでいく感じは日本のマンガだと珍しいかもしれない
主人公の行動原理は大好きなゲームで最強になりたい!で一貫している。そのために寝る間も惜しんで攻略するし、将来ゲームやe-sports業界に悪影響を及ぼしかねない事件や企業にも喧嘩を売っていく。ゲームを通して友情が芽生えたり、かつての〇〇とも和解したりと人間的な成長も魅力。ゲームっていいなぁ!
ある貴族は大量に産んだ子供を地獄の特訓の末「猟犬」こと冷酷無比な兵士へと育てて力をつけていた。主人公はかつてそれなりに強くなったが貴族のオトンに殺されて死んでしまった。なんか生き返ったので、今世では最強の存在となって偉大なるオトンに復讐したる的な話
回帰ものばっかりな気はするが、その中でも復讐・中世世界観でかなりダークな作品
でもモンスターとかはでてくるし、剣と魔法の世界観なのでちゃんとファンタジーしてる。わりとサクサク人が死ぬ
この作品もかなりテンポがよくて、まだ100話未満の連載話数だけど結構話が進んだな感ある。個人的には余計なサブストーリーで人物の掘り下げとかをするくらいなら本筋をガンガン進めてほしい派なので、こういう目的に向かってまっすぐ進んでいく感じの話はかなり好み。
全知的な〜並に章ごとの場面転換が大きく、最初は領地での成り上がり編、次は〇〇編、学園編、みたいな感じでいろんなストーリーがある。そういう多面的な作風はラノベっぽさもあるかもしれない。ストーリーは全然違うんだけど、どことなく無職転生っぽさはやっぱり感じる。
無職のしがないゲーム中毒者の主人公は、大好きなオンラインゲームの中ですら雑魚中の雑魚としてNPCにこき使われる毎日だった。ある時伝説級の転職書を見つけたことでゲーム世界で初めての伝説級ジョブ(めっちゃ強い鍛治職人)プレイヤーとなった。本来なら難しいクエストをクリアしないと手に入らないげきつよアイテムを鍛治できるようになり、最強装備でどんどん成り上がっていく的な話
珍しい鍛治職人もので、 オリジナリティの高い作品となっている。登場人物がとにかく多いし、基本的にみんな性根が善良なので、なんというか俺つえー系作品なんだけどどことなく品性がある...?感じの作風。ちなみにウェブトゥーンに珍しく性的描写がある。(エ口くはない)
若干の説教くささであるとか、かなりクセの強い戦闘スタイルの人がいるとかで、人気の割には若干人を選ぶ感じはする。あとは最新話までである程度の目的は達成するので、自分はちょっと読むのに疲れてきた感はある。
とある放置系ソシャゲの世界ランカーだった主人公は、あるとき謎の存在とゲーム中で出会い、ゲームの世界へと引き摺り込まれてしまった。実は今までゲームだと思っていたのは、いろんなマルチバースから連れてこられた人々がガチで生きている世界だったのである。しかも主人公はまさかの星1雑魚キャラ...。死にものぐるいの特訓で生き残りながら、このゲームの謎に迫るといった話
設定が新しいし、世界観がシビアすぎるので登場人物がコロコロ入れ替わるのが最高。マルチバース世界によっては剣と魔法の世界からやってきたキャラも大勢いるが、主人公は地球のふつーのイケメンで特殊な能力を持たないのも面白い。
放置系ソシャゲなのである程度はゲームキャラたち手動で決められるが、肝心な意思決定には画面外のプレイヤーの協力が必要だったりする。この画面外のプレイヤーがへっぽこ初心者プレイヤーだったり、引退の危機だったりで一筋縄ではいかなかったりする。
ひたすら生き残るためにクエストを進めていく感じのストーリーで、今後はどうなるかはまだわからないけど、続きがかなり気になる作品ではある。
親御さんの認知能力・処理能力・ストレス耐性を確認することを目的にしてる部分があるんだ。
そうした親御さん向けの宿題の結果は、遺伝的なポテンシャルの予測や家庭環境を推察するための情報ソースとして利用させてもらってる。
「でもあんなの業者に頼むだけだけど?」と思ってる人はいるだろうが、それはもうそれで問題ない。
そうやって外注できるという時点で情報収集能力がそれなりにあることは分かるからね。
情報収集能力が低いご家庭や、ママさんネットワークから切り離されてそうなご家庭は考え方が偏ってたりする傾向があるので警戒してる。
完全にサボってくるご家庭も当然警戒する。
各ご家庭の処理能力はご家庭の教育に直結する要素なので、多少無理をしてもらっても早めに情報集めたいんだわ。
親御さんたちの体感と大きくズレは無いと思う。
それと、中学受験を控えてくる辺りで一度強く試すんだけど、これは各ご家庭の余力を見る意味合いが強い。
ご家庭にバッファがない状態で受験に入った家は色々危ういんだよね。
最後に卒業寸前でちょっと負荷をかけて、そこで集めた情報は次の学校に渡す感じ。
親御さん達からすれば連続で波が来て辛いかもだけど、ぶっちゃけ負荷テストなので申し訳ない。
学校側がこういう事してるのも別に権力を振り回して高みの見物したいとかではないんだ。
限られたリソースの中で沢山の生徒さんを管理するために、家庭環境についての情報も頭に入れておくのが目的なのです。
親御さん向けの宿題程度で何が分かるって思うかもだけど、結構こういうのにカラーは出てくるんだよね。
見栄を張る度合いとかって子供さんは親御さんの背中から学ぶものなので、どの程度のものが出てくるからはお子さんを見てればなんとなく分かったりする。
要領の良さ、締め切りに対する意識、課題分析能力といったものもお子さんは親御さんを映す鏡という言葉を痛感させられますね。
それじゃあ別にわざわざ負荷をかける必要ないように感じるんですが、ある種の答え合わせとしての部分もありまして、本当に申し訳ない。
親御さんは学校から変な課題が来たら「試されているな。ムカつく」と思わず、自分の家は特に問題ないですよとアピールするチャンスぐらいに思ってくれると助かります。
遺書と聞くと「まだそんな歳じゃないから」「たいした資産もないし」といってお前は“そのこと”から目をそらすだろう。私もそうだった。
でも、もしお前に小さいこどもがいるなら、すぐにでもおまえは遺書を書きべきだ。
こどもが未成年なら、遺書がないと相続は“めちゃくちゃ大変”になる。
なぜこどもができたタイミングでなのか?
未成年のこどもがいる場合の相続手続きが圧倒的に面倒になるからだ。
たとえば、こんな状況を想像してほしい。
おまえは死ぬ。残された妻or夫と、未成年のこども(例:5歳)がいる。
このとき、たとえ財産が「預金数十万だけ」だったとしても、相続手続きを進めるには、相続人全員の同意が原則。
つまり、未成年のこどもも「相続に同意」しなければ、何も手続きが進まないのだ。
じゃあどうするか?
家庭裁判所に「特別代理人」を選んでもらって、その人を通じて手続きを進める必要が出てくる。
時間も手間もかかる。しかも、家庭裁判所が「これは不公平だ」と判断すれば、話は一発でストップ。
結果として、配偶者はおまえの預金を引き出すこともできなくなる。
おまえの名義で預金があると分かっていても使えない。毎月生活費が足りなくなる。苦労は目に見えている。
これに対して、「遺言書」があれば話はまったく違う。
たとえば、遺言書(自筆証書遺言書保管)に「全財産を妻に相続させる」と一言書いてあれば、家庭裁判所の手続きを飛ばして、配偶者だけで相続手続きを進めることができる。
つまり、遺言書があるだけで、残された家族は、悲しみと生活苦のダブルパンチから、少なくとも片方は免除される。
「まだそんな歳じゃない」とおまえは言うだろう。あした交通事故で死ぬことも知らず。
するとおまえは「そんなに相続なんてほど金もってないし」というだろう。
これはよくある誤解で、「相続手続き」と「相続税」を混ぜてしまっている。
しかし、相続「手続き」は1円でも財産があれば全員に関係する。
そしてその手続きが、未成年の子がいると“とんでもなく”面倒になるのは上述の通り。
法律的には、「自筆証書遺言」という形で、紙に手書きで内容を書いて、日付と署名をすれば立派な遺言書になる。
保管(自筆証書遺言書保管)も数年前から始まり、そこらの法務局でできるようになっている。
ちなみに、ちゃんと自筆証書遺言書保管しないと家庭裁判所のチェックをスキップできない。
遺言書はなんどでも書き直せる。入園、入学、卒業、などのタイミングで書き直せばいい。
繰り返すが、こどもができたら遺書を書け。
ちなみに、こどもができなくても遺書を書け。
日曜の深夜に始まったLAZARUSを見て以来、毎日、何回もBoo RadleysのLazarusを聞いている。正確に言えばYouTubeでバンドのPVを見ている。
COWBOY BEBOPで有名なアニメ作家の新作アニメがLAZARUS(読みはラザロ)で、タイトルはBoo Radleysの30年以上前の曲からの引用でED曲にも使われると知り、急に興味がわいたのが金曜の夕方だったからギリギリ間に合ったのだ。
アニメには本当に疎いので、作品の出来の良しあしはわからないが途中のパルクールシーンの劇伴がかっこよかったので継続しようかなと思えた。
劇伴とOP曲はKamasi Washingtonなので、この監督のファン層であろうサブカルに敏いクラスター的にはそっちに注目してるようだが、僕としてはどうしてもED曲のLazarusのほうに注目してしまう。
EDの動画もYouTubeにアップされ、そこそこ見られてるようだが、本家のBoo RadleysのPVが数か月前に見たときの倍くらいまで再生数を稼ぎ出していて、コメントもこの数日から一か月くらいで新規がついてるのを見るとちょっとうれしくなった。
僕が90年代後半のBrit Popブームの中で、ほぼ唯一好きになりにいったバンドがBoo Radleysだった。
他にも好きだったバンドはいっぱいある。それこそBlur、Oasisの二大巨頭はもちろん来日公演を見に行っていたし、Kula Shaker、Dodgy、The Verve、Radiohead(当時はまだCREEPがヒットしたバンドみたいな扱いだった)、Supergrass、Mansun、Bluetones、etc...個々の曲で好きな曲は山ほどあった。ちょっと遡って、Stone RosesやHappy Mondays(どちらかと言えば好きだったのはBlack Grapeだったが)、James、Soup Dragonsあたりも好きだった。
そうしたバンドはだいたいが、何度か聞いたら普通にファンになっていったのだが、Boo Radleysはちょっと違って、このバンドはよくわからなくても何度も聞いて自分から好きになりにいったバンドだった。
Boo Radleysを知ったきっかけはちょうど30年前の今くらいの時期に吉祥寺のレコファンで聞いたWake Up Boo!だった。そう、Boo Radleysといえば、Wake Up Boo!なのだ。「史上もっとも気分が良くなる曲」に認定されたというあの陽気なホーンのイントロとさわやかなメロディの。
しかし、僕が聞いたWake Up Boo!はちょっと違った。曲が終わったとたん長くダビィなトリップホップのような展開が延々と続くバージョンだった。あとで購入した盤でWake Up Boo!: Music For Astronautsというバージョンだと知った。
とにかく陽気なのに突然薄暗くシリアスな面を見せてくるこのバンドは何かが変だ、これは聞いてみないとと思ってアルバムWAKE UPを買って聞いてみた。CREATIONというレーベルなのでそういうバンドだとは想像していたが思った以上に陽気でメロディアスな曲は多くなく、全体に違和感を感じるくらいに当時のBRIT POPにありがちな軽薄さが全然ない、むしろ、Wake Up Boo!は無理やり作ったんじゃないかと思えるくらいの根の暗さを無理やり押し隠したようなアルバムだった。(実際、Wake Up Boo!は録音時にギターのマーティン・カーの技量的にまだ厳しくて、通しでは弾ききれなかったらしい)
当時は大学生なりたてて、浪人時代を少し引きずっていて鬱屈気味なのに無理やり明るくなろうとしていたこともあったのか、なんとなくこのバンドのことをちゃんと知りたいと思うようになった。当時はまだ大学生の半数くらいが浪人だった時代でマジョリティまでいかなくても同級生の半分くらいは浪人を経験してきているので、そんなにコンプレックスを感じることもなかったのだが、それでも1年間の浪人経験は入学後もしばらく自分の人格に影響を与えていたのは否めない。
そうした自分にとってこのバンドは何か心に刺さるものを届けてくるように思えた。好きなバンドとは言い切れないが、でも何度となく聞き続けてファンになる必要があると思った。そういう意味でこのバンドは最初から好きだったわけではなく好きになりにいったバンドだったと思う。
アルバムのライナーノーツや音楽雑誌の批評を読みながらアルバムを聴いていたが、どの批評でも前作のGiant Stepsと収録曲のLazarusについて触れているのを目にして、それらも聞かないとならないと思い、たまたま大学の近くのディスクユニオンで見つけたGiant Stepsを購入して聞くことができたのはほどなくしてだった。全然わからなかった。正確に言えば、なんで1993年のベストアルバムとしてこのアルバムがあげられるのかわからなかった。当時の自分にいわゆるシューゲイザーバンドへの素養がなかったのもある。マイブラやRideがわからなかったのと同じだと思う。このアルバムを一聴で好きになるにはその素養が必要とされた。でも、何度も何度も聞き続けるうちにものすごく面白いアルバムではないかと思うようになっていた。
そしてLazarusが耳からこびりついてしばらく離れなくなった。突然始まる轟音ギターに重なるトランペットのフレーズの美しさ、メリハリをつけるように静かになった中でほとんど1フレーズのメロディが歌われ、ふたたびサビのようにトランペットが流れる。なぜか今でも思い出すこのころの大学周辺の天気は曇り空なのだが、そこのBGMとしてLazarusはぴったりだった。
まあ、とはいえLazarusやそのほかのBoo Radleysの曲ばかり聞いていたわけでもないし、むしろ他のバンドのほうがいっぱい聞いていたように思うが、なんとなく自分の大学時代の音楽と言われるとBoo Radleysが真っ先に思い出されるし、今でも聞くとちょっと内臓の奥の方がぎゅっとされる感じはある。
そんな僕も大学を卒業して就職し、たまたま出会った女性と結婚して、子供が生まれた。聞いてる音楽はBrit Popからトリップホップを経て、クラブミュージックに移行してロック方面はあまり詳しくなくなるうちにいつの間にかBoo Radleysも解散していた。
息子は僕にはなかった音楽の才能がそれなりにあったようで、ピアノをずっと習いつつ家ではボカロ曲なんかと弾いたりするような子になった。とはいえ、自己顕示欲がはなはだ薄いのでネットにアップするようなことはしなかったが。
そんな息子は高校に入り吹奏楽部に入った。サックスを吹くようになり、そこそこはまった彼は家でもYouTubeでいろいろな演奏動画を見るようになった。僕がクラブ文脈で好きだったロシュフォールの恋人たちのキャラバンの到着や、ルパンのテーマ、Sing Sing Singあたりを好んで聞いてるのはちょっと嬉しかった。息子にあれこれと教えたりもした。そうした中に息子が自分で動画あさりをしていく中で見つけた曲にCOWBOY BEBOPのTank!もあった。僕も聞いてなるほどこれはいい曲だと思った。
ルパン三世、というか、それが参考にしていたラロシフリンやエンニオモリコーネ、アルマンドトロバヨーリといった古き良き探偵、スパイ映画のような素晴らしくスリリングなテーマソング。アニメに熱狂的なファンがいるのもうなづけると思った。
あわせて息子は中学の終わりくらいから深夜のアニメを見始めるようになり、時折、リビングのテレビでも見るようになっていった。特にジャンプラ系のマンガ原作のアニメは僕がジャンプラを読んでることもあり、一緒に見ることが多かった。次第に息子の興味はこてこてのアニソンよりも、米津やKing Gnu、髭dan、ミセスあたりを経由してJ-POP方面になっていった。そして今度は息子の好きな音楽を通じて僕も最近のJ-POPがちょっとわかるようになったし、ちょっと好きになってきた。ちなみに今、息子が一番好きなのはサカナクションだったりする(もちろん、チ。経由)
そうした中でLAZARUSが始まった。息子はあまり体系的にアニメを見る方でもないこともありCOWBOY BEBOPも見ていないので、初回は見たのかわからない。僕はリビングで一人で見ていた。
僕は半信半疑でEDを待っていた。そして、EDが始まった。あの轟音ギターとトランペットがリビングに鳴り響いた。いや響くというほどの音量でもないが。正直、共感性羞恥のようなものが若干発動したが嬉しかった。死体のようになった登場人物を次々に画面に出すまるでワンカットのような映像、あまりにもはまっていた。僕が大学の始まりの年に感じていた微妙な心象風景のような映像だった。自分は生きているのだが周りは生きているのかわからないような。
すごく良かった。この映像がきっかけでBoo RadleysのLazarusが話題を集めたら面白いと思った。
そして、ちょうど大学生になった、つまり僕がBoo Radleysを好きになりに行った時と同じステータスになった息子とLAZARUSを見て感想を言い合いたいと思った。
大きく分けて2つについて常々疑問を持っているがみんなはどう考えるだろうか
受験がある学校(高校、大学、一部の小中学)は受験の結果入学できたのだから、喜びやめでたいという気持ちは理解できる(それでも②の疑問は残るが)
よほどの事情じゃない限り、ほとんどの子供は入学できる。そのような物について何をどうおめでたいと祝うことがあるのか。
成長?普通に進学できたこと?そんなん学校で祝わなくても、身内で祝っておけば十分だろ。
事前準備に多大な労力をかけ、式自体にも1時間程度という決して短くない時間を取る。
来賓を集め、祝電を頂戴し、親の出席を促しておきながら、やっていることは何十年も変わっていない。
よくわからない校長の話、生徒一人一人の名前を呼んで立たせる、校歌披露。
全てを否定するつもりはないし、厳かな雰囲気の式典を経験するのは無駄ではないと思うが、卒業式だけで十分ではないのか。(卒業は誰でも出来るものじゃないので、入学式より意味はあると思う)
一番疑問なのは親が出席しないと駄目だという風潮。
嫌なら出なきゃいい。それも道理だ。ただし、欠席を選択した親自身が眉を顰められるのであればそれでいいが、親が出ないことによって子供への影響もあり得る点が欠席へのハードルを爆上げしており
平日にやるものどうかと思う。大半の社会人は有休が必要だぞ。同調圧で出席が半ば強制なのであれば政府として公休制度に採り入れろ。
批判ばかりではあれなので、代案も示していきたい。
校長の話はフランクに短く。新入生代表の言葉は賛否あるが、まあやってもいい。この2個で完結すれば入学式典として十分ではないか。
教職員の紹介なんかも別に要らない。ビラ配りでも動画配信でもしてくれ。
Togetter にまとめられた 「ここ1、2年で大学入試の試験会場や開始時刻を間違えて来る受験生が急増しました。」を読んで胃が痛くなった。
https://togetter.com/li/2535697?page=2
なぜなら、私は、実際に大学入試(推薦)の「試験日」を間違えた子の親だからだ。
思い出すだけで辛くなるが、幸い今、うちの子は別の大学で元気に勉学に励んでいる。
当時、どうしてこういうことになったのか、嫌と言うほど考えたので、そこで思った理由をここに書いてみる。
今後、同じような受験生が出ないことを祈って。
先に書いておくと、おそらく大学側でできることはたくさんある。今どきの子は・・と言うのはあまりに当人にかわいそうだと思う。
そして、全般的に私立大学は間違えを防ぐための工夫がされているが、国立大学は罠が多いケースが多い。
・ 受験を意識し始めたときには新しい募集要項が公開されていない。なおかつ、古い募集要項が残っている。
↑ 次の理由との組み合わせで、古い募集要項を最新のものと勘違いしてしまう。
・募集要項に書かれている年度(入学年度)を、受験を行う年度と間違えやすい
↑ 募集要項に「令和5年度」と大きく書かれていると、令和5年度に実施する試験だと思い込んでしまう(正しくは令和4年度に受験する)
↑ これは信じられないかもしれないが、本当にそうだった。親が受験票を見ても受験日はわからない。ネットにアクセスして得られる情報を参照するしかない。
・スマホの画面の情報は親子で確認しにくい。そしてネットリテラシーは、子どもの方が高いと思い込んでしまう。
↑ ここ数年での話は、これが当てはまりそう。つまり、紙媒体ではなくてネット上の情報を見る、ということになったとき、主導権が親から子に移る。
子どもが、スマホで受験日を確認していた時に、スマホの扱いは子供の方が得意であり、スマホの所有者は子どもであることから、主導権が子どもに移ってしまう。
わざわざ親が画面を覗き込んで「裏を取る」ことをしないですませてしまう。まさかうちの子が受験日を間違えているとは、思っていなかった。
↑ ここ数年の大学受験関係者でないとわからないと思うが、入試が多種多様化していて、めちゃくちゃ複雑。志望する学部学科の該当する試験の要項を見つけるだけで大変。その中で、受験のための手続きも煩雑で、それ以外のところに注意が分散してしまって「試験日」という最重要項目への注意が低下してしまったことも理由だと思う。
結局、前年の受験日に会場に行ってしまい、それは実際の受験日の次の日だったので、親子で泣き崩れたよ。
1日早めに行ってしまったのなら問題ないが、終わったあとではどうしようもない。
親としても情けない。
どうか、こういった不幸が無くなりますように。
俺がスーツに着替えて10:50にリビングに行くと妻が「これが終わったら行くから」って言いながら、掃除機をかけ始める。
マックまで片道10分かかるし、食べる時間も必要だし、帰ってから着替える時間もあるからって声をかける。
そこで急いで出かける準備に切り替える。多分移動時間を考慮できてない。
マックについて2階の席に座る。
妻のアプリで注文。注文後、「これってボード見に行かないといけないのかな」
入学式はつつがなく進む。
ブックオフに行く。息子は小学生向けの本コーナーとにらめっこしてる。
名探偵コナンの小説版を選ぶ。さすがに学校で読む本としてどうかと思ったので深夜特急とキッチンも買う。
なかなかきっかけになるような本を選ぶのが難しい。
だめです。大切なのは、可愛さだけじゃなくて、もっと大きな力を身につけること。たくさん遊んで、たくさん寝て、たくさん友達を作って、たくさん勉強して、自分の頭で考え、行動し、責任を取れる力を学校で学んでほしい。もちろん、可愛いは大事。でも、それが人生のすべてじゃない。
小学校に入るその日、自分の未来をつかみ取るための第一歩。新しい世界で、いろんな経験をして、自分らしく成長していってください。
高卒増田にはいろいろ選択肢がある。まずは出身高校の卒業証明書の入手方法を調べよう。
ZEN大学、サイバー大学、東京通信大学等。IT系か経営系の学部になる。学費は通学制に比べて三分の一程度。
放送大学が有名だが、早稲田大、慶應大、法政大、日大、創価大、帝京大学等、通学制大学が通信制も運営している場合もある。
小論文による入試がある大学もある。だいたいの大学が、年に二回入学チャンスがある。学費は通学制に比べて四分の一程度。
日本中に800以上ある。多くの大学が、社会人入試制度を持っており、小論文と面接で入れる。
受験勉強をして一般入試で入ろうとすることは勧めない。アラフィフで受験勉強で現役高校生と張り合うだけの学力を付けることは難しいからだ。
多くの大学院が、あらかじめ申し込んでおけば、高卒でも入れるようになっている。もし増田が大学学部卒業程度の学識を特定の分野で持っていれば、直接大学院に入ることも可能だ。
しかし研究のやり方を学んでいない者が大学院に突っ込むのは、MBAなどの専門職大学院を除いては勧めない。
個人的には、FIREで時間があるなら通学制大学を勧めたい。通信制だと同級生の顔もろくろく知らないで卒業することになるので。