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2025-02-06

徴兵(ちょうへい)」ではない「微兵(びへい)」の実際の用例

明治18年大日本人辞書 渋川義勝』

我逞兵皆な君に小田原に従ひ微兵を以て対抗する最も難しと為す如ず

主君が不在のあいだに城を攻められ、留守居役の武将が「我らの精兵は主君に従って小田原にいる、残ったわずかな兵で対抗するのは難しいだろう」と言っているようだ。

明治24年日本軍人用文 白虎隊殉難之士を吊ふ文』

東藩一団の微兵を以て百日の久しき天下の大勢を廓外十里の野に困ましめしこと亦以て故へあるなり識るへし

東北の藩のわずかな兵をもって明治政府の軍とよく戦ったのには理由があることを知るべきである」といった感じだろうか。ちゃんと「びへい」とふりがながあるので「微兵」であることに間違いない。

明治24年桶狭間戦記』

レノ大兵ニ我微兵ヲ以テ向ハンコト其利アルヘカラス

「あの大軍に私がわずかな兵をもって立ち向かっても利益はないだろう」といった感じ。

明治26年日本戦史 長篠役』

縦令信長請に応せすとも我今軍を出さすんは貞昌か死亡眼前に在り是を救はすして豈弓矢の本意ならんや然れとも微兵を以て大軍に当ること容易に非らす

徳川家康が「たとえ信長が援軍に応じないとしても、私がいま軍を出さなければ(奥平)貞昌の死は目前であり、これを救わなければ武士として失格だが、とはいえわずかな兵で大軍に当たるのは容易ではない」と言っている場面。

明治26年日本戦小牧役』

殊に去年長久手戦の日龍泉寺にて微兵を率て吾三万八千の大軍に並んで押行き火砲を発し武威を奮ふ時忽ち撃捕ふへし

家康使者として秀吉に謁見した本多忠勝を、「特に去年の長久手の戦いで、(忠勝は)龍泉寺わずかな兵を率いて、私の三万八千の大軍相手活躍していたときは、すぐに討ち取れと言ったものだが、今はもう講和を結んだので、家康の家臣は私の家臣も同じだ」と秀吉が称えている場面のようだ。

明治44年日本歴史文庫 四戦紀聞 尾州長久手戦記』

今従兵僅か七八騎に過ぎず。此微兵を以て大敵に向ひ、横死して何の益かあらんや。

桶狭間戦記と似たような文章。四戦紀聞の成立は1705年らしい。

大正2年『時事評論 本多平八郎忠勝』

家康御家人等は味方の微兵を以て猛勢の朝倉に向かはせ給ふことを聊かも憂苦せず

姉川の戦いの場面か。「家康の家臣たちは味方の兵が少なくても朝倉の軍に立ち向かうことをまったく恐れなかった」みたいな感じか。

大正5年国史叢書 朝鮮征伐記』

剰へ今度日本関白秀吉小国微兵を憚らず、清正・行長・長政・隆景等の将士を先鋒とし、朝鮮屠殺す。

中国視点で「あまつさえ秀吉は、日本小国で、兵がわずかであっても大人しくせず、朝鮮侵略した」みたいな感じか。朝鮮征伐記は1665年の成立だが、だいぶ怪しい史料ではあるらしい。

大正6年大日本史丹羽歴代年譜』

此度大坂陣長重手エ得ル首級都合十四、是僅ナリト雖モ、長重討死ニ決シ、微兵ヲ以テ粉骨ヲ尽シタル戦功ハ、具ニ上聞ニ達シ公籍ニ載ラレ、且諸侯伯知之所也

大坂の陣で丹羽長重はそれほど首級を挙げることはなかったが、長重が討ち死にの覚悟を決めてわずかな兵で頑張ったことは、みんなが知っているので安心してください」といった話か。丹羽歴代年譜っていつ成立したんだろ。

大正7年『泗川新寨戦捷之偉蹟』

忠恒公ハ本丸ヘ入此合戦味方纔ノ一千有余ノ微兵ヲ以テ敵ノ百倍ノ猛勢ニ接シ衆寡ノ勢天地懸隔ストイヘドモ其戦略図ニ中リテ一挙ニ大敵ヲ鏖殺ス

朝鮮出兵で「島津忠恒が一千あまりわずかな兵で百倍の敵を皆殺しにした」という話。

大正7年江戸 一夢林翁戊辰出陣記』

天朝ニ奉哀訴社稷ノ血食ヲ謀ラントノ志願ニテ微兵ヲ挙ケ同志ヲ伴ヒ甲州黒駒迄到シ処田安中納言殿ヨリ説諭ノ趣有

朝廷に訴えて幕府を残せないかわずかな兵を挙げて同志を伴って甲州黒駒まで至ったが田安中納言(徳川慶頼)に諭された」でいいのかな。一夢林翁というのは林忠崇という人物のことらしい。

昭和以降は略。

今回は「微兵を」で検索しただけなので「微兵の」とか「微兵たる」とか「微兵にて」とか他にも用例はあろうと思う。

文語調の古めかしい文章には多く登場している一方で、口語としてはまず見かけず、昭和以降ともなるとほぼ古文書引用とかでしか出てこない、という印象。

ともあれ「徴兵(ちょうへい)」ではない「微兵(びへい)」という言葉がかつて存在していたことは確実で、「OCRの読み取りミスによる存在しない言葉である」と切り捨てるには惜しいのではないかと思った次第。

2024-11-15

政界一喝】玉木氏は若者を一層覚醒させよ

政治信頼回復とともに、何よりも政治日本次世代と向き合い、今日迫りくる少子化問題当事者である彼らと共有し、真剣議論を通じて本質的解決模索していきたいものだ。玉木氏は若者政治的に一層、覚醒させよ。

https://www.worldtimes.co.jp/column/20241109-186781/

天朝より指示がありました

皆さんいいですね?

2023-12-13

たまに毒餌まいとかないとね

SB包子

下个月的今天才青年

中共高层家族财富

中国哭墙

五毛

人权

大撒币

天朝

屁民

2020-08-02

もののけ姫を観てきた(ネタばれ

学生の時に何度も映画館で観たけれど、最近また観てきた。

やはりこの映画は、映画館で観ないと人生の大損と思う。

開始早々の祟り神戦は、アニメ映画の中でも屈指の爽快なアクションシーン。

激しい動きのようでいて人間の目の動きをよく押さえていて、ただ画面を揺らして画面酔いさせるようなものとはレベルが違う。

音楽も画面と完全にシンクロして印象的な金属音ともあいまって脳汁バドである

その後、アシタカ西国へ赴く場面は多くの人が言うように素直に号泣するしかない。

一見のどか田舎風景でも病や飢え、戦が絶えない非常に厳しい世界であること、シシ神の森の不思議さやタタラ場の異様さなどが自然と配置され、複雑な背景を解説無しですっと飲み込ませる演出はまた最高。

思うに、エボシは、高級遊女か何かで上流階級とツテがあり、そこから師匠連とつながって石火矢の技術や、もしかしたらタタラ技術も手に入れたのだろう。

ただし、おそらくきちんとした後ろ盾はなく、師匠連やその上の人たちから見て使い捨ての手駒でしかなく、地侍などと組んでも主導権を奪われかねない危うい立場であったと思う。

そこで、手っ取り早く勢力を築いて生き延びるための手段として、自分を裏切らない捨てられた女達と病人を利用し、そのことに本人も自覚的だったと思う。

から、「曇りなき眼」発言で大笑いしたのには、意表を突かれたこともあり、また多少は青二才に対する嘲笑もあったと思うが、自嘲の成分もある気がして目頭が熱くなる。

結局、神々たる自然に向かっていくのは、人間の地から追われた弱い者たちであって、「最初に人が自然を侵したのだ」としたり顔でいう人間に限って、人間の地の真ん中でのうのうと生きているという欺瞞に気が付いたから、エコを前景から引っ込めたのではないかと疑っている。

ジコ坊というのも面白い人物で、徹底的に現実的前線指揮官であるにもかかわらず、結構な遊びがある。アシタカのようにやけに戦闘力の高い不審若者を、自分関係先に送り込んだりする。

作中に天朝様の御文が出てくるが、基本的師匠連の目的神殺しとそれによる更なる権威の増大である

ジコ坊のセリフで「神殺しは怖いぞ」というのがあるが、彼は以前にも神殺しに関わっているともとれる。

怖いのは神による祟りだけなのか。神殺し英雄は、権威を求めるものにとって邪魔なのではないか。ジコ坊は神殺しに関わったために、いい年して最前線に送られているのでは。ことが済んだとき、エボシの立場は非常に危うい。

たぶん、ジコ坊が「神殺しは我々でやろう」と部下に言ったら、その時点でエボシは殺されてしまたかもしれない。

また、神殺しの後、シシ神の首に部下を集中させることで、エボシの存在をうやむやにしてしまったように見える。

ラブリーである

いやー本当に映画っていいものですね!

2018-10-27

もののけ姫ナウシカみたいに全6巻の漫画で描かれてたら

もののけ姫批評映画版ナウシカ比較されたものはよく見るが、漫画版比較したものはあまり見ない。

映画と比べるなら映画漫画と比べようにももののけ姫は漫画で出ていないから、ということだろうか。

実際、もののけ姫ナウシカキャラ立ち位置みたいな構図がよく似ている。

故郷を出る主人公、男勝りな女当主そいつ対立する勢力の子息、巨大神、などなど。

ナウシカ漫画の1,2巻が翻案されて映画化された。映画の後にも物語はまだまだ続く。

もののけ姫も、漫画があったら1,2巻までの内容で、全体から見ればまだまだ序盤しか描かれていないといったところだろう。

3巻以降は、ジコ坊らに指示した朝廷勢力なんかも詳しく描かれ、キャラの濃い皇子もわんさか出てきて、武士同士の戦も泥臭く描かれるんだろう。

最終巻ではアシタカ天朝様とともにサンの案内で再びシシ神様と相まみえて壮大なスケールの問いが突きつけられて、アシタカサン選択を決めたところで終わるのだろう。

ああ読みたい。

 
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