はてなキーワード: 文庫とは
【追記】04/15 16:30
こういうプロ驚き屋な記事をかくと、反応が入れ食いになるのがブクマのよいところですね。
ただ、コメントを読んだ感じ、どうにも僕が作品の中の起こってる事象そのもの以上に、そこで起こる人間の心理や価値観、欲望の表出に驚いてることがいまいち伝わっていなくて、自分の筆力の無さを感じている。
そもそも価値観や人間の心理って、線形の延長線上にあるテックな未来と比べると、イレギュラーに変化するゆえに想像つかないと僕は思っているが、どうにもブクマカは人間の心理は一定で変わることはないと思ってるようで、その辺が齟齬の原因かなと思ってる。
とはいえ、僕は小林恭二が忘れられた作家になるのはもったいないと思ってるので、もっとこの本を含めて読んでほしいなと思います。
あたりがおすすめです。
僕にとって、この人と薄井ゆうじの二人は、森見登美彦と万城目学のようなコンビのイメージなんですよ。
【追記終わり】
小林恭二という作家がいる。いやいたと言ったほうが近いかもしれない。今は専修大で作家育成をしていて自作は15年くらい発表していないと思われる。
僕は30年近く前の大学時代、この作家が世界で一番好きな作家だった。今もベスト5くらいには入る。あの頃読んだ現代作家の多くは、だんだんと思想の方向がどうにも自分と合わなくなってしまい作品を読むこともなくなった(すべては不用意な発言を垂れ流すTwitterが悪い)のだが、そういうのをやってなかったこともあって小林は今も好きなままだ。あと、もう一人薄井ゆうじという作家も好きだったがこの人も作品を書かなくなった。
きっかけは高校時代に書評欄に数行紹介されていた「ゼウスガーデン衰亡史」だった。のちに福武文庫で買ったその小説は、主人公がいない群像劇で今までに見たこともないとてつもなく魅力的な小説だった。のちの書評なんかを読むと「 『虚構船団』 の影響が大きすぎる」と言われたが、僕には「虚構船団」よりも「ゼウスガーデン衰亡史」のほうがはるかに好きだし、いまでも面白い小説の基準はこの小説になっている。この小説よりおもしろいことは小林の他作を含めてもなかなかないのだが。まあ、この作家を読んでたことで僕は今も奇想の強い小説や奇書が好きである。レムの「完全な真空」なんかも好きだ。
年末に書庫を整理したところ、小林恭二の「短篇小説」という単行本が出てきた。奥付を見ると1994年だが多分貧乏大学生の自分が買ったのは1,2年程度たった後の古本だったと思う。小林先生申し訳ない、たぶん自分が新刊で買ったのは数冊しかない。
何とはなしに読み直すことにした。けっこう好きな短編集だったが、特に好きなのは冒頭からの3作「光秀謀反」(戦国時代の戦国大名は、ハプスブルク家とつながっていた信長など、ヨーロッパ諸侯とつながっていたという話。めちゃくちゃ面白い)、 「豪胆問答」(生まれてこの方驚いたことない侍が化け物に遭遇する話、面白い)、「バービシャードの49の冒険 序章」(英雄バービシャードが冒険に出るまでの話。続きが読みたい)だったので、それ以外はあまりちゃんと読んでなかった。たぶん全部を丁寧に読むのは21世紀に入ってから初めてだろう。
なんかかなりグッとくるエロイ話とかあって、あれ、こんなにセクシーなのを書く作家だっけかと思ったりしたのだが「磔」という短編を読んでとんでもなくびっくりした。これ、現代の話じゃね??とちょっと動揺してしまったけど、共有するところが見つからなかったので増田で書き散らそうと思い書き始めている。いちおうKindle版もあるようだが、バッキバキにネタバレと引用をするので、ネタバレ回避したい人は読むのやめましょう。とはいえ、10編ある短編の一つなので1編程度のネタバレがあっても十分面白く読めると思うが。
主人公の男性はN区(都会の幹線道路沿いだというから中野区あたりかね)にあるビルの27階にある住居兼仕事場で暮らしている。主人公の仕事についての描写
わたしは、現在とある不動産会社にアナリストとして勤務している。仕事は、電話線を通してコンピュータに送られてくる膨大な情報の検索及び処理で、パソコンと電話機があればどこにいても可能な仕事のため、専ら自宅で仕事をしている
えっ、これリモートワーカーじゃね?? さらに続く文章に驚かされた
会社に行くのは一か月にせいぜい一度か二度くらい。近頃は外に出るのも億劫になり、買い物も通信販売と宅配サーヴィスにたよっているから、部屋を出ることも稀だ。
十年位前まではよく、そんな生活をしていて社会とのつながりが希薄にならないかと問われた。
私は答えたものだ。
「もともと会社や社会とのつながりを希薄にしたいために、こういう職を選んだのだ。わたしとしては月に一度程度会社にいくことすら面倒くさい」
これが2020年ごろに書かれた作品なら普通だろうけど、さっきも述べたように奥付は1994年。この作品の初出は1992年である。30年以上前の作品である。
小林はけして、現代SFの作家などにあるような科学的な考証などを積み重ねて世界を描き出す作家ではない。
実際、この後、主人公は仕事を終えて、自分用のパソコンのスイッチを入れるのだが
パソコン通信でクラシック音楽情報を専門に扱うネットにアクセスする。
ちなみに現在かかっているモーツアルトの歌曲は、昨日ネット内で教わったもので、近くのビデオ屋(CDも貸し出している)にファクスして取り寄せたものだ
と、ネット通販どころかインターネットすら登場しない。パソコン通信の会議室だ。(このニュアンスの違い、増田を読む人ならわかるだろうから説明は省く)
作者は自分の想像力の範疇だけで書いているのだ。おそらく小林氏は当時パソコン通信をやっていたと思われるのでそういう描写なのだろう。
どうやら、このクラシックの会議室には太陽暦氏というモデレーターがいて、今日のおすすめを教えてくれるらしい。(この辺、僕はパソコン通信詳しくないんだが、パソコン通信でこういうことをやってる人はいたんだろうか。誰か詳しいネットの古老の方は教えてほしい。)
ちなみに太陽暦氏はハンドルネーム、つまりパソコン通信ネット上のペンネームで、無論、ちゃんとした本名もあるのだが、ネット上ではハンドルネームで呼び合うのが礼儀となっている
太陽暦氏は私のほか何人かのクラシック初心者のために、三か月の間毎日推奨のレコードを挙げてくれることになっている。
それでもって翌日に曲の聴き所などレクチャーしてくれる。
年をとった人に言うと、それでいくらとられるのだと聞かれる。
無料だと答えると大概驚く。
こちらのほうが驚く。
この辺は、ちょっと時代が2周くらいした感じはある。現代社会、やはり情報は商品になっている。むしろこの時代よりはるかに商品度は高い。2000年代前半くらいまでのネットの価値観ではあるが、まあ、今も一部の分野、特に趣味の分野では無料になってる面はある。この後、情報についてのT.ストウニアの「情報物理学の探求」という本からの言及がある。ストウニアとこの著作は実在するようだが、現代社会でどういう評価なのかはちょっとわからなかった。忘れられた学者みたいな感じなんですかね。
まじで今の話じゃないの?
哲学の会議室で「かなり痛烈な罵倒用語を駆使」してメッセージを書き込んで去り、夜中に反論の嵐が巻き起こるのを期待している。荒らしかw
バーといっても本当のバーではなくネット上におけるバーである。
ここはバーカウンターにいるような気持ちで人のメッセージを読み、あるいはメッセージを書き込むという、いわば言葉の上でのバーを形成している
2ちゃんのバーボンハウスみたいなもんか。いや、あれは釣られて受動的に行く場所だから違うか。これもパソコン通信で実際にあったやつなんでしょうか。
まあ2ちゃんの雑談スレッドやXなどでなれ合いをしてるような感じだろう。
ここで主人公は、その日の夕方に自分だけが得たとっておきの情報を披露する。その情報が何なのかはまあ表題でネタバレしているが割愛しておく。
書きながら私はぞくぞくしていた。それは渇望していた情報を得たときの快感と対をなすものだった。それはパーフェクトな情報を発信する快感である。
この気持ちに心当たりのある人、手を挙げて! はーい! だからこのエントリーを書いてるんだよ!!
これってつまりバズる感覚ですよね。ネットでバズることの気持ちのよさをこの作者は30年前に理解していたのだ。いくら小説家という職業とはいえ、この感覚を90年代初頭に持っていたのは相当に新しいのではないだろうか。ほんとに深く驚かされた。
主人公の情報は狙い通りにバズり、彼はその日のその酒場での「英雄」となった。
そして翌日、彼は新聞で自分のバズらせた話題の件について読む。ここで新聞というメディアへの評価も非常に今の時代っぽいので引用しよう
こんな感じの印象を新聞(だけでなくオールドメディア全般)に持ってる人多いでしょうなあ。
最初にリモートワーカーの意味を言い切った時点で、うわっすげえと思ったのだが全部読んで、とにかく小林恭二の凄みを感じさせられた。
乱暴な話だが、資料をある程度収集して咀嚼すれば、未来社会がどんな風になってどんなものがあるかは書くことができる。それが30年後の現在と適合していても、ああ、資料よくそろえたね頑張った頑張ったくらいの感想どまりである。しかし、その未来社会で、人がどういう価値観を持ち、どういう欲望をどのように満たそうとして行動するかまで描いたら、そして、それが後世の人間からして違和感のないものであれば、まったく意味合いが違ってくる。
もし、僕が今時の書評系TikTokerのように「30年後のSNS社会を予見したとんでもない短編!!」とか宣伝したら、バズってこの主人公のような「パーフェクトな快感」を得られるだろうか?
参考文献(アフィはないのでご興味あればどうぞ)
https://anond.hatelabo.jp/20250414183529
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環境構築が済んで、脆弱性の例を2個ぐらい見たところまで読んだ
ちょっと読んだ
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Flashが無くなるとは思いもしなかった
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途中まで読んだ
途中まで読んだ
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途中まで読んだ
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面白かった
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読みやすくてためになる本だった
薄くて簡単な本でいいからとにかく終わらせるのが大事だったことにようやく気が付く
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Javaで正規表現を書くとエスケープで訳が分からなくなるのに比べて、Perlは素直に書けるしスクレイピングするのにも便利というイメージがあった
序盤でギブアップ
序盤でギブアップ
結果的にはやりたいことはGUIのソフトウェアを作ったりウェブサイトからスクレイピングしたりだったので、この辺の本を読んですぐに何かに応用できるということもなく、世知辛かった
作者の坂下夕里さんは2024年にも「かんたん合格 ITパスポート教科書&必須問題 令和7年度 かんたん合格シリーズ」という本を出していた
今となっては、物事を人にどうやって教える・伝えるかという部分に興味があるので作者の集大成をこの目で見てみたい
20ページぐらい読んだ
多分ページをめくったりはしてみたと思う
同上
同上
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赤本だね
買っただけの存在
泣いた
これも泣いた
すごくいい本だなと感じた記憶がある
単語を2,3個見た
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ちょっとだけ読んだ
ちょっとだけ読んだ
一応全体に目を通したはず
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「軋轢」という言葉をこの本で知ったということを唯一覚えている
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多分1週間続かなかったと思う
数ページ読んでみて何もわかりやすくないことに気づいて本棚にしまった
数ページ読んだ
ちょっと読んだ
Amazon最古の買い物はこれだった
数学は最初の最初、展開の公式が出たときに「これを覚えるのは無理だな」とひとまずスルーしたら連鎖的に「この問題を解くにはあらかじめ解き方を知っている必要があって、俺はそれを知らないから解くのは無理だな」と数学の全てがわからない状態に陥っていた
この参考書はとても厚いページ数で易しく丁寧に説明してくれていたのだが、それがむしろ数学が分からないのを放置していたことによる負債の大きさを体現しているように見え、諦めるのにそう長くはかからなかった
振り返ってみると、気まぐれでちゃんと勉強するかという気概が出てくる瞬間はそれなりにあった
しかし、一度その行動が途絶えるとそこから途絶えっぱなしになるのが非常に良くない
5分とか10分で良いから本を読む時間を毎日途切れさせずにねじ込むことで、本を読む習慣を保護する必要があったのかもしれない
https://anond.hatelabo.jp/20250414181718
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シリーズ物なのか
今知った
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最初の数ページ読んだ
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タコと猫を混ぜたようなマスコットキャラクターが居て…ってところまでは読んだ
この本を読んでおかなかったのは惜しいな
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短くてさっと読めたような気がする
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作者さんこれ以降一切活動してなくて悲しい
残念としか言えない
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4部作の最終巻
面白かった
この作者の新作はなかったが、なんとリライト(1作目)が実写映画化して今年の夏放映らしい
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続き
https://anond.hatelabo.jp/20250414183837
https://anond.hatelabo.jp/20250414181438
の続き
SFってすげぇなぁと思った
読んで良かった
この辺りで「もしかしてSFってオチを求めるんじゃなくて過程を楽しむジャンルなのか?」と思い始めた気がする
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だいぶ面白いと思ってたはず
今見てみると6巻と7巻が出て終わりなのかな?ちゃんと読んでおきたい
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この頃なろうにハマってた
「死神を食べた少女」がすごく良くて、その流れで買ったんだと思うんだけど記憶にない
目についたレビューが
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電車での戦いのシーンが印象的
このシリーズ、極端な設定が個人的に好みだったんだけど続編ないのね…
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あぁ、これも好きだったな
2021年に最新16巻が出て、続きは出てないらしい
綺麗に完結してるやつが読みたいよ
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もしこれを読んでたら今頃VS Codeに拒絶反応が出てたりしてたんだろうか
未読
割と最近(多分今年)になってこの小説の微ネタバレ食らっちゃって、そんなこともあるのかぁと思った
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5巻で完結してるらしい
読まねば
この頃は野崎まどにハマって一気に読んでた
これより後の新作追わなきゃな
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これも好きだった
過去編で泣いた
長寿だね
こんな苦しい小説なかなかないよって思ったけどそんなこと言えるほど小説読んでないんだったわ
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この本を参照したかは曖昧だけどLinuxでサーバー立ててファイアーウォールの初期設定を済ませるところまではやった記憶がある
そこから先は、何も…
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なんで内容被ってる本を何冊も買ってるんだ
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2,3回参考にした気がする
未読
未読
日本語訳がもう読みづらいのなんのでうんざりしてしまって、原文をあたったほうがマシなんじゃ?と考えた記憶が蘇ってきたが、まったく目を通してない
第2版を当時4383円で購入してるけど、2017年に第3版が出ていて5249円
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未読
未読
未読
未読
未読
キウイの表紙さっきも見たぞ
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序盤まで
なんとかして読もうと精神力を振り絞って枕元に置いたりしてみたけど無理だった
未読
倉庫番を作るところまで
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未読
未読
「Active Directory」が何なのかは今も知らないんだけど、最近割とよく聞く気がする
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Kindle版で当時6819円だったのに対して現在12658円
インストールする→常駐する→結構メモリ食ってて邪魔だなぁ→アンインストールで終わっちゃった
ほぼ倍じゃん
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後年、技術畑じゃない人が書いた英日翻訳をチェックする機会があったときに「Stroustrupはストラウストラップって書きますね」って言えたので、未読で役に立った唯一の本
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結局オブジェクト指向ってなんだ?
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ほんの少しだけ読んだ
RESTってなんだ?
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未読
未読
未読
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山田祥寛さんってグループ名か何かなのかなってぐらいいっぱい本出てた記憶
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あるソフトをVisual C++に移植しようっていう目標が一応あった
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未読
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良い感じに完結してるみたい
見てると意外とこういう古いラノベがKindle Unlimitedの対象になってる
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面白かったと思う
続きは出てない
続き
https://anond.hatelabo.jp/20250414183529
未読
未読
必要だったところだけ読んだら正直物足りない内容で、この数ページを読むためだけに8000円!?となった
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面白いらしい
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途中まで読んだ
途中まで読んだ
数ページぐらい
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最初の例文まで読んだ
途中まで読んだ
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途中まで読んだ
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未読
途中まで読んだ
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途中まで読んだ
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未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
手を作るところまで進めた
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未読
未読
未読
未読
未読
途中まで読んだ
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結構中盤まで順調に読んでたと思うけど、ふとした拍子に生活から「本を読む」って行動が抜けると、そのまま読まなくなったな
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未読
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未読
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ちょっと読んだ
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未読
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未読
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とりあえず一通り目を通したような気がするが、肝心のピアノの演奏が三日坊主で終わったので身についてない
面白くはなかった
面白かった
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面白かった
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
途中まで読んだ
面白かった
未読
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なかなか良かった
未読
未読
未読
未読
未読
知識として定着していない…が、内容はすごく良かった
俺が悪い
続く
https://anond.hatelabo.jp/20250414181718
みなさん、ホントに読みながらちゃんと全文の意味がとれてるんだろうか。
『高い城の男』とかさ。ドイツと日本がアメリカに勝った世界が舞台で、でもそこで、史実に近い内容の小説がベストセラーになってて……みたいなとこはわかるよ?
でも、ナチの将校の誰が歴史改変でどうなってて、そのおもしろみとか全然わからん。日本人の登場人物の話も、今ひとつわからん。イタリア軍人とジョアンナ? だっけの話も雰囲気しかわからんし、高い城に住んでる作家の話も、何が何やらなわけよ。
おもしろくないわけじゃない。ぼんやりとアウトラインはわかるし、なんかおもしろいことは起きてるんだろうなー、とは思う。そこはわかる。
で、文庫解説とか、ネットで検索して出てくるようなレビューを読んでも、細かい説明ないんだもの。「歴史改変もので、作中作で史実に近い内容の本が出てくる点が特色」くらいしか書いてない。あと易の説明とか。そんなんどうでもええねん。全体の構造を解説してくれよー。
そこんとこどうなの?
タイトルだけ見て気になったやつ(読んでない)。
大聖寺川と支流奥谷川の合流地東に位置し、奥谷川上流は橘村。延喜式内社とされる御木神社が鎮座。ミギはミキの濁ったものといわれ(加賀志徴)、江戸時代にはミギとよんでいた(「大聖寺領高辻帳」加越能文庫)。中世には高山寺(現京都市右京区)領右庄が成立していた。正保郷帳によると高一千三四七石余、田方六八町七反余・畑方一四町八反余、物成高五九一石余。ほかに新田高二一〇石余(物成高五六石余)、田方七町九反余・畑方六町三反余。
インド人を右に
横浜は立地もよくてインフラもまあまぁで、税収の割には頑張ってる。けど、地方の税金の再配分に関する国の政策のあおりをもろに受けてて、税収増やす方策を考えないと詰んでる。
企業本社が少なく都内の大型支所とかだけで法人税が少ない。そしてお金持ちの本拠地や別荘地にもならないし、住民税も期待できない。それどころかふるさと納税での流出が大きすぎる。そこでみどり税とかでよけいにお金を取っている。人もこれだけ住んでるのに、都内に通勤してるから労働者も取られるしまつ。千葉とかもそういうところあるけど、工場多いもんね。
ここは、カジノで一発逆転とおもったら、選挙でダイエーのおばちゃん負けちゃうし。
なんか、税収アップの策を考えないと、その他の立地は良いのに行政サービス的にはカツカツ。
川崎の治安が悪くなければ、行政サービス的にはみんな川崎に住むやろ。けど、川崎があるおかげでスラム化してないとも言えるけど。
いずれにしても東京が金融と本社で儲け過ぎなんや。通勤圏内の自治体に子供の給食代とか保育園代くらい出してやってください。働いてんのに、選挙権もなくて、その恩恵得られないのは不公平やろ。頼むよ百合子はんよ。
なぁ、山中はんよ。住民税を沢山収めた世帯の、京急wingのチケット何枚か無料にしてやって、都内の富裕層呼び込んで、鎌倉みたいにうまくやってよ。文庫とか八景とか能見台とかの駅直結の高級マンション建てて。週末は海の公園で波乗りして、三井アウトレットとコストコで買い物させたらええんよ。
『スレイヤーズ』(Slayers)は、神坂一による日本のライトノベルおよびそれを原作とするメディアミックス作品。イラストはあらいずみるい。シリーズ本編は富士見ファンタジア文庫(富士見書房)より1990年1月から刊行され、短編は月刊ドラゴンマガジン(富士見書房)にて1989年10月号から連載された後、同文庫から刊行されている。
『美少女戦士セーラームーン』(びしょうじょせんしセーラームーン)は、武内直子による日本の漫画、およびメディアミックス作品。講談社の少女漫画雑誌『なかよし』で1992年2月号から1997年3月号まで連載された。
1991年初頭、姉妹誌るんるん設立メンバーの小佐野文雄が、なかよしで『Theチェリー・プロジェクト』を連載中の武内直子に「セーラー服の美少女によるアクションもの」を提案し、短編漫画『コードネームはセーラーV』が掲載された[9][10]。
ググりを怠ると恥をかく好例ですね。
はてなー諸氏は「景気は悪い!」と言っているが、個人的には2019年頃からの景気は悪くなっていないと思う。もちろん業界や地域によるところが多いと思うけど。
■前提
・会社の業績が良い。コロナ初期は横ばいだったが、それ以降は連続で増収増益
・ベースアップは3%と若干良いぐらい。だが健康保険料が上がっているので、増えた手取りは数千円ぐらい
・賞与の延びは激しい。2023年通期3ヵ月分が2025年は4ヵ月分に。お陰様で額面年収1000万超えた。労働組合に感謝
・新卒採用ができない(内定辞退率が高い)。来年の初任給は25万円に増えた。初年度は賞与半分だから、年収350万ぐらい?
・20代の離職率が高い。30代以降は落ち着いている。なお20代は年収400万、30代は年収700万ぐらい。最近は賞与高いからもう少し増えてるかも
・持ち家の資産価値が増えた。2017年に6000万で購入した新築のマンションだが、現在の相場で8000万程度。住宅ローンはまだ据え置きだが、ぼちぼち上がりそうで怖い
・アラサーの部下・後輩は、ペアローンで新築1億を買うか、築浅中古を5000万~7000万ぐらいで買おうとしている
・株式投資が順調。5年で3倍。コロナ初期の暴落で買い増しておけば良かった。NISAは、クレカ使って月10万をオルカンで積立中
・甥の就職がすんなり大手に決まった。受けたのは10社程度とのこと。初任給は23万。今って就職活動の交通費出るのね。氷河期世代から見ると隔世の感
・甥のバイトの時給は(都内繁華街の飲食業)は昼で1500円、夜で2000円ほど。これもすごい
・新人が来ない(新人は時給1200円程度)ので、卒業ギリギリまでシフトを入れられてキツイとボヤいている。卒業までに後輩を紹介してくれと店長に泣きつかれたとのこと
■物価高
・スーパーやコンビニは言わずもがな。マイナー品や見切り品を通販でまとめ買いすることが増えた。クレカ主体のポイ活も始めた。自治体のキャッシュレス優遇キャンペーンは神
・都内の居酒屋は、仕事帰りに軽く飲む安居酒屋でも3000円はザラ(以前は2000円程度)。普通居酒屋チェーンでも5000円は見ておかないとキツい
・地方に行くと飲食店の安さに感激する。地代(賃料)の差が大きいんだろうなぁ
・よく本を買っていたので、文庫で800円、新書で1000円、単行本で1800円を超えることにビビる。コロナ中に、サ終やBANのリスクを感じつつも、ほぼ全面的にkindleに切り替えた
■その他
・ホテル代高騰で出張は抑制傾向。リモート会議も普及したしね。出張予算も減らされたが、メリハリできて良かったと思う。
・福岡支社のヤツはこの世の春を謳歌している。東京水準の給料を受け取りながら、物価(主に外食費)・賃料の安い福岡は天国とのこと
我逞兵皆な君に小田原に従ひ微兵を以て対抗する最も難しと為す如ず
主君が不在のあいだに城を攻められ、留守居役の武将が「我らの精兵は主君に従って小田原にいる、残ったわずかな兵で対抗するのは難しいだろう」と言っているようだ。
「東北の藩のわずかな兵をもって明治政府の軍とよく戦ったのには理由があることを知るべきである」といった感じだろうか。ちゃんと「びへい」とふりがながあるので「微兵」であることに間違いない。
「あの大軍に私がわずかな兵をもって立ち向かっても利益はないだろう」といった感じ。
縦令信長請に応せすとも我今軍を出さすんは貞昌か死亡眼前に在り是を救はすして豈弓矢の本意ならんや然れとも微兵を以て大軍に当ること容易に非らす
徳川家康が「たとえ信長が援軍に応じないとしても、私がいま軍を出さなければ(奥平)貞昌の死は目前であり、これを救わなければ武士として失格だが、とはいえ、わずかな兵で大軍に当たるのは容易ではない」と言っている場面。
家康の使者として秀吉に謁見した本多忠勝を、「特に去年の長久手の戦いで、(忠勝は)龍泉寺でわずかな兵を率いて、私の三万八千の大軍を相手に活躍していたときは、すぐに討ち取れと言ったものだが、今はもう講和を結んだので、家康の家臣は私の家臣も同じだ」と秀吉が称えている場面のようだ。
今従兵僅か七八騎に過ぎず。此微兵を以て大敵に向ひ、横死して何の益かあらんや。
桶狭間戦記と似たような文章。四戦紀聞の成立は1705年らしい。
姉川の戦いの場面か。「家康の家臣たちは味方の兵が少なくても朝倉の軍に立ち向かうことをまったく恐れなかった」みたいな感じか。
中国視点で「あまつさえ秀吉は、日本が小国で、兵がわずかであっても大人しくせず、朝鮮を侵略した」みたいな感じか。朝鮮征伐記は1665年の成立だが、だいぶ怪しい史料ではあるらしい。
此度大坂陣長重手エ得ル首級都合十四、是僅ナリト雖モ、長重討死ニ決シ、微兵ヲ以テ粉骨ヲ尽シタル戦功ハ、具ニ上聞ニ達シ公籍ニ載ラレ、且諸侯伯知之所也
「大坂の陣で丹羽長重はそれほど首級を挙げることはなかったが、長重が討ち死にの覚悟を決めてわずかな兵で頑張ったことは、みんなが知っているので安心してください」といった話か。丹羽歴代年譜っていつ成立したんだろ。
大正7年『泗川新寨戦捷之偉蹟』
忠恒公ハ本丸ヘ入此合戦味方纔ノ一千有余ノ微兵ヲ以テ敵ノ百倍ノ猛勢ニ接シ衆寡ノ勢天地懸隔ストイヘドモ其戦略図ニ中リテ一挙ニ大敵ヲ鏖殺ス
朝鮮出兵で「島津忠恒が一千あまりのわずかな兵で百倍の敵を皆殺しにした」という話。
「朝廷に訴えて幕府を残せないかとわずかな兵を挙げて同志を伴って甲州黒駒まで至ったが田安中納言(徳川慶頼)に諭された」でいいのかな。一夢林翁というのは林忠崇という人物のことらしい。
昭和以降は略。
今回は「微兵を」で検索しただけなので「微兵の」とか「微兵たる」とか「微兵にて」とか他にも用例はあろうと思う。
文語調の古めかしい文章には多く登場している一方で、口語としてはまず見かけず、昭和以降ともなるとほぼ古文書の引用とかでしか出てこない、という印象。
ともあれ「徴兵(ちょうへい)」ではない「微兵(びへい)」という言葉がかつて存在していたことは確実で、「OCRの読み取りミスによる存在しない言葉である」と切り捨てるには惜しいのではないかと思った次第。
のっけから申し訳ないのだが、自分は「古事記」を池澤夏樹訳で読んでいない。というか、この池澤夏樹の日本文学全集で読んだ本はほとんどない。しかし、池澤夏樹にはちょっと悪いのだが、リストとして便利なのでダシに使わせてもらった。
自分が最初に「古事記」に触れたのは神代だけを扱った子供向けの講談社青い鳥文庫経由でだ。次に読んだのが確か大学生の頃になる。文芸春秋社の三浦佑之が現代語訳したもので、古老が昔話をする形式で翻訳していた。現代人にはわかりづらいところを語りで補う、初心者に親切なものだった。
さて、内容だが、神話だけでなく、それ以降の歴史時代の記述も面白い。ヤマトタケル物語だけでなく、おそらく戦前は教えられていたであろう神功皇后の朝鮮半島への進軍を知っておくと、昔の人がどんな世界観を持っていたか想像しやすい。権力者の書いた歴史書を鵜呑みにするのは危険だが、歴史の一次資料に(翻刻・翻訳されたものとはいえ)触れるのは非常に楽しい。「学校で習う歴史の出典がこれか!」という素直な驚きがある。
もちろん神話としても面白く、考えてみれば今の皇室は天の住民と海の住民の両方の血を引いているという属性てんこ盛りである。他にも、イザナギノミコトとイザナミノミコトが夫婦生活をする際に「凸を凹に入れて子供を作りませんか?」「それは楽しそうですね」というくだりが何となく好きだ。性に罪悪感がないのがいい。もちろん、最初に生まれた子供ヒルコの描写は、今の感覚では身体障害者差別なんだけれども、後にそれが恵比寿様だということになって崇拝されるようになったのが、何となく流されたヒルコが救われた感じがして、結構好きなエピソードなのだ。捨てられた存在に新しい場所を用意してあげた後世の人の優しさみたいでね。
面白かったので「日本書紀」も確か講談社学術文庫か何かで読んだ。傍論としてさまざまな説を併記しているのが、物語ではなく歴史書の体裁をとっている「日本書紀」の特徴を端的に示していて面白かった。もちろん、これだけでは日本の神話は理解できない。中世の神仏習合や近代の国学、陰陽道などの展開を追わねばなるまい。しかし、その一歩を踏み出せたのはやはりうれしい。
ところで、「記紀」の記述を合わせて池澤夏樹は「ワカタケル」を書いたようだけれど、個人的にはピンとこなかった。「記紀」の文字に書かれたことや考古学的成果の内容とは矛盾しないが、むしろ史実から離れすぎないようにしたため、想像力が少し現実に縛られている気がしたのである。あとは現代中国語の「上に政策あれば下に対策あり」って言葉が引用されていたのに違和感があった。お分かりのように、僕は面倒くさい読者なのである。
「万葉集」は全然読んだことがない。というのも、巻数が膨大なためだ。僕は完璧主義なところがあり、読むならきちんと最初から最後まで読むべきだと感じてしまう。それに詩を読むのなら、一つ一つの詩をきちんと味わって理解したいのである。そうなると膨大な時間がかかり、そこまで詩に興味がない自分としては手が伸びない。ただし、自分にフォークナーを薦めてくれた友人は、「美酒をがぶ飲みするように、次から次へと詩を読んでいくのも贅沢でいいものだよ」とは言っていた。僕の場合、深く刺さった詩は、小説の中のぴったりした場面で引用されたときに出会っているケースがほとんどだ。やはり詩が多すぎると言葉の海に溺れてしまう。
「百人一首」は田辺聖子の解説で読んだ。それぞれの和歌や作者の背景を丁寧に、肩の凝らない文体で説明してくれているので、今でも時々手に取っている。王朝の人物史としても面白かった。田辺聖子とは評価する場所が違うところもたくさんあるけれど、脱線が楽しい。ちなみに、初めて百人一首に出会った小学校高学年のときには、もちろん恋の歌にばかり心が動かされたのである。「しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」。たぶん自分の感傷マゾというか、言い出せない思いをウジウジ、グツグツと自分の中で煮詰めて煮凝りにしてしまう傾向は、この時からあったのだろう。
ところで、王朝文学は世界的に見て女性作家が多かった時期だと聞いたことがあるのだが、調べてみると女性の句は二十一だった。半分くらいだと思っていたのだが、これは女性の句が心に残ることが多かったための錯覚だろう。
「新々百人一首」は未読だ。こうして記事を書こうとしていた時に調べたのだけれど、王朝の歌を二百種に絞って紹介してくれているらしいので、これはぜひ読みたい。昔ほど完璧さにこだわらなくなったし、こういうベスト盤みたいにピックアップしてくれると、きっと散文を好む自分も楽しめることだろう。丸谷才一はジョイスの翻訳で知ったのだけれど、文章のリズムが合ったから今から読むのが楽しみだ。
これらの本はすべて別の訳者で読んだのだけれど、こうして並んでいる訳者にそれぞれ馴染みがあるので、彼らがどのような翻訳をしたのか、ちょっと読みたくなってきた。ちょっと前までは「古典は原文で読んでこそ意味がある」という原理主義的なところがあったのだが、「源氏物語」や「太平記」が長すぎるあまり、開き直って現代語訳で読んでしまったため、最近はそこまで原文にはこだわっていない。今ではいい翻訳がたくさんあるので、普通に現代語訳でストーリーを味わってから、原文を楽しめばいい。このラインアップでは、個々の作家に対しても言いたいことがあるのだが、今回は省こう。
「竹取物語」は、幼いころに聞いた物語の原典を知る楽しみがあった。一番シンプルにされた絵本のバージョンだと、五人の貴公子の物語が省かれてることもあるし。そういう意味では、「御伽草子」なんかもちょっと読みたくなってきたな。
「伊勢物語」は短編集で、古典の授業で東下りを扱ったので前から気になっていた。ただのモテる男の話を読んだって楽しくないかもしれないが、一つ一つがごく短いのでそこまで嫌味ではないし、うまくいかななった恋物語もある。それに、古語で読むから現代日本語で読むのと違ってワンクッションある。僕は感傷マゾだったから、結局は恋の物語が読みたかったのだ。
だが、書かれているのは恋愛遍歴だけではない。「老いぬればさらぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしく君かな」「世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もといのる人の子のため」。ほんとそれな。無理な願いだとわかっていても、大切な人には永遠に生きていてほしい。これらの歌に出会えたのは幸いだった。
なお、これを読んだ後に祖父を亡くしている。ほんとに、人間がいつまでも生きられないのは寂しいことである。なお、これも阿部俊子訳の講談社学術文庫で読んでいる。
他に当時刺さった歌を日記から書き写しておく。「思ふこといはでぞただにやみぬべき我とひとしき人しなければ」(そんな寂しいこと言わないで……)「心をぞわりなきものと思ひぬるかつ見る人や恋しかるらむ」(それな)。たくさんあるのですべては書き写さない。
「堤中納言物語」は「虫愛づる姫君」で有名だけれども、例えば娘ではなくその祖母を連れ出してしまう話だとか、二人の男が誤った相手と契ってしまうとか、慌てて白粉ではなく墨でメイクしてしまう話とか、奇妙な話も含まれている。あとは手に入れることなど到底できないもので作った「ほしいものリスト」である「よしなしごと」とか。どうも物語に統一感がなく、どういう意図で編纂されたのかはよくわからなかった。これは笠間文庫で読んでいる。
「土佐日記」は小学生時代に塾の先生が「男のくせに女の文章で書いたのが紀貫之って変な奴」って紹介していたのでそんな印象がずっと続いていたし(子供にインパクトを与えて覚えさせるためなのと、当時は平成初期なのでこういう言い方をしていたのである)、文学史的にもそういう評価をする面もあるのだが、今は亡き子供の思い出を語る悲しい話なのである。道中の描写も素敵だし、ラストの「この原稿は捨ててしまおう」というくだりが、例え虚構であってもとっても好き。どうも僕は、一人の人間が読者を意識して書いたテキストであるという臭いが好きらしい。だからメタフィクションも好き。これは角川日本古典文庫で読んだ。図書館で借りたボロボロになった古い本だった。三谷榮一訳註。
「更級日記」はかつての文学少女が「源氏物語」をはじめとする文学への憧れを綴っているが、ラストのあたりで「自分の人生はいったい何だったんだろう」と回顧するので、僕みたいな作家になりそこなった文学少年崩れが、感傷的になりたいときなんかにオススメだ。内容をすっかり忘れているのだが、そこばかりが強く印象に残っている。
そして、「物語なんぞにうつつを抜かすんじゃなかった」的なくだりがある癖に、内容が技巧に富んでいるのだが、それはただの未練というよりも、そうした技巧で妄念を鎮めようとしたのやもしれないし、それもまたパフォーマンスかもしれない。小説家になりそこなった僕にはグッサリと深く刺さっている。よく「更級日記」は文学少女の物語だと言われているが、文学少女崩れの物語でもあるのだ。実際、興味深いことに「更級日記」では結婚、子供の誕生、両親の死という重い事柄が、ほとんど触れられていないのである。
それにしても、文学少年や文学少女はとても欲深い。彼らは現世で得られないものを書物の中から得ようとするからだ。そして、創作に手を出すのは、自分の持っていないものを魔術のように作り出そうとする更に深い欲がある人々だ。そして、僕はその欲望を愛していた。
ああ、そうだ。ここまで書いて気づいたのだが、恋だけでない、生きていてふと感じる寂しさを和歌にした作品が、僕はとても好きなのだ。
こういうのは個人のブログでやったほうがいいんじゃないかと思わないでもないのだが、辺境のブログでやってもあまり読者は集まらない。個人のブログを読んでもらうためには、ある程度自分をコンテンツ化する必要がある。言い換えるならば、一定の頻度で、ある程度の品質の記事を、独自色を伴って、継続的に生産し続けなければならない。なかなかできることではない。それに、この動画全盛期の時代に、どれほど文字を読む人がいるだろうか? また、首尾一貫したキャラで書き続けるのも面倒である。
一方、はてな匿名ダイアリーでは、文字を読むのが好きな人が集まっている。また、内容が有益であったり面白かったりすると、きちんと読んでもらえる。虚飾と権威主義真っ盛りの時代にあって、「誰が言ったかではなく、何を言ったか」だけで評価されるという意味では、非常に居心地がいい。もちろん殺伐としているし、暴言も多いが、それを補って余りある素晴らしい点である。有益なまとめを書いたときは褒められ、的外れなことを言えば叩かれ、面白くなければ無視される。残酷だが、内容だけで毎回勝負するのは、文章を書くのが好きな人にとっては鍛錬の場になる。
なお、時折こうして個人的なボヤキを書く。あまりにも古典文学の紹介という話題から逸れ過ぎて、イケメン・モテ男に関する個人的な愚痴になってしまい、読者を笑わせるよりは暗鬱な気分にさせるであろう箇所はこれでもかなり削った。かろうじて残したのは文学に関係する箇所のみだ。
恨みつらみを向けている人や、気に食わない人はたくさんいるのだが、作家以外は実名では論じるつもりはない。名前を出して作品を批判することはあるが、その人の行いに直接何か言いたくなった時はぼかしている。己の負の感情を直視したい一方で、人にネガティブなものをぶつけるのは美しくない。だからせめて、こういう妙な義理を通したいのである。
それでも長い。気に入らなければ読み飛ばしてほしい。ここに書きたいのは古典文学の紹介であり、せめて日常感じていることであり、怨念の垂れ流しではない。ただし前回のように時折脱線しては管を巻くつもりだ。
続く。
昔から私には気の合う同性の友達があまりおらず、女子グループの会話というものを酷く苦手としていた。もう最近では理系の研究室ということもあり、女子と喋ることはほとんどないが、機会があれば大抵適当に笑ってごまかすか、相手がよく喋る子であれば聞き役に回ったりする。
小学生の頃は歩み寄ろうという努力はした。プロフ帳を交換したり、シール交換をしたり、周りの子が読んでいる少女漫画雑誌を買ったりもしてみた。しかし、何が楽しいのかいまいちピンとこず、漫画は陳腐で下世話なものに見えて、より面白い(interesting)のは小説なのに、なんでみんなこっちの話をしないんだろうと思っていた。
自分が好きで面白いと思っていたもの、子供の科学、コズミックフロント、青い鳥文庫やつばさ文庫ではない「大人の文庫本」、国語の読解の考察や三平方の定理、プログラミング、工作、、、これらを共有して一緒に遊べる友達は全くいなかった。一緒にプログラムを組もうと誘ってもすぐにつまらない顔をされるのだ(それはそう)。
この頃は自分と他の人は同じ考えを持っている、という世界観だったので、それが段々とバリバリ壊されていき、自分と他人が違うことを知る毎日だった。共感とは、相手も自分と同じ気持ちであることだと思っていた。誰も自分と同じものに興味を持ってくれず、自分がみんなに合わせてあげているばかりの毎日だった。みんなが笑っているからグッとこないのに私も笑い、KYだ自己中だと言われないように気を払い、頭に浮かんだ意地悪な発言を理性で追い払い、頑張ったのに私は誰とも仲間だとも友達だとも思えず、孤独を深めていった。
夜、寝付けないとこんな風に小学生の頃からの孤独を思い出して勝手に寂しくしている。この思い出を成仏させるにはどうしたらいいんだろうか。
昔から私には気の合う同性の友達があまりおらず、女子グループの会話というものを酷く苦手としていた。もう最近では理系の研究室ということもあり、女子と喋ることはほとんどないが、機会があれば大抵適当に笑ってごまかすか、相手がよく喋る子であれば聞き役に回ったりする。
小学生の頃は歩み寄ろうという努力はした。プロフ帳を交換したり、シール交換をしたり、周りの子が読んでいる少女漫画雑誌を買ったりもしてみた。しかし、何が楽しいのかいまいちピンとこず、漫画は陳腐で下世話なものに見えて、より面白い(interesting)のは小説なのに、なんでみんなこっちの話をしないんだろうと思っていた。
自分が好きで面白いと思っていたもの、子供の科学、コズミックフロント、青い鳥文庫やつばさ文庫ではない「大人の文庫本」、国語の読解の考察や三平方の定理、プログラミング、工作、、、これらを共有して一緒に遊べる友達は全くいなかった。一緒にプログラムを組もうと誘ってもすぐにつまらない顔をされるのだ(それはそう)。
この頃は自分と他の人は同じ考えを持っている、という世界観だったので、それが段々とバリバリ壊されていき、自分と他人が違うことを知る毎日だった。共感とは、相手も自分と同じ気持ちであることだと思っていた。誰も自分と同じものに興味を持ってくれず、自分がみんなに合わせてあげているばかりの毎日だった。みんなが笑っているからグッとこないのに私も笑い、KYだ自己中だと言われないように気を払い、頭に浮かんだ意地悪な発言を理性で追い払い、頑張ったのに私は誰とも仲間だとも友達だとも思えず、孤独を深めていった。
夜、寝付けないとこんな風に小学生の頃からの孤独を思い出して勝手に寂しくしている。この思い出を成仏させるにはどうしたらいいんだろうか。