はてなキーワード: 基本的とは
数字的な規模感
└ https://gijiroku.ai から自主的に利用者が登録課金したフロー
└ 自社営業マンがウェブLPから見積依頼を受領してからの獲得フロー
└ 販売代理店(大塚商会など)が営業して獲得してきた場合のフロー
└ 販売店(Zyxなど)にバルク買いしてもらったアカウントを発行/請求するフロー
圧倒的に販売店フローがでかいです。今後さらに比率デカくなるとと思います
注釈: 現在爆発的に増加中のこの販売店フロー誕生の秘話をご理解くださいまし
なぜこれほど高速に数字が上がるの?
ざっくりと的を得ていうと
広告費が欲しくて仕方ない広告代理店の欲を利用し、アカウント獲得のノルマを達成するために作り上げた販売店バルク買取モデルです。
スライド 3/12: プロモーション施策を”確実”に数字が上がるには?
どこの会社も同じような提案をぶつけてきた。どこも受注が欲しくて仕方ないが提案内容は横並び。(うちの広告が最高ですという一般的営業)
じゃあどこと取り組むかをオルツにとって最も都合の良い相手とはどこかを考えた
【結論】 プロモーションにより売り上げ数字を保証してくれる広告代理店がベスト
という考えを拭い去って40社一斉アタック開始!
年間売上10億円を目標値としてどのような取り組みができるかを模索開始!
これが実現できれば
広告代理店は売り上げに結びつかないような無駄なプロモーションができない
売上が広告代理店との契約時に目標数字達成できる(売上計画の達成率が異常に高くなる)
年間広告予算を2億円とし、10億の売上を確実につけることを目標とした。
(通常のアフィリエイト広告だと広告費の回収期間は6ヶ月がミニマムと考えると猛烈に好条件となる)
上記が成立した場合広告費は合計12億円利用できる(10億円売上+2億円広告費)
つまり広告予算規模としては大企業並みとなる(最良クライアント扱いになる)
結果は
OKの会社が5社ほど出現!(それが現在の広告発注先となる(ADK等))
未達時の買取の仕組みが広告代理店には機能として存在しなかった(広告手数料ビジネスのため)。
そのため協力会社を探し当てる
ノルマ未達時には、ADKが販売店(Zyxなど)に(買取を)委託。
販売店にてオルツからノルマ分のライセンス買取(これをバルク売と読んでいる)
というフローとなった。
これにて
広告代理店は売り上げに結びつかないような無駄なプロモーションができない
売上が広告代理店との契約時に目標数字達成できる(売上計画の達成率が異常に高くなる)
がめでたく成立!
賭け事的ににならざるを得ないプロモーション活動が計画的になる
販売店によるアカウントの強制的な配布が発生するため商品の知名度が必然的に爆発的に向上
販売店フロー含めたKPIを設計することで一般的SaaSサービスのKPIを圧倒的に凌駕した数字を組み立てられる
販売店の関係が超絶に密接となるため、通常時間と信用が必要となるパートナー関係が最速最短で構築される
このモデル自体がサービスの垂直立ち上がりを実現しうる。そのため以降のサービスもこの手法を使えば垂直立ち上がりが可能
(図解:altがADKに広告出稿(1.2億)し、ADKは売上目標(1.5億)達成のため活動。未達分(-3000万)はADKが販売店Zyxに買取委託。Zyxはaltからアカウント買取(+1000万)し、エンドユーザーへ配布するフロー)
最大のリスクは広告費と売上が連動しているため、利益化に転じるのには時間がかかる
(利益化に転じる要素はアカウント流布により知名度が向上し自然流入が増加すること。)
(当初は本取引は20%の支出を予定していたが販売店との交渉により現在は10%以内に。2022年度は5%以内に抑えることに成功。)
広告費と売上が連動しているため、「下手な説明をすると売上と相殺処理される」リスク
この点については既に公認会計士に確認済みで「両者間取引であるという説明をしなければ基本的に別々の取引であり売上計上するのが普通の判断」と説明受諾済み
上記2点の説明が難解のため「監査法人」と「外部投資家や証券会社」などへの説明は難解である。
また頭の硬い人には悪い印象を持たれるため本件の全体像は社内でも限定した人にのみの公開としている。
月次で大きな金銭が両者で動くためキャッシュリスクが持続的に内在
あくまでこれは一時的アイディアにすぎません。一緒に考えていただき本来のこのモデルの魅力を弱点を包括して説明できればと思ってます。
なぜ強力に数字に達成されていくのか?
より詳細には、各販売店の得意な領域での販売における卸値価格の圧倒的割引を認めている(通常8割→強力な販売店には6割で卸す)。(※事実)
卸値価格の優位性
販売時の強力なパートナーシップ(各種戦略立案からシステム連携まで自社営業並みに対応)
販売店活動含めた数字達成のためのプロモーション戦略を0から考えて取り組んでいるため
実現したい錬金術
(図解:成長計画)
年
売上
2021
10億円
200億円
40億円
2022
30億円
500億円
80億円
7:3
2024
100億円
1500億円
100億円
2026
500億円
5000億円
200億円
4:6
2028
1000億円
10000億円
400億円
(emethの成否は人材投入次第) (シリーズA 40億円?)
ものすごいざっくりですが
上記のような資金調達と企業価値と売上のサイクルを構築して1兆円を最速で実現したい
appendix
目的:
課題:
現状整理:
広告代理店と販売代理店は別々に契約しており、かつ販売代理店の契約にはノルマ未達の際の買取に関する記載がない。
そのため、それぞれの代理店とは独立して会計処理することが可能。
通常の広告依頼であり**「広告宣伝費」**として会計処理が可能。
卸売価格にて包括的に販売しており、その先のユーザーがアカウント発行を行っている。
ノルマ買取を話さなければ通常の販売代理店への販売となり、会計上の根拠はアカウントの発行を伴うことで説明が可能。
(例:3000ユーザー分を販売した場合、仮に実需が2000で残り1000が買取分でも、監査法人は契約に記載がないため内訳は不明。)
数字的な規模感
└ https://gijiroku.ai から自主的に利用者が登録課金したフロー
└ 自社営業マンがウェブLPから見積依頼を受領してからの獲得フロー
└ 販売代理店(大塚商会など)が営業して獲得してきた場合のフロー
└ 販売店(Zyxなど)にバルク買いしてもらったアカウントを発行/請求するフロー
圧倒的に販売店フローがでかいです。今後さらに比率デカくなるとと思います
注釈: 現在爆発的に増加中のこの販売店フロー誕生の秘話をご理解くださいまし
なぜこれほど高速に数字が上がるの?
ざっくりと的を得ていうと
広告費が欲しくて仕方ない広告代理店の欲を利用し、アカウント獲得のノルマを達成するために作り上げた販売店バルク買取モデルです。
スライド 3/12: プロモーション施策を”確実”に数字が上がるには?
どこの会社も同じような提案をぶつけてきた。どこも受注が欲しくて仕方ないが提案内容は横並び。(うちの広告が最高ですという一般的営業)
じゃあどこと取り組むかをオルツにとって最も都合の良い相手とはどこかを考えた
【結論】 プロモーションにより売り上げ数字を保証してくれる広告代理店がベスト
という考えを拭い去って40社一斉アタック開始!
年間売上10億円を目標値としてどのような取り組みができるかを模索開始!
これが実現できれば
広告代理店は売り上げに結びつかないような無駄なプロモーションができない
売上が広告代理店との契約時に目標数字達成できる(売上計画の達成率が異常に高くなる)
年間広告予算を2億円とし、10億の売上を確実につけることを目標とした。
(通常のアフィリエイト広告だと広告費の回収期間は6ヶ月がミニマムと考えると猛烈に好条件となる)
上記が成立した場合広告費は合計12億円利用できる(10億円売上+2億円広告費)
つまり広告予算規模としては大企業並みとなる(最良クライアント扱いになる)
結果は
OKの会社が5社ほど出現!(それが現在の広告発注先となる(ADK等))
未達時の買取の仕組みが広告代理店には機能として存在しなかった(広告手数料ビジネスのため)。
そのため協力会社を探し当てる
ノルマ未達時には、ADKが販売店(Zyxなど)に(買取を)委託。
販売店にてオルツからノルマ分のライセンス買取(これをバルク売と読んでいる)
というフローとなった。
これにて
広告代理店は売り上げに結びつかないような無駄なプロモーションができない
売上が広告代理店との契約時に目標数字達成できる(売上計画の達成率が異常に高くなる)
がめでたく成立!
賭け事的ににならざるを得ないプロモーション活動が計画的になる
販売店によるアカウントの強制的な配布が発生するため商品の知名度が必然的に爆発的に向上
販売店フロー含めたKPIを設計することで一般的SaaSサービスのKPIを圧倒的に凌駕した数字を組み立てられる
販売店の関係が超絶に密接となるため、通常時間と信用が必要となるパートナー関係が最速最短で構築される
このモデル自体がサービスの垂直立ち上がりを実現しうる。そのため以降のサービスもこの手法を使えば垂直立ち上がりが可能
(図解:altがADKに広告出稿(1.2億)し、ADKは売上目標(1.5億)達成のため活動。未達分(-3000万)はADKが販売店Zyxに買取委託。Zyxはaltからアカウント買取(+1000万)し、エンドユーザーへ配布するフロー)
最大のリスクは広告費と売上が連動しているため、利益化に転じるのには時間がかかる
(利益化に転じる要素はアカウント流布により知名度が向上し自然流入が増加すること。)
(当初は本取引は20%の支出を予定していたが販売店との交渉により現在は10%以内に。2022年度は5%以内に抑えることに成功。)
広告費と売上が連動しているため、「下手な説明をすると売上と相殺処理される」リスク
この点については既に公認会計士に確認済みで「両者間取引であるという説明をしなければ基本的に別々の取引であり売上計上するのが普通の判断」と説明受諾済み
上記2点の説明が難解のため「監査法人」と「外部投資家や証券会社」などへの説明は難解である。
また頭の硬い人には悪い印象を持たれるため本件の全体像は社内でも限定した人にのみの公開としている。
月次で大きな金銭が両者で動くためキャッシュリスクが持続的に内在
あくまでこれは一時的アイディアにすぎません。一緒に考えていただき本来のこのモデルの魅力を弱点を包括して説明できればと思ってます。
なぜ強力に数字に達成されていくのか?
より詳細には、各販売店の得意な領域での販売における卸値価格の圧倒的割引を認めている(通常8割→強力な販売店には6割で卸す)。(※事実)
卸値価格の優位性
販売時の強力なパートナーシップ(各種戦略立案からシステム連携まで自社営業並みに対応)
販売店活動含めた数字達成のためのプロモーション戦略を0から考えて取り組んでいるため
実現したい錬金術
(図解:成長計画)
年
売上
2021
10億円
200億円
40億円
2022
30億円
500億円
80億円
7:3
2024
100億円
1500億円
100億円
2026
500億円
5000億円
200億円
4:6
2028
1000億円
10000億円
400億円
(emethの成否は人材投入次第) (シリーズA 40億円?)
ものすごいざっくりですが
上記のような資金調達と企業価値と売上のサイクルを構築して1兆円を最速で実現したい
appendix
目的:
課題:
現状整理:
広告代理店と販売代理店は別々に契約しており、かつ販売代理店の契約にはノルマ未達の際の買取に関する記載がない。
そのため、それぞれの代理店とは独立して会計処理することが可能。
通常の広告依頼であり**「広告宣伝費」**として会計処理が可能。
卸売価格にて包括的に販売しており、その先のユーザーがアカウント発行を行っている。
ノルマ買取を話さなければ通常の販売代理店への販売となり、会計上の根拠はアカウントの発行を伴うことで説明が可能。
(例:3000ユーザー分を販売した場合、仮に実需が2000で残り1000が買取分でも、監査法人は契約に記載がないため内訳は不明。)
面白そう、というよりはオリンピックの開会式/閉会式みたいな感じだ。つまり、どうなるかを確認したい、というタイプの関心における
最上位として、本当に見たい。
まず、芸人的に言ったら、これ以上ないぐらいにフリと緊張が利いてる状況だと思う。日本一の(だった)コメディアンのコンビが、
スキャンダルと休業明けに、何を言うのか。しかも条件は笑わせること。これって、エンターテイメントって分野における一つの挑戦だと思う。
必ずしも、この挑戦が成功するとは限らず(おそらく、失敗すると思う)、というか、結果はどうでもよくて、ダウンタウンと、
これを支える周囲のブレーン、業界の最精鋭たちが、何をもって「答え」とするのかに興味がある。
あと、たぶん、ここまでのビッグタレントの再起というイベントは、政治の世界を除けば、日本では二度と起きない可能性が高いと思う。
いまは娯楽のチャンネルが多すぎて、国民全体でここまで認識されているタレントというのが、もう構造的に生まれないのでは、と思うし、
その人物が20代の頃から還暦まで一つの国の最前線に良くも悪くも存在し続ける、ということも、もう起きないだろう。
だから、このレベルのイベントは、当事者本人の資質も、それにまつわる前フリも含めて、日本では二度と起きない気がする。
俺は、芸能というのは戦略で消費者の感情を制圧する攻撃であり技術だと思っている。だから、この二度とないかもしれない
シチュエーションに対して、この業界における日本という国の最前線が「これが答えです」と言って出してくるものがなんなのか、本当に見たい。
大げさに言えば、日本の芸能界という一領域が、人間という存在をどう考えているか、回答案を出すんだと思っている。
繰り返すけど、結果は正直どうでもよくて、単に、どうなるかに関心がある。オリンピックの開会式に近い(例えとして人によるだろうか?
俺は東京オリンピックの開会式を同じ動機で見て、結果としては、基本的に半笑いをずっと浮かべることになった)。
たぶんダウンタウンチャンネルは失敗するだろうと思う。ダウンタウン自身もここ10年くらいずっと面白くなかったし、企画としてはだらだら
低空飛行して、5年くらいで終わるのではないかと思う。でも、一回目だけは本気で興味ある。
あんまり関係ないが、「ガキ」の初回のオープニングは、若かりしダウンタウンの二人が歩きながらスタジオに向かうというものだった。
小4の娘が言葉が苦手。
語彙がとにかく少ない。
会話の半分くらい奇声を上げてる。
https://x.com/mori_arch_econo/status/1916305363441451325
https://x.com/colecameron/status/1915653555471737154
の転載
東京在住ニュージーランド人、コール・キャメロン氏による大阪万博への酷評。
--------------------------------------------------
筋金入りの万博オタクの俺は、これまでも世界中を駆け巡って、人間の創意工夫と文化を鮮やかに表現する様を目撃してきた。
上海万博2010の都会的なスペクタクル、麗水万博2012の海辺の魅力、ミラノ万博2015の活気あふれる雰囲気コロナ禍のパンデミックのせいでドバイ2020行かなかったんだけどな。
2025年の大阪万博は、俺にとっての究極のラスボス。キッチリしてる国、おもてなしの国。日本が誇るハイテクを駆使した素晴らしい万博になってるもんだと思ってたんだ。何ヶ月も前からXでもガンガン大騒ぎし、1年前からチケットを確保。俺のオタク魂は、期待度がどんどん高まっていたよ。
ところがだ、2025年の大阪万博は、すべての可能性を全否定、無駄のお手本、マジイライラするものだわ。退屈でくっそつまんねえ、俺がいままで万博に期待してたもの、そのすべてを裏切るものだよ。
まあ、私の愚痴を聞いてくれよ。
(1)デジタル全滅万博:ダイヤルアップ時代に逆戻りしたような世界
新幹線とロボット専門家はじめ技術があるはずの日本が、なぜか2005年の頃のような(20年前のような)、時代遅れのデジタル体験をさせられたぜ。俺の話を聞いてくれ、万博会場内じゃ、4つの別々のアプリを使わなきゃならない。しかも、どれもバグだらけで使えたもんじゃねえ。
メインアプリは、見た目だけのただのウェブページで、ブラウザの「戻る」ボタンすら付いてなかった。万死にあたるとはこのことだ!なんでまた、画面をスクロールしていくのは、まるで泥沼の中を進むようだった。俺は技術者として素人じゃないけど、これは悪夢だった。ウォークマンを発明したような国が、どうしてこんなにも基本的なアプリデザインをずさんにしてしまうか?不思議でならんよ。
俺は計画を立てたい人間なんだよ。旅程を組むのは本当に楽しい。過去の万博でも、そのおかげで完璧なスケジュールを簡単に組むことができてた。それがだ、2025年の大阪万博はどうだったか?というと、まさに、わけのわからん重労働。万博の予約サイトは、あらゆる人にとって迷路。すべての情報をごちゃ混ぜにした迷宮、まるでデジタル版ピタゴラススイッチだよ。わけもなく無限に複雑だった。
先週、まるでルーブ・ゴールドバーグ・マシン(ピタゴラスイッチのことだよ)と格闘しているようだとツイートしました。完全にお手上げになった俺は、もうこれまでの万博の知識に頼って、現地で臨機応変に対応することにしました。これがまさに、俺としたことが初心者並のミスだった。
上海や麗水、ミラノでは、回る順番を決めて戦略的に列に並べば息を呑むほど美しいパビリオンに入場できたんだけど、大阪万博のシステムではオンライン予約そのものが最初の難関。
ステップ 3: そして「クールな」パビリオン、コンサート、あるいはまともな食事の抽選に応募。
ところが、ここで抽選だ! 話題のパビリオンや展示の予約枠を追いかけて、何時間もアプリを延々と更新するはめになる。パビリオン予約の「空いている」はずの枠は、全部クリックした瞬間に消えてしまう。
しゃあないと、コモンズ館に行くと、予約はいらんけど二流のブースに閉じ込められることになった。それは、もう、まったく魅力のないどころか、見せかけの、見本市や展示会のただのブースだった。それなりに待てば入場できた、ミラノ万博の見事な「生命の樹」や、飛び入り参加可能だった上海万博の「中国館」と比べればわかる。
大阪万博の予約サイトの仕組みは、万博会場に到着する前に、みんなの心を折るように設計されているんだよ。まったく。
大阪湾の人工島、夢洲に足を踏み入れた俺は、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマにした未来的なワンダーランドを想像していたんだ。ところがだ、その夢はもろくも崩れ去ったよ。実際には、ただただ過密状態、それが全てという、なんの魂もこもっていない企業展示会のようなものに遭遇してしまった。
会場レイアウトはごちゃっとしたまま、パビリオンはあちこちに散在して、案内の看板はまばらにしかない。至る所に人の動きをせき止めるボトルネックがあったぞ。コモンズ館でのぞいたほとんどのブースは、流行のキャッチフレーズや標語と、パワーポイントのスライドが映し出されるだけで、いいかげんなものだった。万博における文化の深みはどこへ行ったのか?そんなものは全く感じられなかった。
レストランは事前予約をしていないと入れないし、食事は、ぼったくりだった。道頓堀のフードホールで800円で買えるようなスモールピザセットに2000円も払ってしまったよ。
俺が一番悲しいのは、日本は本当はその期待と責任に答えるることができたはずななのに、ということだ。新幹線、スタジオジブリ、そして寿司を運ぶロボットの国、日本は世界へそのラブリーな魅力を発信するべきだった。
ところが、2025年万博はクソ官僚主義といいかげんさで、なにもかも頓挫してしまった。2010年の上海万博は世界的なビジョンで人々を魅了し、2012年の麗水万博は海洋イノベーションで人々を魅了した。2015年のミラノ万博は、食と文化を華やかに融合させた。それに対し、大阪万博は、最悪の欠点ばかりが目立ち、その魅力が消え失せてしまった。
(5)最終判定:とりあえず今持ってる円を使うな
2025年の大阪万博、俺は本当にそれに夢中になりたかったよ。でも、ひどいデジタルカオス、チケット予約地獄、そして退屈なアトラクションの数々を考えると、それは無理だな、断固拒否。
もう万博は諦めて、大阪の真のスター、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンへ行こうぜ。あんなに楽しい体験をするために(万博予約のような)兵站の博士号並の知識も準備も必要ない。
むしろ東京に来た方がいい。東京は毎日が巨大な万博みたいなもんだ。
在宅勤務でサボりまくり、サボれないとぶつぶつ文句を言う。基本的にはスマホでゲームをしながらタバコを吸っている。深夜まで動画を見て、そのまま寝落ち。早朝5時頃寝室にきて、そのまま10時頃まで爆睡。これ、人生楽しいの?
37歳おっさん。身長168cm、体重52kg。BMI18.6、体脂肪率12%前後。
一年くらい前に「30代おっさんのダイエット術(https://anond.hatelabo.jp/20240526191011)」を書いた。
魚では一番食べてる。
近所のスーパーだと8匹で298円とかなのでコスパがいい。栄養価にも優れている。
煮るかパスタにするくらいしか調理のレパートリーがないのが玉に瑕。
250g400円くらいで売ってるのでよく買う。
しゃぶしゃぶ用だけど基本何にでも使ってる。
こんぶ、煮干し、鰹節を放り込んで、小松菜みたいな葉物を入れて、豆腐か卵を入れる。
毎日2パック食べてる。
キムチと混ぜて食べると更に美味さが増す。
芋類以外はだいたい食べる。
買い出しの時に必ず一つは買うようにしてる。
ブルガリアヨーグルトの脂肪0を朝晩2回必ず食べてる。
脂肪0が売り切れてて普通のやつを買わざるを得ない時の屈辱感は異常。
月に1回、成城石井で無塩のやつを15袋くらいまとめ買いするのが習慣。
平日は朝早くに一杯飲んでから出社するし、休日はドライブついでに飲みに行く。
だいぶ前に「スタバのコーヒーの排便力が桁違いな件について(https://anond.hatelabo.jp/20240629161932)」を書いた。今もモリモリ出る。
昔はちょくちょく食べてたけど、ダイエットを始めてからは基本食べなくなった。
間食自体ほぼしない。
これも何年も飲んでない。
たとえばマクドナルドの店舗に入ろうとすると、油臭い空気の壁を感じて肌がヒリヒリしてきて、そもそも入れなくなった。
「たまには食べたいな」と思う瞬間はあるけど、店舗の近くに来ると食欲が失せる。
自炊では基本的にしないし、外食もしないので、もう何年も食べてない。
揚げ物の何が美味しいのか最近では思い出せなくなってきた。
月1くらいで食べてる。2人で400gくらい。
赤身だと謳われてはいるけど黒毛和牛なのでそこそこサシが入っている。美味しい。
カロリーは米の量で調節する。
月1くらいで買ってくる。大福とか、よもぎ餅とか、おはぎとか。
ご飯の代わりに食べて調節してる感じ。
普通のお茶碗の一杯が150g、普通の人が無自覚に食べてるのが180gくらい。
痩せたい時は100g、現状維持は120g、太りたい時は150gみたいな感じで調節してる。
ご飯が少なくても野菜食べとけば満腹感は得られるし、エネルギー密度の低いものを沢山食べた方が痩せると思う。
大食い系YouTuberを何人かチャンネル登録して、毎日見ては「こいつらこんなもの食べててやべーな」という感情を抱くようにしてる。
街中でカロリー高めなものを売ってる店が視界に入った時「食べたい」より「やべー」が先に来る状態を保ってる。
最近は「やべー」からさらに先鋭化して「気持ち悪い」になりつつある。
行きすぎると友人や同僚にそういう目を向けそうで内心ヒヤヒヤしている。
体重計の項目で太ってるか痩せてるか一番わかりやすいのが内臓脂肪レベルだと思う。
体重や体脂肪率は毎日大きく変動するけど、内臓脂肪レベルだけは実直に前日の食生活を反映する。
一日の摂取カロリーを1500kcalくらいに抑える食生活に慣れてしまえば、痩せることは簡単。
ただ食事制限だけだと体脂肪率が体感12%を割らないので、それ以上絞ろうと思うと運動が必要になってくる。
自分の指標は痩せてるかどうかだけなので、今の自分が健康的にどうなのか正直よくわからない。
その通り。なので万博にマルシルのコスで行って、その結果グリーティングみたいなのが起きてもOK
じゃあ自分をマルシルの人として売り出すために見える行為は全部アウトでは? とややこしい
「二次創作と一次創作が対等にコラボする世の中になれば、もっといい世界が」
爆心地
④「九井諒子先生だって、きっと~」と自らを許す風のお気持ちの推測を発表
爆心地
爆心地
⑥私は最高のコスプレイヤー
私がマルシルで行って万博を盛り上げてあげたのに
みんな、いろいろな事件で凝り固まった古い価値観で、変化が怖いんだね
みんな、私に嫉妬してるんだね
(と思ったら)そのツイは消したからもうそっちも消してください
…などなど
─────────────────────────
問題無し
②「と思ったら、パブリシティ権を侵害するものは別とあった」について
これは線引きが変動しすぎるので、少し置いておく
端的に言うと「マルシルの万博旅行記 万博完全解説」みたいなコス本(万博があったから出来たもの・空間、をメインにした商品)を出さなければよさそう
ちなみに少しでも五○でやると秒で来る ○輪は文字列すら来る だからどのメディアでも「スポーツの祭典」なんてふにゃけた表現にとどまっている
「二次創作と一次創作が対等にコラボする世の中になれば、もっといい世界が」について
問題あり
なぜなら、様々なダンジョン飯コラボ企画は、版元と使用したい企業間で金銭のやり取りの結果承認されているから
使用したい企業は版元に数百万~数千万の使用料を払うのが普通(そもそもアニメビジネス・キャラクタービジネスとはそれら使用料がメインの利益モデル)
※これは何もひどいことではない
※これはルールを守って商売している人たちの、実業界で連綿と続く通常のやりとりである
タダ乗りかつ事後承諾を求める二次創作者を許していたら、真っ当な手続きを経て関係を気付いた取引先と企業間トラブルになる
※ 「ちゃんと使用料を払ってくれている人たちを守るために、示しがつかない」ということ
※企業はとにかく企業間トラブルが嫌い 一番嫌い 起きる可能性が起きる可能性が発生しました、ってだけでももう本当に嫌
なので何らかの対応をするかしないか」という検討が入るだけでも大変迷惑
そもそも著しくルール無用な人が発生しなければ、このどう転んでも版元にとっておいしくない検討は発生しないから、うんざり
④「九井諒子先生だって、きっと~」と自らを許す風のお気持ちの推測を発表について
論外
個人的に関わってきた範囲では、一次創作者は大変真剣で、その真剣さが厳しさとなっている人が多い。後述
⑤「普通にアニメ版の文字をコピペしたグッズを受注生産していた」について
当人は 「版元にツッコまれてないから許可されている」理論を使っていた
訴えられたら100%黒というものを取り締まられていないから黒じゃない、はかなり危険思想
(100%黒というのは、2005年のコナンの同人誌の示談に詳しい)
他の二次創作者の同人誌やskebなんかも実際白黒で言えば同列なのだが、とはいえ「看過できない拡声器行動をしているかどうか」の段階刻みも当然にある
例えば、
ガラガラの法定速度60kmの道を、時速65kmで走っていても白バイは基本的に見逃すだろう
もっとヤバイ車が走る可能性に備えて、割けるリソースの中で優先順位があるからだ べつに+5kmなら市民大混乱というわけでもなく
しかし法定速度60kmの道を、時速180kmでかっ飛ばしているのがいたら看過するわけにもいかない
普通なら轢かれない人が轢かれる可能性が、65kmのときの何倍か知れない状況だからだ
取り締まらないと、過去に80kmぐらいで取り締まった人たちに示しもつかず、そういう人たちからブーイング浴びること必至なので
そういう「程度の問題」がある
今回の件は180km暴走レベルに踏んでいる 市民から通報が入るのは普通
しかし、何か集団を勝手に代表して語ったり、自分の声の大きさが好きな人のようなので、停止ボタンとボリュームの壊れた拡声器
一次創作者や立場を弁えている二次創作者は、一言釘を刺したくなるのも普通の間隔だと思う
○個人的に
新規IP冬の時代なんてのは10年以上前から言われているが、それぐらい一次創作がヒットに至る可能性は低い
単に確率の問題ではなくて、それらはすべて人生を賭けるようなコミットの果てに起きるチャレンジである
二次創作での人気者が一次創作を始めたらまったく数字が出ず、すぐに畳んでしまう、無かったことかのようにふるまう…というのもSNSが長い人ならたびたび見てきただろう
すでにヒットしているすごい作品を盛り上げるのと、まったく誰も知らないキャラ・世界観・ストーリーを好きにさせてハマらせて軌道に乗せるのは、難しさの桁が違うのだ
なので、それを作りあげることは偉業であり、その偉業を成し遂げた原作者は尊重される
事実を語ってしまうと、恐らく夢を壊すぐらいに版元の監修が厳しい
もう冷えっ冷えの精査が毎回行われる 版元がIPの品質を維持できる腕前にないと判断したクリエイターは容赦なく即外される
原作者および広義の版元が「奇跡的に、やっと当てた」作品=成果物に、軽い気持ちとそれ由来の低い品質で泥を塗られて急転直下の生活破綻しないための真剣なチェックだ
それがわかっているから、権利使用の公式仕事クリエイターも原作者および版元に敬意を払い、厳しい監修に耳を傾ける
世の二次創作者(即売会やskebで活動している人含む)も、公式二次創作の現場を見たら肝が冷えるだろう
まさかこれほどまでに厳しいとは、自分たちはどれほど甘い場所で金銭を受け取っていたのか、と
実業界では、そのルールを無限ではない限られたリソースでどういうケースに優先的に適用していくかが商習慣
「法的に訴えられてないから許されている」という主張は、商習慣の観点から「そんなことはない」というものが多い
「疑わしきは罰せず」のような思考は裁判という局所的な場面でのルールで、実業界では違う定規を当てて「それは通らないよ」とすることも全然アリだからだ
狭義で許されていても、広義で許さないは当たり前の選択肢である
(昨今なら、ポ○モンに酷似したものを出した某ゲーム会社の顛末がわかりやすい)
また、自分が自分の想像力で迷惑をかけていないと思っていることでも、それは想像力が及んでいないだけのことも多い
(今回の件で言えば、「あのマルシルどうしましょうか」と版元内や公式許諾先内で1言ぼやきが出るだけでもう迷惑が発生している。超忙しい中で)
法も商習慣も、守っていくべきだ
作品やキャラが好きなら、何も自分の経済活動に結びつける必要はない
「マルシルの人として、世の中で一角の人物になりたい!」みたいな野望を持たず、コスやら同人誌やらグッズやらで存在感を示そうとしないでも「好き」は達成できるはずだ
好きが勢い余ってこっそり表現物になることぐらいは、版元だって見逃し続けてきた事実がある
しかしそれは野望(時速180km爆走)でない限りだ
野望を持つなら、それこそ綺羅星のごとく輝く数多の一次創作のように、自身も一次創作で挑むべきだろう
なんかここ数日モヤモヤしたので記す
4月18日公開の劇場版「名探偵コナン 隻眼の残像」が10日間で観客動員430万人に達し、興行収入63億4000万円を突破したというニュースを見た。今回で第28弾だが、映画初だった「時計じかけの摩天楼」の興収はの合計は約11億円だったから、とんでもない急成長なのだろう。
さて先日40くらいの水商売の女性がここ数年女友達とコナンを観に行くのが年中行事になっているという話をしてくれた。実際、女性ファンの急増加は僕の肌感覚的にも合致していたので、その理由を考えてみた。
コナン映画ほど平成と令和の断絶を表象しているシリーズは珍しいと思う。これは通年必ず上映されているので分析しやすいだけでなく、「名探偵コナン」という作品の本筋はあくまでも漫画、映画はあくまでも傍流にあるというはっきりとしたスタンスがあるので、世間のトレンドに合わせやすいからだろう。わかりやすく言うと、小五郎のセクハラ発言が減り、喫煙シーンは皆無になった。
90年代〜00年代初頭のコナン映画、たとえばベイカー街の亡霊や14番目の標的にみられるように、基本的には、ひとつの大きな謎に挑む個人(コナン、少年探偵団などたち)と、犯人或いは世界全体を賭けた知恵比べという「個と世界の対決」が軸だった。しかし変質していく。令和のコナン映画では、犯人にも事情やドラマがあり、「ただの悪人」では済まされないことが増えた。「黒鉄の魚影」は、公安・FBI・黒の組織がそれぞれの「正義」がぶつかり合うようになった。
これが際立つようになったのは、「能力主義」が極まった点にある。本編にハイスペックな大人たち(安室透、赤井秀一ら)の存在感が高まったことで、少年探偵団が無力化していった。灰原哀も加えれば、安室・赤井といった超人だけで世界が動くようになった。令和の映画は、「一般人の成長」とか「みんなで協力」とかは描かない。「天国へのカウントダウン」で灰原を「ご飯一粒」に例えた元太は声だけは大きいものの空虚になり、光彦はその副役であり、歩美ちゃんに至ってはご飯一粒ですらなくなっている。
昔は少年探偵団でも、ちょっとした活躍が描かれた。子供でもがんばれば大人に勝てるという夢が確かにあった。しかし令和以降のコナンで必須なのは、探偵バッジを使った素人の「ごっこ」ではなく、専門家集団によるプロの追跡、爆発回避、ハッキング、格闘、狙撃といった映画の華だ。元太は安室透にはなれない。 「努力すれば報われる」ではなく、「生まれつき強い奴しか勝負の土俵に立てない」という令和においては自明の感覚が、むき出しのエンタメとして昇華されている。超ドライでリアリズムなシンクロ現象を無批判に楽しんでいるのが、430万人の大勢ということになる。
話を進める。何故女性に人気になっているのか。
かつてはサブテキストだった恋愛要素が、映画の「目玉」になっているのが第一だろう。
「平成コナン」は、新一(コナン)と蘭、キッドと園子の恋愛感情は、ほのめかしくらいだった。コナンの正体が新一だと蘭にばれるのではないかというハラハラも含め、読者に想像させる余地もあった。しかし令和は、新一×蘭のキス、安室の「君だけだよ」みたいに、あからさまなファン向けのサービスシーンが出てくる。これは、現代の「推し活」市場、つまりファン需要を直撃する供給する市場に、演出が傅いている。恋愛は物語の自然な副産物ではなく、「売るための商品」になったのは如何にも令和的だ。
やや脱線するが、ラブコメ市場に取り込まれたコナン映画はかつては、死者が出ると空気が変わった。令和では、爆発でビルが吹っ飛んでも、なんとなく「エンタメ」として処理される。『瞳の中の暗殺者』で佐藤刑事が撃たれる場面は非常に重くるしく、『14番目の標的』は被害者が主要人物に親しい人物で、世界の喪失感が強調された。しかし令和は、ビルが爆破されても、ヘリが墜落しても、もちろん一般人も死んでいるだろうが、その扱い方は余りにも軽い。今年公開の「隻眼のフラッシュバック」では冒頭で警察官が射殺されるが、その扱い方は「14番目~」と比べても軽薄だ。
死者は出るけど、「エモ消費」される。誰も絶対に正しくない世界を、能力ある者だけが滑空し、事件を解決する。これが令和のコナン映画になっている。
話を戻すと、何故これが女性に人気なのか。
令和のコナン映画最大の特徴は「選ばれし超人男性」が過剰供給されている点にある。これまでのコナン=工藤新一、服部平次、怪盗キッドに加え、安室透、赤井秀一、ジン、諸伏景光、松田陣平である。しかも彼らは、イケメン、有能でありながら、でも内側に影や矛盾を抱えている(=ギャップ萌え)点も惜しみなく強調されている。つまり、女性からしてみれば「手が届かないけど理解したい」対象として意図的に設計されているのである。さらに悪辣なのは、これらのキャラクターたちはリアルな恋愛対象には決してなり得ない点だ。現実に傷つくリスクなしに、完璧な男たちを「推す」ことができるというわけだ。
さて現実に目を当てると女性進出が進んだ令和という時代は、蓋を開けてみれば、就職、恋愛、SNSなど目に付くほとんどが競争や格差の地獄になっている。特に若い女性は、労働市場での非正規化
恋愛市場での「選別」圧に常に晒されている。だから、「現実で勝てない自分」を、「フィクションで勝者に仮託したい」って欲望が強化されている。だからこそ、コナン映画に登場する超スペックキャラたちは、彼女らの分身として機能する。直接ではないが、推すことで自分も「勝者側」の一員になれる感覚を、「推し活」に擬態して味わうことができるのだ。
自明ではあるが、令和のコナン映画は、単なるキャラ推しではなく、赤井&世良、安室&降谷、コナン&灰原(仲間であり、理解者)という、「分かる人には分かる濃密な関係性」前提に、ファンに提示して「関係性を推す」という、令和の消費スタイルにドンピシャにハマっている。しかしそれすらも、「コナンって面白いよね(含意するところは、いうて子ども向けだから)」というアリバイで覆い隠してしまうのである。
まとめます。
コナン映画の女性人気は、現実の男たちに絶望した結果にしかみえない。恋愛市場で「普通の男」すら減った。結婚はリスクであり、子育ては地獄。リアルな恋愛をする気力すら奪われた女性たちが、
「せめてフィクションでは最高の男に愛されたい」と願うのは、もはや生存本能に近い。だから僕は正直責めることはできない。なぜなら、コナン映画に群がる女性たちは、「現実の恋愛市場・労働市場で敗北した自分」を「フィクションの超人男性」と「疑似絆関係」に仮託して、かろうじて自己肯定をつなぎとめているからだ。
しかし、それでも、コナン映画が女性に人気であること自体が、令和という時代の病巣を一端を示しているようにしか思えない、という感覚だけは忘れないようにしたい。
家族が変なサイトで1万円ちょっとの代引きの買い物をしてしまったけど、
・注文確定メールの見出しが「注文に成功しました」とかいう変な言葉遣い
・問い合わせ先として記載されている住所を検索しても地図上に存在していない
・サイト上にはクレカのマークが並んでるけど実際は代引きしかできない
・サイトに掲載されている商品の全てが半額や半額に近い価格に値下げされたもの、複数購入で更に割引というものばかり
・注文確定メールから商品ページのURLに遷移しようとしても当該ページが既に消えてる
・Xでサイト名を検索したら出てきた別の商品のページに掲載されていた画像が別のプラットフォームにあるものだった(そのプラットフォームで販売されてる価格の10倍近い値段を定価として、それを半額かつ複数購入で割引にしてた)
消費者センター的なとこに電話相談しようかと思ったら基本的に受け付けるのは本人からの相談とか書かれてたから電話相談するのがちょっと躊躇われる
家族にはどう考えても詐欺サイトだから受取拒否して何かメールとか来ても無視したらと提案したけど「怪しいのは分かったけど注文したのは自分だし賠償請求とかされたら怖いから用意した代金払っておいて!」となぜかキレ気味に言われた
詐欺サイトにお金なんか払ったら家族の名前とメールアドレスと我が家の住所が騙されてくれるor泣き寝入りしてくれるカモのものとして扱われたり、そう扱われたら送り付け詐欺とか別の犯罪のターゲットにされかねないと思うんだけど、どうしたらいいんだ
でも最近はデータセンター周りの話ばかりになり検索しても市のことをあまり知らないであろう人たちによる貶しだらけだ
発端は元ジャスコの駐車場、駅前用地でのデータセンター建設計画
イオンモールになってから他に広い駐車場ができ、あまり使われなくなりいつの間にか売りに出されていたらしい
私はニュータウンの人間ではないが、よく連れて行ってもらっていたダイエーと駅を挟んで向かいにジャスコができた時のことは覚えている
その後464が今のような形になり、牧の原の方に巨大なジョイフル本田ができていつの間にやらコストコもできていた
住みやすい街ランキングでも印西は上位になるようになったらしい
ニュータウンに行くとベビーカーやお腹の大きな女性をたくさん見かけるようになった
旧市街に生きていた自分にはあまり実感はないが、市は今とにかく儲かっていてそれを市政に還元しているらしい
もともとビジネスセンターと呼ばれる銀行や保険のデータ保管施設はあったが、東日本大震災以降外資の参入が相次いだ
Googleがやってくるという時にはニュースにもなり、印西はデータセンターで潤うモデルケースとされるようになった
今までもtwitterで検索していた時、たまに「〇〇市でデータセンター建設に反対してる馬鹿がいるけど印西のこと知らないの?」みたいな、印西を引き合いに他所を叩く人を見かけた
今回も駅前のデータセンター建設に反対意見が出たニュースに対して「じゃあ印西市民はインターネット使えなくしろ」みたいな雑な愚弄が出たのも、その辺の層が飼い犬に手を噛まれたような感覚だったのだろう
実際、計画停電からも外された印西市が突然数日間停電したら世間に影響が出るのかはちょっと気になった
もともと駅の近くにビジネスセンターがあり、市内にデータセンターもたくさんあるのに、どうして反対意見が出るのかは旧市街民から見てもなんとなくわかる
個人的には里山を潰して建てられるよりはかなりマシだと思うが、それは置いておく
イオンや駅のある区画と、消防署や移転が決まっているゴミ処理場、そしてビジネスセンターがある区画の間には広い道がある
その道を挟んで駅側にはこれまでデータセンターはなかった
なんとなくあった住み分けのラインを、今回初めて越えてきたのだ
確かに駅前で横のマンションより高い建物ができれば日照権がどうこうもあるが、なんとなく忌避感が強いのはこのライン越えのせいだと思う
過去にも牧の原駅側のBIGHOPの端にデータセンターが建設される時も反対意見が出たが、この時も生活圏に侵入されたことが一番の反発を招いていた
基本的に反対意見が出ても、そんなことは関係なく建つものは建つ
フロムゲーはマゾ自認しているプレイヤーがほとんどだから何やっても許される感はある
基本的にそういうジャンルは一般人がついていけなくて先細りするんだけど、最近は他のアクションゲームもソウル系につられて高難度化が進んでるから一般ゲーマーもこのマゾループについていけちゃうようになった
3年前に独立して、事業利益が5000万円を超えた。そこから役員報酬を3000万円とっているので、正確な個人年収でいうと3000万円だけど、独立すると事業利益が年収みたいな感覚になるので年収5000万円とさせてほしい。
年収5000万円になって変わったこととしては、まず毎月貯金が数百万円増えるのが当たり前の感覚になったことだ。
サラリーマンをやっていた頃は、月に30万円も貯金できたら万々歳、という感じであった。
ところが今はどうだ。もし月の貯金額が100万円を下回ったら相当にテンションが下がることだろう。慣れとは恐ろしいと思う。
持ち家ではなく賃貸である。独立したので社会的信用が下がってしまったと感じており、家の購入にためらってしまう。サラリーマンのときに買っておけば良かった。しかし、欲しいなと思う家は数億円以上するので、どちらにしても買えない。
ちなみにタワマンは最高である。タワマンを馬鹿にする風潮もあるようだが、おそらくタワマンに住んだことがないのだろう。眺望は間違いなく素晴らしいし、あらゆる面で快適である。買うなら広い一軒家を建てたいと思うことはあるが、賃貸ならタワマン一択だ。
本当のお金持ちはタワマンには住まないと言うが、そんなことは僕にとってはどうでもいい。
僕は平凡な家庭に生まれて、成り上がってきて今がある。成り上がりであることに誇りを持っている。自分の手で人生を切り拓いていくのは最高だ。
とはいえ、学生時代の同期とかに対してはちょっとイキりたい気持ちがある。正直自分はスクールカースト下層というか、オタクに分類される人間であったので、学生時代は随分卑屈に生きてきた。だから見返してやりたいという気持ちが強い。まあ、学生時代の同期と会う機会なんてないので、見返す機会なんてないのだが。
幸せについてだが、確実に幸せになったと思う。よく年収800万円以上になると幸福度が上がらなくなると言うが、完全に嘘だと思う。稼げば稼ぐほど幸せが増えている実感がある。
その代わり、今ほど稼げなくなったらどうしようといった、現状より下がることに対する不安が増えた。
そういう意味では、幸せも不安もどちらも大きくなっているのではないだろうか。
疲れたらタクシーで帰るのは当たり前。ラーメンのトッピングに悩むストレスがもったいないので、トッピングは常に全部のせ。外食でマズい店にあたってガッカリするのが嫌なので基本的に高い店に行く。
海外旅行は、あまり行きたい欲がないので行ってない。というか、普段の生活が充実しているので、海外旅行で現実逃避したいと思うことがなくなった。サラリーマン時代はいつも東南アジアのビーチでゆっくりする妄想ばかりしていた。
■逆に、変わらなかったこと
・モテないこと
・ユニクロを着ていること
・本当にやりたいことが見つからないという悩みがあること
人生って、虚しいよな
弱者男性、『愛されるための正しい努力をせずに周回遅れになった者が、ありもしない一発逆転のギャンブルばっかりに手を出して自滅していく話』~って読んじゃうんだよな。
だから、たとえ周りがちょっとだけ優しくしてくれても「そりゃそうなるよ」って感想しか出てこないし、正直あんまり同情できない。
まあ、前提条件としてはさ、
ってのはあるんだけど、
それでもさ、
・せいぜい小規模な世界の中で
・30年、40年、生きてきたくせに
・ロクに人付き合いもしてこなかった
って時点で『誰からも愛される存在』を目指すのが間違ってるんだよな。
「本当は愛されたいんだ」って気づくのが遅すぎたのはまあ仕方ない部分もある。
会社は基本的にキャッシュフロー、支払うべき金を払える限り問題ないんじゃね?
まあ少なくとも税金と国債と通貨発行能力持つ国家とそれらがない会社や家計の民間会計の性質は全くの別物と考えるべきだと思うよ。
マジレスすると国債は基本的に日銀による直接引き受けは禁止されてるので民間金融機関が購入してる。
また新規国債を買うには基本的に日銀に口座を持つ金融機関しか買う事ができない。
ただ国債の借り換え用に発行される借り換え債や短期証券とかは日銀が直接引き受けしてる。
ちなみに民間金融機関に国債を買うマネーが不足してるなら日銀が貸与なり保有資産購入して供給すればいいだけ。
現状、日銀と政府で会計分けてるから国債介してるだけで統合すれば政府が通貨作ってそのまま支出するだけになる。
現状の通貨が中央銀行の負債なように政府発行通貨は政府の負債となるが利払い費もなければ返済義務もないので、会計上負債なだけで借金の類ではないのでいくら積み上がろうがそれ自体は何の問題もない。
正しい。単純に説明すると資産というのは別の主体の負債なので(例えば会計上現金は日銀の負債だし、国債は政府の負債)、返済すると負債も資産も消えるので流通額は減る。逆にいえば国債を発行して支出するとマネーも増える。ちなみにこれは国会質疑で日銀に確認済み。
発行された国債を銀行が保有しまして、財政支出が行われた場合には、同額の預金通貨、マネーといいますか、これが発生することになるということでございます。...
国債が償還を迎えて発行残高が減少する場合ということでございますが、そのこと自体は預金通貨、マネーの減少につながるということでございますけれども...
現状だと政府が国債出して財源調達して民間に財政支出したらいいだけ。それこそ需要が十分になるまで適当にばらまけばいい。
民間の信用創造に頼るやり方もあるがリフレーション政策の効果がイマイチだったのは見ての通り(まああれは増税して景気冷やしたのも悪いが)
ファミレスは家族向けではあるけど、基本的に一つ一つの食事が出てくるまで意外とかかる
子供は自分の欲しいものだけを速攻で食べたがるし、飽きるとすぐどこかに行く
それでいて食べるものが毎回変わってしまうため、せっかく頼んだものを大人が無理して食べる羽目にもなる
こういうリスクを回避して手っ取り早く食事できるのは回転ずしの魅力だと思う
家族向けサービスが一番充実しているのは回転ずしと言ってもいいくらい、なんでもありだ
どんな外食をしてもこんなエンタメに振り切った設備なんて滅多に見ない
それに加えてハンバーグや唐揚げもあったりするし、魚を食べさせたいって親の願望もかなえられる
美味しんぼが全盛だった時代には、回転寿司は貧乏者が粗悪な食べ物を食べる店という悪い印象を与えていた気がする
かピカぴで不味い寿司ネタや不衛生な提供スタイルが問題だった時代は長かったと思う
けどもはや回転ずしって庶民が求めてる外食そのものだなって思うんだ
狭い店内をノロノロ進むロボットが今のトレンドだけど、回転ずしはその領域を10年も先に行ってる
もちろん熱々ハンバーグや小皿の焼肉をレーンで提供することは物理的には可能なんだろうけどさ、そういうのじゃないよね
客が欲しいものを真っ先に手元に届けるという単純な手法なのに、回転ずしだけがここまで隆盛を極めたのは本当に謎
海外の人が寿司をおいしいと思う理由はよくわからないが、子供のいる家庭がこういうものを求めているってのを日本はもっと外にアピールしていい気がするよな
カナダの田舎寄りでホストファミリーやってるけど日本人女性も日本人男性も同じくらい人気だよ
日本人女性の方が人気ではあるけど
人気、という言い方は引っかかるけどね
「信頼を得ている」という感じ
ホストファミリーだけでなく、外国人向けに家を貸してる大家さんが「誰か日本人女性知らない?いなかったら男性でもいい、紹介して」と言ってるのもよくある
ありがたいね
Xでたまに見る「日本人男性は世界中で不人気」というのはちょっとよく分からない
※※日本人男性擁護ではないのでそれを期待している人はここで読むのをやめましょう※※
そもそもなんだけどね
留学する人って、女性も男性もいわゆる陽キャとまではいかずとも行動力が高く人間に関わるエネルギーが多い人がほとんど
まあクズももちろんいるしステータスが偏ってる人も多いけど、いわゆるチー牛(という言葉は嫌いだけど)的な日本人男性や「さす九」的な人(これも嫌いだけど)は留学にあまり行かない
だから
△(留学しない、できない)日本人男性は世界で嫌われる傾向にある
だと思うんだよね
なんにもできないような人はそもそも留学に行こうと思わないし色々できないので
Xで見るような「日本の男性は何もしないねと外国人に言われた」みたいなのはぶっちゃけ日本憎しで海外に来た人のバイアスかかった意見かエアプだと思ってる
これといったきっかけもなく、母親の愛情が足りていなかった記憶も、母親に欲情したこともないが、とにかく性に目覚めた頃から、自分より一回り~二回りの年上の女が性的対象だった。
そんな少し歪んだ性癖を持つ俺が、マッチングアプリを使って年上女の都合のよい男をやっていた話をする。
首都圏にある普通の家庭で育ち、少しばかり頭の良い大学を出て、お堅い会社でSEをやりながら食いつないでいる。
容姿はどのコミュニティでも褒められることが多く、身長もそれなり(178cm)にあるので、人生において基本的に異性関係に困ることはなかった。
そんなザ・中流階級の俺が、他の中流階級男と少し異なる点が、前述した年上を好む性癖だ。
高校時代、大学時代、社会人の最初の頃、俺は同世代(±2歳の範囲)の女と付き合っていた。
今考えれば、彼女らの中には「この人と結婚すれば幸せな家庭が築ける」という、俺にはもったいのない女性はいたと思う。
が、俺はこの性癖故に彼女らとの交わりの中に欲求の充足を見いだせず、23歳の頃にマッチングアプリ(主にTinderとPairs)に手を出した。
これ以降俺は「年上女(おばさん)の都合のよい男」を何年も続けることとなる。
当時、相手は基本的に35歳~45歳のレンジで相手を探していた。
最初に会ったのは42歳のキャリア女性だった(以下、「メーカー課長さん」)。
メーカー課長さんは呼び名の通り、某重工業系のメーカーに勤める女性で、郊外に広い1LDKのマンションを買い、プライベートでもいくつも習い事を掛け持ちしているようないわゆる独身貴族な女性だった。
身長は平均より少し低めで、全体的にむっちりとしていて尻が大きく、個人的にはかなりストライクだったのを覚えている(顔は芸人の友近似)。
共通の趣味があったので、向こうは最初は(真意はわからないが)若い友人くらいの感覚で会ってくれたようで、初回のアポでは居酒屋を奢ってくれた。
それから2週間ほど日を空け、二度目に会った時、酒席の勢いに任せて俺は自分の性癖を告白した。その時は「特殊な趣味だね~w」みたいな反応だったのだが、店を出た後の帰り際、「うち来る?」と誘われ、当然のようについていった。
ルームツアーもほどほどに、お互いシャワーを浴び、アジアンテイストのディフューザーの香る寝室で始まった。
アプリで会う人と初めて身体を重ねる背徳感と、「おばさんとヤる」という長年見た夢の実現を目前に、心臓が太鼓みたく脈打っていたのを覚えている。
下着を脱ぎ、臨戦態勢の股間を晒すと、メ課さんはそれを握りながら「硬っ笑 長っ笑 でかっ笑」といい、四つん這いで巨大な尻を揺らしながら咥えてきて、「ああ、俺はずっとこれがしたかったんだ」と思った。
そこからは晩に2回、翌朝2回こなし、メ課さんはその時点で完全に俺の身体に惚れていたと思う。
でもそれ以上に、「いろいろなおばさんのディルドになりたい」と俺の方も決意を固くしていた。
その日からメ課さんとの日々が始まった。
多いときは週3~4日、仕事終わりや土日にマンションに呼び出されては体のよいディルドになっていた。
メ課さんは後ろからする体位が特に気に入っていて、頼まれて何度かハメ撮もした(この趣味は今でもわからん)。
メ課さんは常々、この関係性を「セフレだよね」と言っていたので、俺は俺で並行して他のいろいろな「おばさん」と会っていたが、これまで何十人と抱いた中でトップ3に相性がよかったと思う。
そんな関係が1年半ほど続いたとある日、いつもの事後にメ課さんに「増田君、そろそろ会えなくなるんだ」と言われた。
なんと、彼女は裏で婚活を平行していて、そこで出会った40歳の男性(年収1500万)と結婚するということだった(婚活アプリの写真も見せてもらった。優しそうな人だった)。
愚かにも直近の3か月くらいは毎回中で出していたので真面目にもそのことを心配すると、ピルを常用しているから大丈夫、とのことだった。
こうして突然の別れを告げられ、ひどく喪失感を味わっていたが、結局結婚後もコロナが流行る時期くらいまでは2~3か月に一度は会っていたは別の話(本当に愚か。二度と不倫はしない)。
彼女は俺と会うたび「挿れた感じが全然違うんだよね~」と言っていた(変に根が真面目なのでこの発言は嫌だった)。
メ課さん以外にもいろいろな「おばさん」と関係を持った。
洋服のデザイナー(44)、カメラマン(40)、システムエンジニア(39)、建築会社勤務(41)、公務員(38)、会計士(43)...etc
この手の人たちはかなり性を謳歌していた。俺以外にも男がたくさんいたと思う。
俺は変に根が真面目なため、
・性癖
・結婚する気がないこと
の2点は事前に(たまに事後に)全員に伝えていた。
でも、結構な人がそれでもと身体を許してくれて、俺を都合よく使ってくれたのは俺の性癖的にはラッキーだった。
アプリにいるこれらの女性はしっかり婚活を並行している人も多く、婚活アポで同年代のおじさんと会った帰りに呼ばれたりすることも多かった。
その時は相手の男性に同情したが、そんな時ほど「おばさん」は欲情していて、ものすごい熱量の営みになった。
そんな時、俺は「ディルド」に徹し、とことん彼女たちの欲求に付き合った。
以上のように、こんな生活を6年ほど送っていたのだが、とある日、金融女(40)宅でいつものようにやっていた夜、突然自分の中で何かが冷めた。
汚い話で申し訳ないが、そのおばさんはいわゆる激しいやり方を好んでいて、いつものように腰を持ち上げながら怒涛の勢いでやっていると、大量に水分をまき散らされてしまった(察してください)。
これ自体は珍しいことではないのだが、この時のこの「水分」が異様な臭いで、どうしても萎えてしまいその日はそれでお開きとなった。
それ以降、なぜか俺の「おばさん」に対する欲情・熱量が突然に薄れて、すべての関係を切ったのが半年くらい前。
溢れるばかりあった「おばさん」に対する性癖は今も戻らないが、おかげで仕事やプライベートに注力できるようになり、今ではこれでよかったのかなとも思っています。
最近同世代の恋人ができ、同棲する話も出ているのでお焚き上げとして。
追伸: