
(髙城 千昭:TBS『世界遺産』元ディレクター・プロデューサー)
世界遺産リストから“消える時代”へ突入!
「世界遺産は、どのように選ばれるのだろうか?」
こんな疑問が湧くことがあるだろう。手続き的には年に一度、7月頃に開催される世界遺産委員会(地域に偏りがない21カ国で構成)で、原則として全会一致の合意によって決まる。そのためには、世界遺産は“自薦”なので、先ずは自国を代表する物件になりユネスコに向けて立候補をしなければならない。
日本を例にとると、次の候補は「飛鳥・藤原の宮都」(奈良県橿原市、桜井市、明日香村)で2026年登録を目指している。6世紀終わりからの約120年間に、初めて国を形づくった飛鳥宮跡や石舞台・高松塚古墳など19の資産で構成したもの。それは文化庁の審議会で選ばれ、閣議の了解を経て、正式な推薦書が1月にユネスコに提出された。
世界遺産は国際条約に基づくので仕方がないとはいえ、申請上にこうして各国政府が関与している。ゆえに政治的ではないかと危惧されるケースが増えてきた。登録されれば観光地として人気が高まり、経済効果は高い。国の名誉にもなるという発想だ。
世界遺産リストへの登録は、1978年にわずか12件から始まった。以来、毎年数十件ずつ加えられ、現在は1223件(文化遺産952、自然遺産231、複合40)に達している。今年7月には、さらに20件前後が増えるだろう。そんな増えすぎ状況から審査は厳格化したといわれる。2007年には、リストから“抹消”される初の事例まで生じた。中東オマーンの「アラビアオリックス保護区」(登録1994年、自然遺産)である。

オリックスとはV字型の2本の角が、横からはピンと張った1本角に見えるため、伝説のユニコーンのモデルともされた草食獣。オマーン政府は、この絶滅の惧れがあるオリックスの聖域を、石油資源を開発するために面積を10分の1に縮小する方針を発表した。そして当事国みずからが世界遺産の取り消しを求めたのだ。
世界遺産をもつ国は、登録を抹消されるどころか、危機遺産リストに加えられることさえ嫌がる傾向が強い。本来は、危機にさらされた物件を国際協力で守っていくのが世界遺産の意義なのだが、国のメンツを傷つけられ不名誉に感じるらしい。ところがオマーンの意向は、自然保護よりも開発による経済利益を優先した。これが口火を切り、世界遺産は増えるだけでなく、リストから削除される“消える時代”に突入した。
2年後の2009年、地元の住民投票によって、抹消を選んだのがドイツ東部ザクセン州の州都ドレスデンである。ベルリンから特急列車に乗って2時間弱、ヨーロッパの舟運を支えた大動脈の一つ・エルベ川の畔にたたずむ古都に着く。そこに、消えた世界遺産「ドレスデンのエルベ渓谷」(登録2004年、文化遺産)がある。住民は美しい景観よりも、橋の建設による暮らしの利便性を優先したのだ。