浜松では週1回、給食に「ご飯」持参 ルーツは…豊岡村【NEXT特捜隊】

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 「うちの子が通う小学校では毎週月曜、弁当箱に白いご飯を入れて持っていきます。いつから、なぜ始まったのか、気になります…」

おかずの入ったトレーの横に白飯の入った弁当箱を置き、給食を食べる児童=浜松市内
おかずの入ったトレーの横に白飯の入った弁当箱を置き、給食を食べる児童=浜松市内
1978年4月20日付静岡新聞より
1978年4月20日付静岡新聞より

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 浜松市東区に暮らす女性(36)は長女が今年、小学校に入学。学校からの持ち物の指示に「米飯」と書いてあるのを見て、はっとした。「あ、私も持って行ってた!」。おかずは給食で出る。持参するのはご飯だけだ。少し調べたら、浜松市だけという情報も。気になって静岡新聞社「NEXT特捜隊」に調査依頼を寄せてくれた。
 まずは現場へ。市内の小学校を訪ねた。持参する曜日は学校により違うらしい。この日は木曜日。午前中の授業が終わり、給食の時間に。それぞれが持参した弁当箱を開け、おかずトレーの横に置いた。静岡市出身の記者には新鮮な光景だが、児童たちは至って自然な振る舞いで、びっくり。
 米飯給食はパンが主流の中、1970年代以降、全国に広まった。浜松市教委によると、旧浜松市内では78年に始まったという。最初から持参? 経緯は? 浜松では長年当たり前のこと。市教委担当者も即答できなかった。
 膨大な過去資料が眠る静岡新聞社調査部で、当時の新聞紙面をさかのぼった。
 同年4月20日付の朝刊に「米飯給食『豊岡方式』を採用 浜松市内全小中校 六月ごろから実施」の見出し。豊岡は当時の豊岡村(現磐田市)のことだ。磐田市教委によると、76年に米飯給食を開始。村が弁当箱を子どもたち一人一人に配り、白飯を家庭から持参する方式は「愛情弁当」として注目を集め、全国から視察も相次いだという。
 浜松市の「ご飯だけ持参」の“起源”はここにあった。ちなみに袋井市など近隣にも普及したが、県学校給食会などによると、県内で現在も豊岡方式を継いでいるのは豊岡地区の小中3校と浜松市内の小中学校110校だけらしい。
 再び浜松市教委で聞いた。40年余にわたり週1回続けている理由は大きく三つ。(1)保護者が給食や食育に目を向ける機会に(2)食に関する親子のコミュニケーションを促進(3)主食費を抑え、地産地消のおかずを充実―が挙げられるという。
 取材の過程で一部保護者からは「夏場は食中毒が心配」「朝の用意が大変」など負の側面を指摘する声も聞いた。市教委もそうした意見があることは把握しているが、「すぐに結論を出そうという状況にはない」という。
 前段で市内の小学校を訪ねた折、6年生に聞いた。「お母さんに体育の授業があると伝えたら、ご飯をたくさん入れてくれる」「好きな『ゆかり』をかけてくれるからうれしい」。「ご飯の日」、子どもたちからは好意的な声が続いた。
 余談だが持参の米飯は基本、白飯。梅干しや一部のふりかけは認められている学校が多い。市教委によると、炊き込みご飯などは具材によっては傷みやすいため、禁止されているという。(TEAM NEXT編集委員 村松響子)

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