
クリスマスにぴったりなパーティー・アンセムがダブル・リリース!! 1作は60年代後半のブリティッシュ・ロック、ブルース調のリズム、ミュージックホール・メロディー、そして風変わりなサイケデリックの要素をあわせ持つ、ELEKIBASS自身のアナログ・シングル。そしてもう1作は、ELEKIBASSのフロントマンYouichi Sakamotoのソロ"OkaneMonster"と、サポート鍵盤、三沢マサノリの"Like This Parade"がコラボするスプリット・シングル。この2タイトルが本日12月24日より先行配信スタート!! さらにこのダブル・リリースを記念して、ELEKIBASSの過去作『Paint it white』と『Paint it black』を一挙フリー・ダウンロード!!
そして、フロントマンであるYouichi Sakamotoにスペシャル・インタヴューを敢行。同世代のLimited Express (has gone?)、あらかじめ決められた恋人たちへと同様、10年を越えるバンドの歴史をじっくりと紐解きました。
特に海外志向が強かったと言えるELEKIBASS。いまや米国インディー・ポップ界を代表するオブ・モントリオールと最初期からの出会い、海外で感じた音楽と生活の在り方や、ライヴ・イベントの在り方。そしていま、「みんなで合わせて音を鳴らす。ただそれだけのことが楽しくなった」と言える強さ! 音楽をたのしみたいなら、あなたもいますぐELEKIBASSというパーティーに参加すべきだ。
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(フリー・ダウンロード期間は終了いたしました。)
ELEKIBASS、アナログ・シングルを先行配信でリリース!
ELEKIBASS / Garden Party EP
【配信価格】
mp3、WAVともに 単曲 200円 / アルバム購入 600円
【Track List】
01. Garden Party / 02. Garden Party(HIEROPHANT GREEN Remix) / 03. 星降る夜にきらめいて(STARLIGHT) / 04. Weekday
アメリカのエレファント6 / アップルズ・イン・ステレオのロバート・シュナイダー提供曲「Garden Party」や、HIEROPHANT GREEN Remix収録の、まさにガーデン・パーティでホーム・パーティな1枚が完成!
メンバーのソロ・ユニットによるスプリット・シングルも同時リリース!
OkaneMonster Like This Parade / Where will you be tomorrow in case I should have to see you
【配信価格】
mp3、WAVともに 単曲 200円 / アルバム購入 600円
【TrackList】
01. Happy birthday and hello my song (OkaneMonster) / 02. WLS (OkaneMonster) / 03. Where will you be tomorrow Pt.1 (Like This Parade) / 04. Where will you be tomorrow Pt.2 (Like This Parade)
EELEKIBASSのフロントマン、Youichi Sakamotoのソロ名義のOkaneMonster。ELEKIBASSのサポート鍵盤、三沢マサノリのソロ・ユニット、Like This Parade。両者が収められたスプリット・7インチ・シングルも先行配信リリース! Like This ParadeがELEKIBASSのレコーディング・トラックを使用して作った「Where will you be tomorrow」や、OkaneMonster「Happy birthday and hello my song」の編集をLike This Paradeが手掛けるなど、まさにコラボが産んだ1枚!!
サウンドクラウドで1曲試聴可能!
http://soundcloud.com/waikikirecord/happy-birthday-and-hello-my-1
INTERVIEW : Youichi Sakamoto(ELEKIBASS)、15年を振り返る

インタヴュー : 飯田仁一郎(Limited Express (has gone?))
ELEKIBASSのはじまり
1998年
ヴォーカルのYouichi Sakamotoを中心に専修大学内音楽サークル"FREE SPILIT"にて結成
――ELEKIBASSって、現在はオリジナル・メンバーのYouichi Sakamoto(ボーカル/作曲/その他)とJunpei Kameda"JP"(ギター/その他)のおふたりですよね? おふたりの出会いを詳しく教えていただけますか?
Youichi Sakamoto(以下、Sakamoto) : 僕は、中学、高校と洋楽雑誌を教室の隅で読むタイプでした。rockin'on、CROSSBEATやINROCKとか、いまはもうだいぶなくなってしまったけど。あとはギター・マガジンとかヤング・ギター系にも洋楽の情報が載っているので、買っては全部読むタイプだったんです。そして、東京に出て、洋楽しか置いてないレコード屋さんが沢山あって、ほんとうにわくわくしたんですよ。
――サカモトさんの出身は?
Sakamoto : 大分です。東京に出てからは、西新宿のラフ・トレード・ショップに憧れて行きだして、そこで世界で200枚しかない7インチのアナログとかを毎月見るわけですよ。これヤバイなって言いながら。
――買わなかったの?
Sakamoto : 買いはするけど、さすがにポンポン買えるものでもないので。コメント見ながら「全人類必聴」「マストバイ!」って言葉に、振り回されてました(笑)。そのひとつに、オブ・モントリオールとかもいたんです。そんな時期に、通っていた専修大学の音楽サークル、フリースピリットにディスクユニオンやラフトレードの袋を持ったJunpei Kameda"JP"が入ってきたんですよ。で、「ラフトレードとか行くの?」って話しかけて。「俺あのコメント見て買ったんだけど、すげえ良くなかったんだよね」「いや、あれ超良かったよね」とか話をしながら、ELEKIBASSを一緒にやることになったんです。

――ELEKIBASSは、すでにあったんですか?
Sakamoto : すでにありました。大学のサークル内でまずELEKIBASSというオリジナル・バンドを組んだんだけど、下北沢のライヴハウスGARAGEのオーディションを受けて、方向性の違いみたいなので解散してしまって。当時、僕はギターで、バンド名はELEKIBASSでやってたんです。その後、オリジナルを創るってことをもう少しまじめに考えなくちゃねって話し合って、当時のメンバーのなかでは、僕とドラムのJun Sugawaraだけ残って、好きな音楽が共通していたカメダ君を誘ったんです。ちょうど、オブ・モントリオールが初来日をするって年だったので、一緒にアタックしようよみたいな(笑)。
――当初は、どんな音楽を演奏していたのですか?
Sakamoto : ザ・マインダーズ、ザ・ホリーズとかゾンビーズのカバーをやるバンドだったんです。もともと僕は、バンドを始める前に、ロックDJイベントのオーガナイザーをやっていたんですよ。ザ・ラーズの「There she goes」がかかれば皆踊るとか、プライマル・スクリームの「rocks」をみんな待っている! みたいな時代だったんです。そんなときに、僕もDJをやりたいと思い、DJをやるにはどうしたらいいんだろう、自分でパーティーをオーガナイズした方が早いって思ってやりはじめたんです。そして、せっかくパーティーをオーガナイズしたなら、お客さんもいるし、この場所でライヴをやりたいなあと。カメダ君が入る時は、ちょうどそんな時期かな。

Sakamoto : そうですね。でもギター・ポップとかギター・ロックですってジャンルをちゃんと押せば、いまより箱に人がいたというか。ちょうど「CD Best 100 ギター・ポップ・ジャンボリー((1998)ミュージックマガジン)」が出版されたりして、あそこらへんのシーンが結構盛り上がっていたんですよ。まさに新宿のOTOや下北沢のBASEMENT BARとかも、当時はライヴが出来ずにクラブだけで、そこらへんに行けばそういう音がなってるみたいなのがあったんです。
――なぜDJではなく、バンドをやるようになったのでしょう?
Sakamoto : クラブでライヴをやった方が盛り上がるんだよね、やっぱりなんか。照明もないし、音響もなにもない。ただただドラムをバカスカやって、ただ叫んでるんだけど超盛り上がるんです。だから、「こっちのほうが全然楽しいな」って。そんなタイミングで、オブ・モントリオールに出会うんです。
オブ・モントリオールとの出会い
2000年
アメリカのバンド、オブ・モントリオールの来日公演の大阪のオープニング・アクトを務める
2001年
オブ・モントリオールとアメリカ東海岸12ヶ所のUSツアー
2002年
ビートクルセイダーズの荒木主催「araki NIGHT」にてサイクロンズ・ザ・ストライカーズと東名阪ツアー
――オブ・モントリオール(※1)とはどうやって知り合ったの?
Sakamoto : 成田空港に行って、直談判。コンタクトレコーズ(※2)の沢井陽子さんが招集するっていう情報を見かけたんですよ。で、「僕らは、オブ・モントリオールが好きなバンドです!」って、沢井さんにメールしてみたんですよね。「前座でいいから、どこかに出してくれませんか?」って言ったら、沢井さんから「何時の飛行機で彼らは成田に着くから迎えに行ってみたら?」っていう情報をくれて、“WELCOME!"っていう旗もって迎えにいったんですよ。
※1 : オブ・モントリオール
1996年、米国ジョージア州アセンズ出身のサイケな音の魔術師、ケヴィン・バーンズを中心に結成。ビートルズやビーチ・ボーイズから影響を受けたサイケデリック・ポップを基盤としつつもデヴィッド・ボウイやプリンスからの影響も大きい。97年のデビュー以後、『Hissing Fauna, Are you the Destroyer?』で一気にインディーズ・スターダムのトップへと上り詰め、ローファイでありながらカラフルで、奇天烈で、ダンサブルで、超ポップなサウンドで米国インディー・ポップ界を代表するといっていいほどの圧倒的な存在感を放つ。2014年1月に、5年ぶりの単独来日公演を行う。
※2 : コンタクトレコーズ
コンピレーションを中心にセレクトしたアーティストをコンスタンスに紹介しているレーベル。現地の活発的なシーンに感銘を受け1998年末にレーベルがスタート。音楽雑誌への執筆、NYのミュージックシーンの情報発信、日本メディアの海外コーディネーションにも力を入れること日本とアメリカなど国の架け橋や新しいバンドを発見する窓口となる活動をしている。
――すごい!
Sakamoto : そこで、「大阪で一緒にやろう」って言われて、大阪で共演。大阪では、「ZEPP TOKYOでのライヴにもにぎやかしにきてよ」て言ってくれて。そして、繋がりが出来た後に、彼らにとっては挨拶程度だったのかもしれないけど「今度は君たちがアメリカに来なよ」って言ってくれたから、本当に行ったんです。
――へぇ! カメダ君はオブ・モントリオールのツアーから入ったんですか?
Sakamoto : そのぐらいから正式にちょろちょろ参加はしてて... どこから正式メンバーかは、僕もちゃんと覚えてないんですけど...。
――そのELEKIBASSのメンバーを固定しない感じは、エレファント6(※3)勢の影響?
Sakamoto : うーん。最初は当たり前ですけど、バンド組む以上、全員平等じゃないですか。でも、やっぱりモチベーションが違うというか、お金のことや体力的なことも含めて、ついてこれない人がいるのは仕方がないから、「俺責任とるから」って言ってついてきてもらった方が、良いと思うんです。アメリカ・ツアーとかは、大変過ぎて、やっぱり毎回全員平等ってわけにもいかないし。
※3 : エレファント6
エレファント6とは、80年代後半、アップルズ・イン・ステレオのロバート・シュナイダー、ニュートラル・ミルク・ホテルのジェフ・マンガム、オリヴィア・トレマ・コントロールのウィル・カレン・ハートとビル・ドスという4人のルイジアナ州の学生が4トラックのカセットレコーダーでレコーディングしたことからはじまったレーベル。60年代サイケ・ポップの持っていた実験精神とポップさを兼ね備えた個性的なサウンドを持ったミュージシャンたちによる音楽集団である。
――なるほど。
Sakamoto : あとさ、ヴォーカルってどうしても「俺こんだけ頑張ってるんだから、お前こんだけ頑張れよ」って、ついつい周りに求めちゃう。なんかそういうのいらないなってことに気付いて。結局誰かが責任をとるというか、責任は僕がとるから、みんなは、自分たちが出来ることを全力で100%やってほしいって気持ちになってきたんです。よく見る光景で、ライヴ終わった後に「お前ミスしただろ?」っていう言い合いがはじまるわけですよ。「あの音外したろ?」「いや、お前のヴォーカルのピッチも危なかったぜ」「いやいや今日全然リズムに乗れなかった」みたいなお互いのせめぎ合いがあると思うんですよね。でも、そんなところ、お客さんは、誰も見てないじゃないですか? それよりは、真ん中のヴォーカルがしっかり客に対して前を向いて歌ったか歌わないかのほうがよっぽど重要。ヴォーカルがえらそうにリズムがどうだとか、鍵盤の音が聴こえなかっただとか他のメンバーに怒ってるのが、なんかすごい無駄に感じてきちゃった...。ヴォーカルが担ってる存在感とかバンドの色っていうのは、すごい重要だし、そのぶん評価もされるべき。だからこそ、ヴォーカルは、仕事が多くても仕方ないと思うので、ドラマーは、今日のライヴのドラムは10点か100点かを考えてほしいけど、それ以上は別に要らないんじゃないかなぁって。メンバーの入れ替わりがあって、自然にこう思うようになりましたね。
――なるほど。オブ・モントリオールのジャパン・ツアー後、いきなりアメリカに飛んだんですよね?
Sakamoto : そうそう。僕らは、外国の音楽を聴いてたじゃないですか。そして、イギリスの音楽も好きだったけど、アメリカのインディーズ、まさにエレファント6界隈、キンダーコア レコーズ(※4)界隈がおもしろくて。やっぱりそこに行ってみたかったんです。
※4 : キンダーコア レコーズ
キンダーコア・レコーズは、アメリカ南部のジョージア州で誕生。産声をあげたのは「アセンズ」という田舎町です。この「アセンズ」という街は、ビートルズやビーチ・ボーイズに代表される60年代ポップ・ロックをリスペクトする音楽おたく集団の活動拠点としても有名で、USインディ・ポップ界に大きな功績を残しているレーベル。
――1番おもしろかったときですもんね。
Sakamoto : それで、アメリカ南部のジョージア州アセンズへ飛んだんです。アトランタ空港に降りて、そこから車で2時間。簡単にいうと、下北沢みたいな感じかなぁ。ミュージシャンがいっぱいいて、ライヴができるところもいっぱいあって、街が持ってる熱もあった。当時って、日本では、オブ・モントリオールとかエレファント6界隈って、遊び心重視のいわゆるローファイていう評価だったんですよ。でもね、全然そんなことなかった。みんなめちゃくちゃ上手いし、ぜんぜん本気だし、なにより「音楽が好きです」感に溢れていた。それが、なによりの衝撃だったんです。
――本気って?
Sakamoto : 「この音楽が良いし、やりたいよね。だから僕たち一緒に住んでるんだ」みたいな。もうそれが普通、たいしたことじゃない。家に行くと、ドラムセットから自分達のアートワークも含めてすごい理にかなっていて、この生活だからこそ生まれた音楽なんだっていうことを痛感したんです。実際オブ・モントリオールはメンバーで住んでて、その家に泊めてもらったんだけど、レコーディング・ルームもあって、役割分担も上手く出来てて、生活を全部かけて、でも本当にただ好きなんだなっていう感じだったんです。当時彼らは、24、25歳かな。「日本だと就職しなきゃいけない年齢になにやってんだこの人たち(笑)!」みたいなね。
――そんななかにELEKIBASSが飛び込んでどうでしたか?
Sakamoto : 最初のツアーは、オブ・モントリオールと回ったんですけど、まだ彼らも人気がなかった。だから、人が少ない日もあったし、本当にどさ回りみたいな感じ。でもやっぱり、初めて外国人を相手にしたときに、同じ10人でも日本と全然違う反応っていうのがまずショッキングだった。あと、人の家に泊まるとか、楽器を全部自分たちで運ばなきゃいけないとか、ドラムセット、アンプまでもこっちで用意するとか、全てが新鮮。初めて「ああ音楽ってこうやって日常で鳴ってるんだなあ」って。チケットを買ってコンサートホールに行くみたいな文化しか知らなかったので、こうやって生活のなかにある音楽があって、そっからシーンが出来るんだなって初めて知ってカルチャーショックでした。
――なるほど。
Sakamoto : あと、ケヴィン・バーンズ(オブ・モントリオールのフロントマン/ソングライター)とかと一対一で話すようになって、コード進行やリズムに詳しくてびっくりした。もっと本気で音楽をやりたいなあって思う良いきっかけになりました。
――ちょうどそのころに、WaikikiRecordをスタートしていますね。レーベルをやろうと思ったのは、なぜ?
Sakamoto : それは、コーネリアス、元を辿ればフリッパーズ・ギターが好きだったんで。小沢健二、コーネリアスに分かれてから、コーネリアスがトラットリアていうレーベルをポリスターのなかでやっていて。仲間を自分で集めるみたいな感じって、すげえなぁっていうのがはじまりですね。特にアナログとかどうやってつくるんだ? どこで売るんだ? って何もわからないまま。でもとりあえず作ってみて、流通の担当って人に聞いてみたら、流通してくれるっていうから、お願いしてみようかなと。
――なるほど。じゃあ、作った音源を持ってツアーを回って、興行的にはどうだったのでしょう?
Sakamoto : 正直、日本の感覚よりちゃんとお金にはなったのでちょっと驚いて「これっ、ちゃんとやれば、トントンかちょっとプラスで帰ってこれるじゃん」って思いましたね。1度行って、どうしてももう1度行きたいと思っちゃったから、「移動と食事は何となく計算できるからパブをどう打とう」とか、2回目行くにはどうすればいいか考えるようになりましたね。
巡るアメリカ・ツアー
2003年
・2回目のUSツアーをアメリカのバンド、ザ・63クレヨンズとアメリカ東海岸11ヶ所で行う
・キャスパー&ザ・クッキーズ(U.S)をアメリカより呼びJAPAN TOURを行う
2004年
・「oh!!!モーレキィ!! ツアー2004」mooolsと東名阪ツアー
・「ステキナイト04'」@渋谷クアトロ(guest:堂島孝平)をcafelonと共同主宰
2005年
・3度目のアメリカ・ツアー12ヶ所をキャスパー&ザ・クッキーズとイギリスのシンガー、キース・ジョン・アダムスと敢行。ジョージア州のアセンズPOPフェスティバルに出演や、ライヴの模様がワシントンポストに掲載。BBCジャーナリストの絶賛のコメントをもらう。
2005年
・オブ・モントリオールを日本に呼びジャパン・ツアーをサポート、Limited Express(has gone)らと5箇所(東名阪京福)のツアーを行う。
・「ステキナイト05'」@渋谷クアトロ(guest:SAKE ROCK)を、cafelonと共同主宰
2006年
・サンプリングサンと東名阪クアトロ・ツアーを含む全7カ所のツアーを行う
・カルヴィン・ドント・ジャンプや キース・ジョン・アダムスを日本に呼びジャパン・ツアーを行う
――2回目は、どうやって?
Sakamoto : 2回目はオブ・モントリオールじゃなくてザ・63クレヨンズと回ったんです。ハッピー・ハッピー・バースディ・トゥー・ミー・レコーズっていうインディーズのレーベルをやっているマイク・ターナーがアセンズにいて、その人が僕らのライヴを見て声をかけてくれて、それで『カリフォルニア』っていうCDのアメリカ盤を出す事になったですよね。で、出たからには行こうよってことで彼に第2回目を相談してザ・63クレヨンズと回ることになったんです。彼らと回るなかで、オリビア・トレマーコントロールをやってるメンバーだったり、キャスパー&ザ・クッキーズのメンバーたちとも対バンできたので、色んな人に会うことができた。さらに2回目は僕らがヘッドライナーみたいなかんじで回ったんですけど、「ヘッドライナーって重要なんだな」って感じさせられましたね。オブ・モントリオールのツアーっていう旗がなくなって、彼らよりももっとローカルなバンドと一緒に回ることによる厳しさとかも体感しました。
――びっくりするほど、お客さんがいないときもありますもんね。
Sakamoto : ここでやるの? 無理でしょ、みたいなのが平気である(笑)。でも、ここまで海外の田舎にまでツアーに出るバンドって当時から少なかったので、おかげでELEKIBASSっていうバンドを知ってくれる人たちが出てきて、やりがいはありました。

Sakamoto : 全く何も考えてなかったですね。ちょうど僕の同級生のバンドとかはメジャー・デビューが決まって、もう渋谷公会堂とかでやっているのを横目で見ながら、自分たちは好きに海外に行こうみたいな感じでした。
――それで生計をたてたいと思うくらいの年にはなってきていますよね?
Sakamoto : そうですね。でも、なんで東京に出たかって、音楽をやりたくて出てきたんで、就職するつもりも最初からなくて、甘いかもしれないけど続けてればなんとかなるんじゃないかなあって勝手に思ってて。
――じゃあ、ずっと意識は海外に?
Sakamoto : そうですね。好きなバンドが海外にいるのが大きかったかなぁ。逆に、日本には、好きなバンド少なかったんです。それこそ、京都でやっていたLimited Express (has gone?)やゆーきゃんや、東京のmooolsとかくらい。やっぱり、同じく海外の匂いのするバンドに興味があった。
――で、今度は、アメリカで出会ったバンドを日本に紹介するんだよね?
Sakamoto : そうそう。お世話になったバンドたちは、日本に行きたいって言い出して、「いいよ!」って軽いノリで。じゃぁ、知り合いが京都にいるから、京都でやろう! みたいに繋がっていった感じかな。あと、来る以上は、CDでもないと人が来ないから、「日本盤出そう!」ってボーナストラックや解説も付けてね。
――この辺りから、mooolsとツアーを回ったり、Cafelonと一緒にライヴをしたり、国内の活動も活発になってきたように感じます。
Sakamoto : 少しずつ幅を広げてくなかでいままで付き合いのなかった日本のバンドと現場が一緒になることが増えて、ライヴを観たらすごい良かった。それこそ最初は英語じゃないとダメとか勝手にあったんですけど、そういうのが取り除かれていって、周りでやっていたかっこいいバンドたちがどんどん売れて。
――例えばどんなバンド?
Sakamoto : ASIAN KUNG-FU GENERATION、ACIDMAN、スキマスイッチ、GOING UNDER GROUNDとかと同じ世代だったんです。そんななかで、サンプリングサンとか、Cafelonとか、日本語で歌いつつも洋楽のテイストもちゃんと感じられる。かつ、本当にこの人たち勝負してるなっていう人たちと仲良くなっていきました。
――視点が海外から日本に変わってきた?
Sakamoto : 多分ねえ、“音楽"を聴き出したんです。最初はシーンを聴いてた。「マンチェだから格好良い」、「マタドールが…」「Kレーベルが格好良いよねっ」とかいう感じだったんです。でもそういうのじゃなくて、ドラムとベースのおもしろさとか、コード進行のおもしろさとか、音楽のおもしろさに気付きはじめた。また、ライヴのおもしろさ、盛り上げるライヴの良さ、盛り上げないライヴの良さ、それぞれがあることに気づいたんです。
――クラブクアトロとか、会場もどんどん大きくなってきていますが、メジャーで売れたいってことは、やはりあまり考えず?
Sakamoto : 無頓着だったかなぁ。当時は、LastrumからCDを出してて。そこがビートクルセイダースとか54-71、ドミノ88ってバンドたちがいて、横並びで仲も良かったんだけれども、Lastrumって当時かっこよくて、メジャーに行くことだけが正義じゃないみたいなとこだったので、そういうのもあったかもしれないね。もちろん売れたかったけどね、人気者にはなりたかったですよ(笑)。
台湾最大のフェスティバル「FORMOZ FES」の出演、いまのELEKIBASS
2006年
「FORMOZ FESTIVAL 06'」台湾最大のフェスティバルに出演
2007年
・春四度目のアメリカツアーをオブ・モントリオールと8ヶ所、ベルクロ・スターズ(U.S)と7ヶ所まわる
・「FORMOZ FESTIVAL 07'」に出演
・5度目のアメリカツアーをキャスパー&ザ・クッキーズとまわる
2008年
3枚目のアルバム「paint it white」を制作、海外レコーディング&マスタリングにて完成
2009年
東京日仏学院にて「Tokyo Pop Festival」を主催
2010年
・6度目のアメリカツアーをキャスパー&ザ・クッキーズとのキース・ジョン・アダムスと全10箇所まわる
・東京日仏学院にて「ELEKIBASS TOKYOTOWN LIVE 2010」開催。以後、毎年開催中。
2013年
7度目のアメリカツアーをレーベル〈K〉所属のバンド、レイクのソングライター/マルチプレイヤーのアシュレイ・エリクソンと12ヶ所敢行
――なるほど。では、ELEKIBASSの2000年代中盤の最も大きなトピックスってなんでしょう?
Sakamoto : 1回目の台湾の前後、2006年かなぁ。そのことに、第2次のメンバーが抜けるんですよね。クアトロ・ツアー終わりで、一度緊張の糸がきれちゃった。で、そのあとすぐに、台湾野外フェス「FORMOZ FESTIVAL(※5)」に出演させてもらったんです。山1つが公園になってて、その公園の横にサッカー・スタジアムがあって、スタジアムと山がステージになってるんですよ。くるりとかスーパー・ファーリー・アニマルズ とかヨ・ラ・テンゴも出てたかな。スタジアムには、有名なバンド達が出てて、山に設置された大小8つぐらいのステージには、エレクトロ・ステージ、ハードロック・ステージ、アコースティック・ステージ等で分かれてて。でもどれも1000人ぐらいの規模。もうジャンルがバラバラで偏ってなくて、すごくおもしろかったですね。良くも悪くもめちゃくちゃで、ザ・お祭りなんですよ。日本からは、ヴィジュアル系バンドもくるりもいる。銀杏BOYZが出たあとに、台湾の無名なバンドが出てきてぐちゃぐちゃになる...。アメリカのそれとも、日本のそれとも違って、初めてフェスティバルに興味を持てたんです。
※5 : FORMOZ FESTIVAL
台湾で行われている野外ロックフェスであり、海外(台湾以外)から40組、総勢120組あまりのアーティストが集結する。台湾での初国際的なロックフェスとして1995年に初開催され、コアなファンに向けたインディーミュージシャンが多く出演することで知られている。2008年から5年ぶりの開催となる2013年は、スウェードやジ・エックス・エックスがヘッドライナーを務め、日本からはきゃりーぱみゅぱみゅやポルノグラフィティなどが出演している。
――なるほど。そんな経験が旧東京日仏学院でやっているELEKIBASSのパーティーに繋がっていくんだ。
Sakamoto : 自分がオーガナイズするイベントがずっとライヴハウスだったんですね。クラブのイベントは、基本DJだけで、たまにライヴくらいだったし。もっと違うことをやりたいなぁと思ってクアトロとかやってみたけど、もっとパーティーをやろうと思ったんです。変わった場所で、パーティーをやりたいって。
――それはなぜ?
Sakamoto : 結局ね、ライヴハウスで自分の好きだったWack Wack Rhythm Bandと盟友のKiiiiiiiを呼んで、音楽的に趣味の合うオノサトルを呼んで、O-CRESTでWaikikiRecordのイベントをやる... そういうイベントはずっとやってきたわけですよ。でも、人が入らないと、なんでだろうな、みんな良いバンドなのにな、良いライヴもやってるし、って考えたときに、自分もそういうイベントによばれても、そこまで楽しくないことに気付いて。つまり「FORMOZ FESTIVAL」とか、それこそ京都のボロフェスタとかって、ライヴが楽しかったんじゃなくて、イベントが楽しかったっていう印象がすごく残ってる。やっぱりそれは、普段ライヴで使ってない山、スタジアムとか西部講堂っていう特殊な場所が大きな要因。じゃあ、僕らもホテルでやってみよう、図書館でやってみよう、カフェを借りてやってみようって色々試行錯誤して、旧東京日仏学院に収まったんです。
――いまや、もうホームみたいになっていますもんね。
Sakamoto : そういったとこですかね

――継続的にアメリカ・ツアーも行っていますが、大きな出来事はありましたか?
Sakamoto : 次のターニングポイントは、全世界的にオブ・モントリオールがヒットしたこと。日本では、もっと前にヒットしていましたけど、全世界的にヒットしたのは、2007年の僕らの5度目のアメリカ・ツアーなんです。
――ほうほう。
Sakamoto : 1回目の爆発は日本だけだったの。アメリカではそんなでもない。でも作品を出すにつれて評価されて、全世界で人気が出た。アメリカのどこでやっても1000人クラスって感じで。そのヒットした時にもう1度一緒にアメリカを回ってくれて、それがすごくでかかったですね。だってアメリカ行けば1000、2000人の前で、ELEKIBASSとしてライヴをやらせてもらったから。いままでは、ザ・現場! みたいなバーとかギャラリーとかでしかライヴをやってなかったのが、シアターになっちゃってなんだこれは!? みたいな(笑)。でも、そこに出るけどサウンド・チェックはなしだし、照明も日本に比べて全然ないし、なんか感覚が違うなって。ライヴに行くのも、そのクラスになるとバスで、バスの後ろに機材をいっぱい乗せた車がついてて、そのバスには、寝れて、飯食えて、トイレもあって運転手もいる生活空間が広がっている。で、僕らはその後ろにハイエースみたいな(笑)。そういうPA含め照明含めの旅なんで、それを体験できたのは嬉しかったし、ブレイクするってこういうことなんだなっていうのがわかったかな。日本のブレイクって、あんなに売れたのにいまは? っていうバンドがいっぱいいるじゃない。急に売れたときも意味わからず人気でてる感じがして...。演奏が上手くなったわけでもないし、なにかが変わったわけでもないけど、流行ったねって。でも、向こうのバンドはなんか、全てに理由があるなって、勝手に思ってます。ちゃんと人気が出るくらい、何度もツアーして、何枚も音源作って、いろんなことを自分たちでやってるしなぁって。
――確かに6枚目とかで売れるバンドって普通ですもんね。
Sakamoto : そう! そこなんだよね。オブ・モントリオールも、30オーバーでブレイクしてる!
――では、最後に、ELEKIBASSとして長年やってきて、どう変わってきたと思いますか?
Sakamoto : 最近思うのが、音楽の楽しさってわかりやすいじゃないですか。歌う楽しさ、人と合わせる楽しさ、カラオケでもなんでもいいんだよね。歌を一緒に歌う楽しさ、歌が下手な人はタンバリンで一緒に盛り上がれる、タンバリンの延長にリズムってものがあって、一緒にドラムを叩ける、そこにベースを入れる、和音があって色んな響きがある。それってどの国も一緒の音楽の楽しみ方じゃないですか? その楽しさを再認識したんですよ。バンドだから、僕が創った曲を、みんなで合わせて音を鳴らす。ただそれだけのことが楽しくなっちゃったんです。それを、誰かが求めてる求めてないかはあまり関係なくなっちゃいました。最初はUSインディー好きにとって僕の作品はどう映るのだろうか? とか誰々と対バンしてることがどういうふうに映るんだろうか? とか気にしてたんですけど、自分が楽しい演奏をやりたいな、だからもう少し歌上手くなろう、もうちょっと英語のいい加減さをなくそうとか(笑)。日本の良いバンドをたくさん観ちゃったのもあるな。結局自分の聴きたい音楽を作らないと意味ないんじゃないかなってことを認識して、じゃあ自分の聴きたい音楽はなんだろうなって考えて、そういうものに真摯になろうと思ったのは、とても大きな変化だと思っています。なので、いまは音楽が続けられなくなるのが1番いやですね。
――ELEKIBASSはどんなバンドになっていくのでしょう?
Sakamoto : NRBQみたいに何歳なっても変わらず、かわいい音楽をやりつづけてる存在になりたいですね。
――そのためには、アメリカ・ツアーもやめちゃだめですね。
Sakamoto : やめたくないなあ。言われんだよね~。Facebookの写真観て「サカモトさんのアメリカの写真って、見たことないような笑顔だよね!」みたいな。そんなに違うかなって思いますけど、心の底から楽しいのかな、やっぱり。
ELEKIBASSの過去作
LIVE INFORMATION
WaikikiRecord NewYear's HomeParty&GardenParty
日時 : 2014年1月13日(月祝) OPEN/START 16:00/17:00
会場 : アンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)
入場料 : 前日 2,300円 / 当日 2,800円(1drink別500yen)
予約方法 : 予約はinfo@waikikirecord.comまで、お名前、枚数、公演日を明記の上、メールにて承ります。
受付終了しましたら、予約完了のメールを返信させていただきます。
※携帯電話のメールアドレスから予約される場合、ドメイン指定受信を設定されている方は「@waikikirecord.com」を受信できるように指定してください。
【出演】
HomeParty : ELEKIBASS、ワンダフルボーイズ、MILKBAR、OverTheDogs
GardenParty : カツマーレー、オガサワラヒロユキ
FOOD&DRINK) : THISTIME食堂
PROFILE
ELEKIBASS
Sakamoto Youichi(Vo,Gt)、Kameda Junpei"JP"(Gt)
サウンドはハッピー。ライヴはパーティなバブルガム・バンド、ELEKIBASS。ゆるいサウンドとは裏腹にライヴ活動は骨太でオブ・モントリオールと数回のアメリカ・ツアーや2007年のアセンズのポップ・フェスではダニエル・ジョンストンとの競演や、ツアーで一緒になったブラックキッズ、キャスパー・アンド・ザ・クッキーズと交流。特にELEKIBASSがフェイバリットにあげるザ・アップル・イン・ステレオのロバート・シュナイダーがケンタッキーでのライヴを見て、感激しほれ込むなどアメリカのインディ・ロック・シーンでの活躍は目覚しい。国内ツアーはもちろん、台湾最大フェスへの参加や、数回にわたるアメリカ・ツアーで培われてきたエンターテイメントなライヴは必見。