うん、私が寂しいだけなんだ。すまない。
小町や知恵袋でする話だろうし、事実、その二つのサイトには同じような話題が無数に繰り広げられている。
友人を遊びに誘うばかりで、さっぱり誘われないのが寂しいという、昔から既出の話題です。
それっぽい言葉をググれば、誘う方は心が強いとか、頼れるとか、
誘われる方は待っているだけで、別に誘う方を嫌っちゃいないとか書いてある。
けど、やっぱり誘われないのは寂しいです。
付き合いの長さだけ寂しさが募るよ。
誘ってはくれない友人に固執する自分が嫌になって、自己嫌悪に陥るよ。
休日に「今日は◯◯ちゃんと××に行ったよ♪」なんて日記をSNSに書かれるとテンション下がるよ。
また自己嫌悪に陥るよ。
自分って重い人間だな、プリントアウト案件かなって時々考えて笑うよ。
「いた」って過去形に出来れば一番楽なのかもしれない。
就職してからも、結構な頻度で遊びに行っていたけれど、ふと最近、友人から誘われた記憶がほとんどないことに気づいた。
あっちが誘ってくれる時は、お互いが確実に近くにいる時だけ(仕事帰りとか)、ゲリラ的にお誘いが来る。
この日に映画行こう、とか、ランチに行こう、とか、ちゃんと日にちや時間を決めて誘われたことはない。
じゃあ、ちょっと、友人としては酷い行為だが、相手を試してみようか、しばらく誘わなければどうなるか。
それまでは月2,3回のペースで会ってたが、その日を境にこちらから連絡することを止めた。
もちろん会うこともなかった。
ああ、そうか、あっちにとって私は、ただ都合のいい友達だったんだなって、思うようになってきた。
いい子だから、私が誘わなくたって、誰かが何かに誘ってどこかに行く。
この三ヶ月間の彼女の日記がそれを証明しているようで、泣き笑いした。
いいなあ、そういう女の子。うらやましくて仕方ない。
この三ヶ月、憎くなるくらいうらやましくて仕方なかった。
幸いにも、いつも私を誘ってくれるありがたい友人がいるので、そういう人と誘い誘われるいい関係を目指そうと思いました。
あと、ひとりでどこへでも遊びに行けるように努力をしています。
最近、一人で映画を観に行くことに喜びを感じるようになりました。
そんな感じでおしまいです。
それは思う。
若いころに、食べるものにも着るものにも住むところにも趣味にも気を使わずちょこちょこ金ためて老後に備えたり旅行に使ったりするのも別にかまわないけど
やっぱ若いころと年取ったときじゃ感じ方も違うしねぇ。というか、単純に自分に影響を与えると考えるなら若いときのほうがコスパいいだろう、先のこと考えると。
死んでないのと生きてるのを一緒にすればね
ごめなさい
ちなみにクラシック畑でなくて色々手を出しているけど目が出ない
平日の昼にバイトをしながら、夜はコンペ用のポートフォリオつくったり
作曲したりする。CMの仕事なんか入っても、次に繋がることもなく
次のコンペにむけて作業するだけ。大ヒットなんて夢見ないから都内で
情報を得たけっか判断が変わることなんていくらでもあるだろ。
これからのサービス業は高品質が求められてくるから、教育コストは下がらない気がする。
エジプトだと最高学府卒でも観光ガイドでチップで生活してるし、フィリピンだとマックの店員ですら英語が出来ないと門前払いだし。
単純労働は機械に奪われて、教育にお金をかけられなかった人間には売春婦と泥棒くらいしか職業選択の余地はなくなってたりして。
旧帝大卒の世間的にはかなりのエリートとされる層の中で中の下くらいにいる人たちでも、人口増どころか維持に貢献するのすら困難というのが現状。
いい大学を出たからって幸せになれないことはわかってるのに、とりあえずいい大学出とけとしか言えない大人たちは情けない。
情けないが、それでも、俺が親になっても同じことを言う。
ないよりはマシ、というくらいの価値なんだろうが、大学に進学するための学費を俺も将来息子娘のために出すんだろう。
実家から通える大学ならまだいいが、学びたい大学が通えない距離にあって、一人暮らしがしたいといったら、やっぱりだしてやるんだろう。
気が重い。
でもさあ、せっかく金さえあればなんでも出来る便利な時代なんだから、老後に遊ぶよりは、若いうちに経験に投資したほうがいいと思ったりもするんだよね。